白山(三重)対愛工大名電(西愛知)の試合は、甲子園球場のすべての照明灯が煌々と輝き、ナイトゲームに突入していた。8回表、一死一、二塁。白山の攻撃中に自然発生した手拍子は、一塁側アルプススタンドはおろかバックネット裏まで伝播して球場全体を包んだ。



愛工大名電に敗れはしたが、甲子園を大いに沸かした白山高校ナイン

 1点を争うクロスゲームではない。この時点で0対8のワンサイドゲームである。試合開始直後から防戦一方だった白山が、ようやくつかんだ得点のチャンス。そのタイミングでの大応援は、甲子園球場に集まった野球ファンから白山への祝儀のようにも思えた。

 一塁側の白山ベンチにいた東拓司監督は、采配を振りながら感慨を覚えずにはいられなかった。

「ベンチにいても歓声は感じましたし、これだけ点差が離れても応援されるチームになったんだなと思うとうれしかったですね……」

 最終結果は0対10という大敗だった。もちろん、真っ先に称えられるべきは勝者の愛工大名電である。捕手の安井太規が試合前に「油断はまったくありません。どんな相手でも名電の野球をします」と語った言葉通り、最後まで集中力を切らさずに戦った。東監督も「甘い球は全部ヒットになる。相手が一枚も二枚も上手でした」と兜を脱いだ。

 だが、高校野球には無数の目的、目標を持ったチームがある。すべてのチームが全国制覇を目指しているわけではない。甲子園に出られるだけでも快挙というチームもある。白山はまさにそんなチームだった。

 東監督が初めて「甲子園」という言葉を選手の前で使ったのは、白山に異動した2013年の4月だった。

「ここのグラウンドから甲子園に行くぞ!」

 部員たちは笑っていた。「ここ」には、雑草が生い茂り、たった5人の野球部員しかいなかった。誰も現実感を持てなかったのも当然だった。

 それは今夏、甲子園に出場した代も同じだ。センターの市川京太郎に「いつ甲子園に行けると思った?」と聞くと、市川は素直に「(今夏の三重大会3回戦で)菰野に勝ってからです」と答えている。

 昨秋、今春と県大会ベスト8に進出したとはいえ、依然として甲子園を狙う強豪との力の差を感じていた。彼らにとっては菰野に勝つことが夏の目標だったのだ。2007年から10年連続三重大会初戦敗退だったチームが甲子園に出場しただけでも、十分「奇跡」と呼ぶに値した。

 5番・レフトで出場していた伊藤尚は不思議な感覚で試合を戦っていた。

――本当に自分が、甲子園で名電と対戦している。

 伊藤は中学時代に愛工大名電への進学を希望していた。だが、成績が足りなかったため断念し、白山に進んだ経緯がある。

 自宅のある亀山から2時間弱の時間をかけて通学する毎日。入学した当初は野球部も強くなく、部員数も少なく「無理やな」と思った。クラスメイトも学校生活もすべてがつまらなく、面倒に感じた。投げやりになって学校をサボると、東監督からメールが届いた。「途中からでもいいから学校に来い」。無視すると、次の日に学校で東監督に思い切り怒られた。

「1年から2年にかけて、4~5回はやめようとしたと思います」

 伊藤はそう言って無邪気に笑った。やめようとするたびに東監督とチームメイトたちが止めてくれた。

 2年の秋、新チームが始まるタイミングでは、学校をやめて働こうと仕事を探し始めていた。自分で稼いで、自分の金で遊びたい。高校生なら誰もが思いそうなことだが、伊藤は本当に学校をやめるつもりだった。

 だが、今度も東監督に説得された。

「今やめたら、あとは仕事をするだけの人生になるぞ。高校だけでも卒業しろ」

 あまりのしつこさに伊藤が折れ、「もう1回ちゃんとやろう」と決めた。それからはもうやめるとは言わずに、野球に打ち込んだ。夏の三重大会・菰野戦、伊藤は最速152キロを誇る田中法彦の快速球を弾き返し、決勝ホームランを放った。「野球がなかったら今ごろ仕事してると思う」と言う選手が甲子園のグラウンドに立った。

「点差も点差だったのでなんなんですけど、ナイターの光を見てテンションが上がりました(笑)。あと、僕が『やめる』と言ったときに一番に止めてくれた堀(涼)が最後に代打で打席に立てたのがうれしかったですね」

 高校卒業後は大学で野球を続けるつもりだと言う。

 弱小チームを甲子園へと導いた東監督だが、この経験を「ひと夏の思い出」にするつもりは毛頭ない。愛工大名電戦を翌日に控えた10日の前日練習後、東監督はこう語っている。

「投手の岩田(剛知)がこの1週間ちょっとで体重が6キロも増えたんです。三重大会で3~4キロは減った分をリカバリーしたにしても、多いですよね。練習時間が2時間と限られていて、宿舎の食事もおいしいので『増えるよ』とは聞いていたんですけど。今後のために証拠に残しておこうと思って、朝と晩に計量しているんです。他校の調整方法なんかを聞くと『こんな方法もあったのか!』と驚くこともあって、もっとやれることはあったなと反省しています。初出場なので、ひとつひとつの経験を今後に生かしたいです」

 その言葉には、「次に甲子園に来るときには、もっと強くなって戻ってくる」という思いが込められているように感じた。その印象を伝えると、東監督は笑ってこう答えた。

「1回目に多少ラッキーもあって甲子園に出られても、2回目に本気で甲子園を目指すのはなかなか難しいじゃないですか。負ける前提で話すわけではないですけど、いろんなことを教えてもらったので、それは絶対に次に生かせられると思いますから」

 3年生部員は13人しかいないが、2年生は17人、1年生は25人もいる。3年生のほとんどが「第1志望校に落ちたから」という理由で白山に入学した。だが、2年生以下は「白山で野球をやりたい」と進んだ選手もいるのだ。近隣の中学チームを回り、「野球を一生懸命やりたい子、野球が大好きな子がいたらぜひ白山にお願いします」と頭を下げてきた東監督のまいた種が芽吹こうとしている。

 甲子園の試合後、東監督はこう決意を語っている。

「全国レベルのバッティングや守備を肌で感じさせてもらいました。次に甲子園に出るためにも、また1からここを目指してやっていきたいです」

 白山の奇跡は終わった。しかし、今度は「奇跡」とは言わせない新たな挑戦が始まろうとしている。