この夏、台湾で『第10回BFA U-12アジア選手権』が開催される。この大会で”侍ジャパンU-12代表”は、大会2連覇を目指して戦うことになっている。前回大会に続いてこのチームを率いる仁志敏久監督が、この大会で…

 この夏、台湾で『第10回BFA U-12アジア選手権』が開催される。この大会で”侍ジャパンU-12代表”は、大会2連覇を目指して戦うことになっている。前回大会に続いてこのチームを率いる仁志敏久監督が、この大会で勝つことの意義についてこんなふうに語った。

「日の丸を背負って戦うんですから、勝つことは大前提だと思います。だからといって長々と練習して、鍛え上げて、ということではなく、野球をやる上での心構えとか、人間性とか、そういうものを重視して戦うべきだと考えています。



アジア選手権2連覇に挑む侍ジャパンU-12の仁志敏久監督

 前回、日本がアジアで勝ったことによって、韓国や台湾の子どもたちから、日本の子どもたちがどういう振る舞いをするのか、どういう野球をするのかを見られるようになります。たとえば台湾の子どもたちは、日本の子どもたちよりも身体が大きくて、強い。でも、そういう彼らが、日本に勝ちたいと思って頑張っているんです。韓国や台湾から目標にされているチームとして、その中で勝つことは意味のあることだと思っています」

 仁志は、ジャイアンツ、ベイスターズで、主にセカンドとして14年プレーし、4度のゴールデングラブ賞に輝いた。常総学院では1年のときからレギュラーとして3年連続で夏の甲子園に出場し、早稲田大では3度のベストナインに選ばれている。その後、社会人の日本生命やアメリカの独立リーグでプレーした経験もあって、そんな豊富な経験を仁志は2014年から務めているU-12の監督業に生かしてきた。

「最初に監督をやるとなったときは、木内(幸男、元常総学院監督)さんの真似から始めました。たとえば、サインの出し方とか……僕の高校時代、木内さんのサインは必ずホームベース側からスクイズ、盗塁、エンドランって決まっていたんです。三塁側のベンチなら、右肩がスクイズ、帽子が盗塁、左肩がエンドラン、一塁側ならそれが逆になります。

 木内さんの場合、たぶん、相手にバレてもいいと思っていたんでしょうね。送りバントのときなんて、誰にでもわかるようなサインを出していたこともありました。でも、相手が送りバントだと見抜いて内野が前に出てきてくれたら、それは僕らにとってラッキーなんですよ。すかさず打っちゃえばいいんですから(笑)」

 送りバントのサインが出ていても、内野が前に出てきたと思えば、選手の判断で打って出る。これが木内野球の真髄だった。仁志はこう続けた。

「木内さんって、よくしゃべるし、口も悪い(笑)。でも、野球に対する勘はすごいと思いましたし、選手たちに考えさせるやり方のできる監督でしたね。選手たちが監督の要求していることを予測して先回りしないと、監督の考えていることについていけないんです。予想もしないサインが出て、ここでこのサインが出ているということは、監督は何を要求しているのかなって考える。その要求に応えるプレーは1つじゃない。選手はより成功率の高いプレーを選択していい、というのが木内さんの野球でした。

 高校野球って、ほとんどのチームは監督に言われたことをやる、ということが正しくて、考えて意見を持つことは歓迎されないじゃないですか。高校だけじゃなくプロも含めて、野球界全体にそういう風潮があります。でも僕は、それは違うんじゃないかと、ずっと思っていました。高校で木内さんに考える野球を教わったから、そう考えるようになったのかもしれません。それを木内さんがどこまで計算してやっていたのかは、未だにわからないんですけど(苦笑)」

 実際、仁志は自分の判断でプレーした結果、甲子園を沸かせたことがある。

 1987年夏、常総学院は甲子園の決勝でPL学園と対戦した。この年、立浪和義、片岡篤史、野村弘、橋本清らを擁して春のセンバツを制したPL学園は、当時、史上4校目の春夏連覇へ、あと1つというところまで迫っていた。

 一方、常総学院の仁志は1年生ながらショートのレギュラーとして全試合に出場。準々決勝の中京戦ではランニングホームランを放つなど目立った活躍を見せて、決勝では3番を任されていた。

 PL学園は立ち上がりから優位に試合を進め、5-2と3点をリードして迎えた9回裏。常総学院の攻撃はノーアウト1塁で、バッターは仁志。木内監督から出たサインは”セーフティバント”だった。仁志はこう振り返った。

