小池祐貴(ANA)は、6月の日本選手権100mで「初めての決勝進出で頭の中が真っ白になってしまった」という状態なが…
小池祐貴(ANA)は、6月の日本選手権100mで「初めての決勝進出で頭の中が真っ白になってしまった」という状態ながらも、桐生祥秀(日本生命)に次いで4位に入った。翌日の200m決勝では、飯塚翔太(ミズノ)に逆転負けしたものの、20秒42の自己新を出して2位に入り、アジア大会200m代表を手にした。

日本選手権200mでは、飯塚翔太に次いで2位になった小池祐貴(左)
そのアジア大会では、チーム総力戦で2種目のリレーを戦うため、飯塚とともに400mの適性を評価されて4×400mリレーにも出場する予定だ。
日本選手権後の実績としては、7月にあったヨーロッパ遠征の初戦のスイスで100m自己最速タイの10秒17を出し、2戦目のベルギーでは本職の200mで日本歴代7位となる20秒29で走って2位。さらにダイヤモンドリーグ・ロンドン大会では、帰国した山縣亮太(セイコー)の代役として、4×100mリレーの1走を務めると2位に貢献した。激しい争いを繰り広げている男子短距離の中で、ダークホースとして一気に頭角を現してきている。
「元々、海外の試合は雰囲気も違って盛り上がるので、楽しくできるという印象がありました。自分は体の状態より(気持ちの)テンションでスピードが出る感じだから、今回も『条件が合えば2種目とも自己ベストはいけるかな』と思っていました。
200mに関しては、今季初戦だった日本選手権で20秒42が出ていたので、20秒2台は想定内でした。ただ、連戦中に加えて環境もいいとは言えない会場で、そのタイムを出せたことで、アジア大会がどんな環境であっても大丈夫だなという自信になりました」
これまでシニアのなかでは目立つ存在ではなかった小池だが、慶大1年のときに出場した2014年世界ジュニアでは、200mで4位、4×100mリレーでは3走を務めて銀メダル獲得に貢献していた。当時をこう振り返る。
「世界ジュニアは、高校3年のインターハイがダメだったから、『次は世界ジュニアだ』と思って1年計画でやったのがうまくいったんです。でも、そこで自分の目標が一旦途切れてしまいました。
次はシニアだと思ったんですが、日本選手権で結果を出すということに気持ちがあまり向かなくて、自分の中では大学4年で結果を出せればいいから、2年と3年はトレーニングを積もうという考えでした。それでアメリカにも行って経験を積もうとしましたが、うまくいかなくて……。振り返ってみればかなり迷走してましたね」
中学まで野球をやっていた小池が陸上を始めたのは、立命館慶祥高に進んでから。コーチの指導は受けずに、自分で考えてやるスタイルを取っていた。
高3のインターハイでは、100m、200mとも桐生に次ぐ2位で、自己ベストは10秒38と20秒89と記録的に大きな差があった。小池が大学2年のときに200mの日本代表は、高瀬慧(富士通)や藤光謙司(ゼンリン)が20秒1台を出すハイレベルな戦いを繰り広げている上に、実績のある飯塚もいる状況だった。自分の立ち位置を冷静に分析できるが故に「一気にトップを目指す」という気持ちには、なれなかった。
「トップに行くには、まだ自分が知らない何かがあるはずだから、それを知りたいというか、知識や経験として手に入れなくてはいけないと思ったので、いろんな物に手を出して勉強をしました。とにかく自分の中に溜めていくうちに何かがわかるはずだと思ってやっていましたが、なかなかうまくいきませんでした」
そんな気持ちを断ち切れたのが、昨年の夏だった。
「自分の感覚よりも形とか基本的なフォームを重視し過ぎて、『自分のいい感覚って何だったけ』というところまで落ち込んでしまったんです。だから、何かを変えなければいけないと思って、まずは自分以外の目が一番大事だと考えました」
そして実績云々より、自分が信用できる人に見てもらうのが大事だという結論に辿り着き、相談したのが、慶大陸上部のアドバイザーという立場で時々練習を見に来ていた、セントラルスポーツの臼井淳一氏だった。
