アンドレス・イニエスタのヴィッセル神戸入団。7月22日のリーグデビュー戦以来、その一挙手一投足に、注目が集まっている。一時帰国後、再びヴィッセル神戸に合流したアンドレス・イニエスタ 神戸の動きは戦略的だ。神戸はイニエスタが選手として大…
アンドレス・イニエスタのヴィッセル神戸入団。7月22日のリーグデビュー戦以来、その一挙手一投足に、注目が集まっている。
一時帰国後、再びヴィッセル神戸に合流したアンドレス・イニエスタ
神戸の動きは戦略的だ。神戸はイニエスタが選手として大成したバルセロナを理想とし、「バルサ化」を目指しているのだ。
神戸のオーナーでもある楽天の三木谷浩史社長は昨年から、バルセロナと破格のスポンサー契約を結んでいる。年間550万ユーロ(71億円)で4年間のパートナーシップを締結。シーズン開幕前にはクラブ関係者をバルサへ派遣し、トレーニングメソッドを学びながら人材交流し、神戸にバルサ流を還元していく狙いだ。
しかし、バルサ化は可能なのか?
日本だけでなく、世界中で人気のバルセロナ。バルサを模すためのヒントを求めて、毎月、ひっきりなしに各国のクラブ関係者が視察に訪れている。しかし、「バルサ化」を実現させたという話はとんと聞かない。
そもそも、バルサスタイルとは、何なのか?
それを知るには、バルサの歴史、哲学をおさらいする必要があるだろう。現在の「世界に冠たるバルセロナ」のイメージ。それが90年代に入ってからできたことは、あまり知られていない。
実はそれ以前のバルサは、地方に割拠する群雄クラブのひとつだった。1961年から1990年までの30年間で、ラ・リーガ(スペイン国内リーグ)で優勝したのはたった2回。一方で、レアル・マドリードは19回を誇る。アトレティコ・マドリードは4回。2回というのはレアル・ソシエダ、アスレティック・ビルバオと同じ回数だ。
当時のバルサは戦略に欠け、有力外国人選手を手にしても長続きしない。そんな失敗を繰り返していた。80年代に所属したディエゴ・マラドーナも、そのひとりだろう。それぞれの選手は非凡であっても、チームとしてひとつになるのに苦しんでいた。
バルサは、明確なプレースタイルを欠いていた。彼らにあったのは、「カタルーニャの盟主」としての誇りと、独裁政権の象徴だったレアル・マドリードに対する憎しみと怒りだった。その執念がバルサらしいといえないこともなかったが、ありあまるエモーションはチームとしての不安定さにもつながり、ラ・リーガでは常にレアル・マドリードの後塵を拝していた。
その流れを劇的に変えたのが、1988年5月に監督に就任したオランダ人ヨハン・クライフだった。70年代、唯一のラ・リーガ優勝を選手としてバルサにもたらしたクライフは、英雄として迎え入れられている。そのクライフがすぐに着手したのが、下部組織「ラ・マシア」の充実だった。
ラ・マシアは80年代にはすでに生まれていたが、クライフはそれを完全に作り替えた。
「ボールは汗をかかない」
そのコンセプトを掲げ、各年代からトップチームまで一貫してボールプレーを磨くように徹底した。スカウティングからボールプレーヤーの資質のある選手を選び、同じシステム、同じコンビネーションで強化したのだ。ラ・マシアこそ、バルサのスタイルの根幹となった。
「(ボールを受けるときに)ダイレクトパスなら、誰もおまえに敵わない。ツータッチしたら、みんなと同じ平凡な選手。もしスリータッチ以上したら、私のばあさんと一緒だ」
クライフはそう言って、ラ・マシアから引き上げたMFジョゼップ・グアルディオラを厳しく鍛え、ボールプレーの極意を叩き込んでいる。他の選手に対しても、要求はエキセントリックだった。そしてクライフ・バルサは1990-91シーズンからリーガ4連覇を果たし、ドリームチームと崇められるまでになるのだ。
オランダの名将が土台を作ったラ・マシアはその後、大輪の花を咲かせる。グアルディオラの系譜を継ぐ者として、シャビ・エルナンデス、アンドレス・イニエスタ、セスク・ファブレガスなどを続々と生みだした。こうして世界が惚れ込む「バルサスタイル」が確立されたのだ。
2007-08シーズンにバルサに戻ったグアルディオラは、まずバルサBの監督としてラ・マシアを鍛え直し、バルサBの3部昇格に成功。そこでとともに戦ったセルヒオ・ブスケツ、ペドロらをトップチームに引き上げ、バルサ最強時代を作った。2008-09シーズン以降、ラ・リーガでは3連覇を達成し、UEFAチャンピオンズリーグは2回優勝。「ボール支配率8割」という圧倒的な優勢で勝つ姿は神がかっていた。
それはラ・マシアが作り上げた伝統の継承といえるだろう。
リオネル・メッシも、ラ・マシアにいたからこそ、その腕を上げることができた。常にボールを支配し、攻め立てる。試合自体が攻撃トレーニングで、選手は自然と鍛えられた。
「頭の上を飛ぶパスが理解できない」
ラ・マシアから他のチームに移った選手は、そうぼやきながら自分たちの環境がいかに特殊だったかに気づく。しかし特殊であるが故に、”唯我独尊”のスタイルは生まれた。
バルサが伝説と化すには、クライフという”神”が必要だった。そこには「3シーズン連続、最終節で逆転優勝する」という運も欠かせなかった。そして薫陶を受けた者たちが、クライフの志を継承。すべてが噛み合って、”バルサらしさ”は生まれた。
神戸が挑む山は険しい。ただ、イニエスタが最高のお手本であることは間違いないだろう。