「サインが出た瞬間、このままサード側にバントしたらみすみすアウトになるだけだと思ったんです。右バッターがサードの方向へバントするときって、転がす方向が見えないじゃないですか。でも、右方向へバントすればよく見える。そっちを見たら、ピッチャーとファーストの間がすごく空いていたので、勝手にプッシュバントに変えたんです。

 もちろん、サインと違うプレーだからといって怒られるようなことはありません。考えて、意見を持っていいという監督でしたし、むしろ何も考えてない方が怒られます。木内さんの野球は自由なんです。全部をサインで動かそうという感じはないし、考えてやったことなら結果が悪い方へ出たとしても、褒められはしませんけど、何も言われません」

 初球を強めにバントして一、二塁間へ転がす。ファーストが大きく横に動いてボールを捕ったものの、ピッチャーのベースカバーが間に合わず、悠々、セーフ。3点を追う最終回、仁志の好判断から常総学院はノーアウト1、2塁と、チャンスを広げた。しかし結局、常総学院はこの回、得点を挙げることができず、PL学園に春夏連覇を許してしまう。仁志はこう続けた。

「あの年に優勝したPL学園は選手個々の能力が高くて、それぞれのプレーで勝ったチームでした。ウチが甲子園で勝ったチームには、のちにプロに行くようなピッチャーが何人もいました。2回戦で勝った沖縄水産には上原(晃、のちに中日へ)さん、3回戦の尽誠学園には伊良部(秀輝、のちにロッテへ)さん、準々決勝の中京には木村(龍治、のちに巨人へ)さん、準決勝の東亜学園には川島(堅、のちに広島へ)さん、そしてPLには野村(のちに大洋へ)さん、橋本(のちに巨人へ)さん……でもウチにはそういう突出した選手はいませんでした。

 それでも選手個々で考えて、他のどこのチームよりも組織的な野球をしていたと思います。サイン通りにプレーしないというのはバラバラに野球をやるのとは違うんです。勝つために、この場面でどうするのが一番いいのかを、サインに縛られずに考えるクセが身についていた。結果、個々の能力では及ばなくても勝ち上がれたのかなと思います」



アジア選手権大会に出場する侍ジャパンU-12代表の選手たち

 監督がサインを出す。それを咀嚼(そしゃく)し、自分なりの答えを出す――そんな野球を木内監督から受け継ぐ仁志監督は、U-12の選手たちに対してこんなメッセージを発した。
 
「今の選手たちは、1球1球、ベンチから言われたことをやろうとします。だから1番バッターでも、プレイボールがかかった直後、ノーアウト、ランナーなしの1球目からベンチを見る。サインなんか、出るはずがないのに。そういうときに『ベンチを見る必要はないよ』と言うんです。

 よく子どもたちの指導者は『楽しめ』って言いますけど、そもそも楽しめってどういうことなのか、説明できる人がどのくらいいるのかなと思います。何が楽しいのかも教えていないのに『楽しめ』と言ったら、子どもたちはどうするか……そう、笑うんです。試合中、笑うことが楽しむってことなんだと思っちゃうんです。でも、そうじゃない。必死になったり、緊張でガチガチになったり、そういうことも楽しむことの1つです。充実感を味わうということが楽しむということであって、子どもたちがその充実感を味わうためには、言われた通りにやるんじゃなくて、自分で考えて野球をやることが大事になってくるんです」

 仁志が初めて監督を務めた2014年、フィリピンのマニラで行なわれた『第8回BFA U-12アジア選手権』で侍ジャパンに選ばれた15人のうち、ほとんどの選手はその後、日大三、早実、桐蔭学園、流経大柏、東海大甲府、大阪桐蔭、日本航空石川など、甲子園を狙える高校に進んで野球を続けている。

 なかでも二松学舎大付に進学した山田将義は今年、1年生ながらもキャッチャーとして東東京大会の全試合に出場し、4割近い打率を残して優勝に貢献。この夏、早くも甲子園の土を踏んだ。仁志は言った。

「せっかく侍ジャパンに選ばれたんですから、選手たちがその後の野球人生の何らかのきっかけとなるようなものをつかんでくれればいいな、と思っています。そして、これからの小学生という年代の子どもたちが、侍ジャパンのU-12に選ばれることを目標に、このチームに憧れを持って野球に取り組んでもらえるような、そんなチームでありたいと考えています」

 台北での初戦は8月13日、そして決勝戦は8月19日。仁志監督率いる”侍ジャパンU-12代表”は、この夏、2連覇をかけた戦いに挑む――。