「小池の存在は、練習を見に行くようになって初めて知りました。彼は目標にしていたユニバーシアードに出られなかったことで、意気消沈して日本選手権も棄権して『これからどうしようか』というのを考えていたんです。それで6月に『どうトレーニングをしたらいいか』という相談をされて、自分の考えを言うと納得してくれたので、9月の日本インカレへ向けての練習スケジュールをメールでやりとりして、動画を送ってもらって気づいたところをチェックするような形で指導を始めました」
こう話す臼井コーチは、走り幅跳び日本人2人目の8mジャンパーで、79年7月に8m10の日本記録を出して、92年5月に森長正樹(日大)が8m25を跳ぶまで、日本記録保持者に名前を連ねていた名選手だった。
しかし小池は、そんな実績も知らずに指導を申し込んでいる。「自分の言ったことをしっかり否定してくれたり、肯定する時は気持ちよく肯定してくれたり。はっきりとしたコミュニケーションを取れるところが信用できました」と、人間性の部分で信頼したのだ。
「指導を受けるようになって一番変わったのは、分業できたということですね。ひとりでやっている時は自分の体の状態も見て、走りもビデオで確認して感覚とすり合わせるというのをやっていました。客観的な目で自分を見切れなくなると、どうしてもリスクの高い練習を優先してやるようになり、ケガもしていたんです。
でも、大まかな方向を決めてもらうようになってからは、僕自身はどうすればいいのかという感覚だけに集中できている。以前は型をすごく気にしていたが、『型は人それぞれだから、感覚の方が大事だよ』というのを何回か言われて、そうだなと思ってからは練習のイメージも変わりました」
そんな小池が今大事にしていることは、まずケガをなくすこと。それができれば昨日の反省を生かして、よりよい走りができる。それを当たり前のように毎日できれば、当然のように強くなっていくはずだという考えに辿り着いた。
「最初に思ったのは、今の選手は自分でよく考えているが、ベースが圧倒的に足りないということでした。どうしてもかっこいいものというか、短時間で効力が表れるものをやりたくなる。でも、それをやるためのベースがないのでケガをするんです。だから全体的な体力をつけてから新しいものをやっていかないと、競技力として向上していかない。それに気づいてくれたのが大きいと思います」(臼井コーチ)
今年の冬にそのベース作りができたことで、100mの10秒2台と200mの20秒2台は確実に出るだろうというのがふたりの共通認識だった。日本選手権の目標は、100mが決勝進出で、200mは3位以内。それは少し上のレベルですべてクリアした。
臼井コーチは「東京五輪を考えれば200mで19秒台を出さなければ話にならないけど、走りのセンスはあるし、自分を見つめる能力もあるので、その可能性は高いと思います。そのためにも100mは10秒0台までいかなければいけないので、今年の冬はもう少し真剣に練習させようかなと思っています」と言って笑顔を見せる。
「ふたりとも練習で遅くても本番で速ければいいという考えなので、練習でも無理に追い込むことはないと思います。やるべきことはやっているので、今は間違いなく日本選手権よりレベルアップした形でアジア大会にも臨めると思う」
今年の小池の走りには前半からの積極性が目につく。彼自身「コーナーが得意」だと言うように、100mのベストプラス0.3秒より少し速めの10秒4前後で100m通過はできていると考えて、それを8割の感覚で10秒30くらいまでにできれば最終的に19秒台もいけるはずと見ている。
「今やっている基礎練習をやっていく中で、20秒1台というのは十分可能性はあると思っています。でも19秒台となると、まだ足りない何かがあると感じるので、今の基礎を積み上げる中でそれが見えてくればいいなと。だから今は、今日よりも明日がよくなるように、1本1本『さっきよりいい走りを』というのを常に続けていくことが重要だなと思っています」(小池)
照準を合わせた大会で結果を出す、ピーキング作りには自信があるという小池。彼がアジア大会でどんな結果を出すかで、今後の進化も占えるだろう。東京五輪へ向けての4×100mリレーの代表争いは、これまで以上に激化しそうだ。