愛媛と石川の名門校同士の対決となった済美vs星稜は、済美のエース・山口直哉が1回表に5本のヒットを打たれて5失点。星稜打線の打球の速さと力強さを目の当たりにし、その時点で「何点入るんだろう」と思ったファンも多かっただろう。 星稜は石川…

 愛媛と石川の名門校同士の対決となった済美vs星稜は、済美のエース・山口直哉が1回表に5本のヒットを打たれて5失点。星稜打線の打球の速さと力強さを目の当たりにし、その時点で「何点入るんだろう」と思ったファンも多かっただろう。

 星稜は石川大会の5試合で53得点を挙げた打撃力だけでなく、1点も許さなかった投手力にも定評があった。済美も強打を武器に愛媛大会を勝ちあがったチームだったが、優勝候補の一角に挙げられる強豪に許した5点のリードは決定的な差に思えた。

 済美の山口は、2回以降は粘り強く投げていたものの、3回表と5回表にそれぞれ1点を失った。8回表が終わった時点で1-7。敗色ムードはさらに濃くなり、熱戦続きの甲子園のスタンドにもどこか白けた空気が漂っていた。

 しかし、済美の選手たちは劣勢に立たされてもあきらめなかった。試合前に「リードされる展開になるぞ。離されても粘っていこう」と、中矢太監督に釘を刺されていたからだ。九番センターで先発出場した政吉完哉(まさよし・かんや)もこう証言する。

「監督からは『レベルは相手のほうが上。点差をつけられてもあきらめず、泥臭く、粘り強くいこう』と言われていました」

 8回裏の攻撃はその政吉から始まった。それまで2安打の政吉がデッドボールで出塁すると、一番打者の矢野巧一郎が内野安打、二番の中井雄也もヒットで続き1点を返す。勢いづいた済美打線はその後も4本のヒットを重ねて6-7まで詰め寄った。

 ツーアウト一、三塁とチャンスが続く場面で、再び”ラッキーボーイ”に打席が回ってくる。168センチ、65キロと小柄な政吉がインコースの球を打ち返すと、打球はレストスタンドに向かって舞い上がった。

「打った瞬間はレフトフライかと思いました。芯でとらえたんですが、高く上がりすぎたかなと。まさかホームランになるとは・・・・・・。ホームインした瞬間に、『本当にホームランを打ったんやな』と実感しました」



8回裏に逆転のホームランを打って生還する政吉(左から2番目)

 伏兵のホームランで9-7と試合をひっくり返した済美の”大逆転劇”が、あと3つアウトで完成する。しかし星稜が簡単に勝利を渡すはずがない。土壇場の9回表に2点を奪い、その裏の攻撃を凌いで延長戦に持ち込んだ。

 10回から12回まで両チームとも無得点。勝負はタイブレークに突入し、13回表に済美は2点を失った。しかし、ノーアウト一、二塁から攻撃が始まるタイブレークなら挽回できる点差だ。13回裏のトップバッターだった政吉は、星稜の攻撃が終わりセンターの守備位置からベンチへ戻る際、”自分の役割”について考えていた。

 政吉はその場面をこう振り返る。

「自分の役割はバントだとわかっていました。自分のあとには一番の矢野が控えているので、確実に決めようと。監督からは『セーフティバントをしてこい』と言われたので、自分も生きるためのバントをしました」

 監督の指示どおりにセーフティバントを試みた政吉の打球が、サードの前にコロコロと転がっていく。政吉は頭からファーストベースに滑り込んだ。

「セーフかアウトか全然わからんかったんですが、ベースコーチから『セーフ』と言われて『よし!』と思いました」

 ノーアウト満塁の大チャンスを生み出した政吉は、一塁ベースに立って「頼むぞ、矢野」と声をかけた。その矢野は2ストライクと追い込まれながらファウルで粘り、6球目をすくいあげる。高々と舞い上がった打球は右翼ポールに当たって落ちた。

 13-11。2時間55分の激闘は大会初の逆転満塁サヨナラホームランで幕を閉じた。エース・山口の184球の粘投、矢野のホームランがなければ済美に勝利は訪れなかったが、政吉の仕事にはそれらと同等の価値があった。チームを勇気づける1点目のきっかけとなった二塁打、逆転スリーランホームラン、タイブレークで大きくチャンスを広げたセーフティバント。

 ヒーローの座を矢野に譲った形になった政吉は言う。

「試合の途中で、『ダメかな・・・・・・力の差があるな』と思ってあきらめかけましたが、山口が打たせて取るピッチングをして、内野手がしっかり守ってくれて、取るべきアウトをしっかり取れたから流れがきたんだと思います。『あきらめんかったら、何かが起こる』とずっと考えていました。

 打席では、次のバッターにつなげることしか考えていません。一番の矢野に回すのが自分の仕事です。『矢野に、矢野に』という意識が8回裏はホームランにつながったんやと思います」
 
 その意識があったからこそ、政吉は最後まで自分の仕事を忘れなかった。ホームランを打っても、あくまで”脇役”に徹したことが劇的な勝利につながったのだ。

「甲子園の100回記念大会は憧れの場所でした。一生に一回のことですし、楽しくできたかなと思います。大舞台でこんなことになるとは考えもしませんでした。想像以上の力が出ましたね。お客さんの声援にも乗せられて」

 2点ビハインドの緊迫した場面でセーフティバントを成功させることができたのは、練習の賜物(たまもの)だ。

「ずっとセーフティバントの練習をしてきたので、それが生きたかな」

 大きな勝利を呼び込んだ仕事人は、泥だらけの顔で笑った。