前橋育英(群馬)が2対0で近大付(南大阪)を下した試合後。お立ち台で勝利監督インタビューに答えた荒井直樹監督は、しみじみと実感を語った。「今年のチームは正直言って『非常に厳しい』と思っていました。秋、春のどちらも結果を残せませんでした…

 前橋育英(群馬)が2対0で近大付(南大阪)を下した試合後。お立ち台で勝利監督インタビューに答えた荒井直樹監督は、しみじみと実感を語った。

「今年のチームは正直言って『非常に厳しい』と思っていました。秋、春のどちらも結果を残せませんでした。今年の3年生は強かった1つ上の学年と、能力の高い1つ下の学年の間にグッと挟まった年代です。でも、粘り強さはあったんでしょうね。それは(群馬大会の)決勝戦で勝ったときに思いました」



「守りから攻撃につなげたい」と語る前橋育英のキャプテン・北原翔

 今年の前橋育英は「谷間の世代」と呼ばれていた。キャプテンを務める北原翔は言う。

「夏の大会前の練習試合では10連敗したり、土日の練習試合で1点しか取れなかったり……。このまま夏に入って大丈夫か? と思っていました」

 遡(さかのぼ)ること半年前の2月、健大高崎と前橋育英を1日ずつ取材する機会があった。両校とも近年の群馬で覇権を争うライバルとして、お互いに敬意を表するコメントが飛び交った。だが、今年の戦力にかけては大きな差があった。

 健大高崎は山下航汰、高山遼太郎といったプロ注目選手を擁し、代名詞の「機動破壊」だけでなく、どの打順でも本塁打が打てる強力打線。間違いなく、攻撃力は全国でもトップクラスの陣容だった。

 一方、前橋育英の戦力はどうか。甲子園に春夏連続出場した昨年の代からレギュラーだったのは、4番打者の小池悠平のみ。練習中のシートノックを見ても、ショートを守る北原の軽やかな身のこなしが目立つ程度で、有望選手がひしめいた1学年上の代に比べると明らかに見劣りした。

 群馬名物「赤城おろし」と呼ばれる強風が吹き荒れるなか、前橋育英の選手たちは黙々と練習に取り組んでいた。首周りに厚手のネックウォーマーを巻いた荒井監督は、「今日は一段と風が冷えますね」と言いながら、こんな話をしてくれた。

「ウチの野球は『我慢の野球』なんだと思うんです。守備型の野球って、我慢の側面が大きいじゃないですか。結果的に、それが県民性にマッチしたのかもしれません」

 今や甲子園でも「攻撃野球」を標榜するチームが増えているなか、前橋育英は昔ながらの「守備から流れを呼び込む野球」を続けている。だが、いくら前橋育英が守っても、今年の健大高崎の攻撃力は防ぎきれないのではないか……。そう感じたのも事実だった。

 春の県大会は準決勝で健大高崎に2対7で完敗。1回表に5点を失い、荒井監督も「コールドにならなくてよかった」とこぼすほど、力の差を感じさせる負け方だった。

 だが、6月に再び前橋育英を訪ねると、荒井監督はある変化を口にした。それは雑誌に掲載する3年生の集合写真を撮影していたときのことだ。2列に並んだ3年生たちを見守りながら、荒井監督は感慨深げにつぶやいた。

「こうして並んでいるところを見ても、3年生同士の距離が近く感じるんです。それは実際の距離だけじゃなくて、心の部分も含めてですね」

 そして、微笑みながらこう続けた。

「雰囲気が5年前の3年生に似てきたんだよなぁ」

「5年前」とは、前橋育英が夏の甲子園に初出場し、初優勝を飾った2013年のことだ。1学年下に高橋光成(現・西武)という逸材はいたが、3年生には特別に能力が高い選手がいたわけではない。そして、彼らもまた「谷間の世代」と呼ばれていた。

 荒井監督の手応えを耳にしてから1カ月あまり。前橋育英は群馬大会決勝戦で再び健大高崎と戦い、終盤に3点ビハインドをはね返して6対5でサヨナラ勝ちを飾った。選手個々の能力を足し算すれば、健大高崎の圧勝だったに違いない。それでも前橋育英は大事な大一番を制し、夏の甲子園へとコマを進めた。

 その強さの源は何なのか。主将の北原に聞くと、こんな答えが返ってきた。

「ウチの野球は、ピッチャーの恩田(慧吾)を中心に、守りから攻撃につなげていく野球です」

 ここまでを聞くと、ごく平凡なチーム紹介に思えるが、この言葉には続きがある。

「ウチは守備で大切にしていることが3つあります。ゲッツーを取ること。球際を抑えること。4つ(ホーム)で殺すこと。この3つを守りでできれば、次の攻撃に流れを持っていくことができます」

 守って流れを呼び込み、攻撃に生かす。そんな守備と攻撃が地続きになった「攻撃的守備」こそ、前橋育英の真骨頂なのだ。

 8月7日の甲子園初戦・近大付戦でも、随所に攻撃的守備が見られた。たとえば2回裏、無死一、二塁でのピンチの場面。相手打者のバントを捕球したファーストの橋本健汰は、迷わず三塁に送球。フォースアウトで進塁を阻止して、相手の流れを食い止めた。

 この橋本は、今夏に初めて戦力になった選手だった。投手として入部したが、1年時にヒザを故障して手術。さらに復帰後は右ヒジ痛に悩まされ、長いリハビリ生活を送った。高校3年の5月中旬、橋本は野手転向を決意し、死に物狂いでレギュラー獲得を目指したという。

「もう焦りしかありませんでした。自主練習を含めて、他の人よりもバットを振っていたと思います。残り少ない練習試合で何とか結果を出せたので、ファーストで使ってもらえるようになりました」

 チームメイトたちも、橋本の努力を見ていた。主将の北原は言う。

「ケガをしてリハビリ中から、橋本は僕らが見ていないところで努力できるヤツでした。自分たちが練習を終えても、橋本はエアロバイクを懸命に漕(こ)いでいたり。野手に転向した後も、橋本は誰よりも高い意識で積極的に自主練習をしていました。彼が打線に入ってくれたことで、チーム力は確実に上がりました」

 近大付を完封したエースの恩田にしても、入部当初は内野手だった。「1学年上の先輩方はみんなすごくて圧倒されました」という172センチ60キロの小柄な投手が、着実に力をつけて2年秋からエースに。現在は最速145キロを計測し、正確なコントロールで打たせて取る投球をする。

 ショートの北原を中心とした守備力も、夏の勝利を挙げるたびにたくましさを増している。北原は2013年の優勝チームのショート・土谷恵介(現・鷺宮製作所)を憧れの選手に挙げる。

「自分たちの代はあの全国制覇を見て入った部員も多いので。土谷さんみたいなプレーができるショートになりたいんです」

 絶対的なエースと、堅くて攻撃的な守備力。いよいよ「匂い」はしてきた。荒井監督は「まだ伸びると思う」と手応えを口にする。

「本当に真面目な子たちなんです。最後は神様が見ていてくれたのかな」

 前橋育英では毎年、選手がスローガンを決めることが恒例になっている。今年のスローガンは「闘争進(とうそうしん)」。その地に足のついた歩みは、今や険しい障害をも乗り越えるようなたくましさを帯びている。