その高校は一部メディアから「悲願校」と呼ばれていた。

 甲子園大会に出られそうで出られない。夏の福岡大会決勝戦に進出すること3度。秋の九州大会ベスト8に食い込み、春のセンバツ出場当確ラインまであと1勝に迫ったこともあった。だが、彼らはことごとく重要な決戦に敗れ、あと一歩で甲子園切符を逃してきた。

 悲願校の名前は沖学園という。福岡県内では強豪として知られており、OBには篠原貴行(元ソフトバンクほか)や久保裕也(楽天)らがいる。

 そんな沖学園が今夏、100回大会にして初めて甲子園出場を決めた。記念大会のため史上初めて福岡に2枠が与えられるという追い風もあった。だが、ノーシードから西日本短大付、東福岡、福岡大大濠といった優勝候補を立て続けに破っての悲願成就である。さらに鬼塚佳幸監督は、2017年夏の大会後に就任したばかりの新米監督だった。



沖学園を悲願の甲子園へと導いた鬼塚監督

 創部61年の歴史を誇りながらも苦しみ続けてきた悲願校に、鬼塚監督という救世主が現れた――。そんなストーリーをイメージする読者がいても不思議ではない。それほど沖学園の甲子園への扉は重かった。だが、「救世主」は苦渋に満ちた表情でこう言うのだった。

「勝てば正解にされてしまうのかもしれません。でも、僕にとっては何が本当によかったのか。正直に言えば、わからないんです」

 鬼塚監督のことを初めて知ったのは、2012年の”アマチュア野球界昭和56年会”だった。

 アマチュア野球界昭和56年会とは、昭和56(1981)年度生まれのアマチュア野球指導者の交流を目的として2006年に結成された会で、国際武道大の大西基也コーチが会長を務めている。毎年年末に約40人の高校、大学の指導者や社会人野球関係者が一堂に会し、地域の枠を越えて交流するのだ。世界少年野球推進財団に加盟し、野球の世界的な普及にも力を注いでいる。

 会員は北海道から沖縄まで現在140名を超えるが、会合は大阪で開かれるため、出席者の多くは関西の指導者である。そんななか、鬼塚監督は九州から毎年必ず参加している。当時は神村学園(鹿児島)のコーチだった。

 指導者になる前は種子島でホテルマンをしていたこともあってか、愛嬌があり、周囲を笑いに巻き込む人柄が印象的だった。後に松山聖陵(愛媛)を甲子園へと導く荷川取(にかどり)秀明監督など、独特の雰囲気を発する指導者もいるなか、鬼塚監督には親しみやすさがあった。本人も「自分は監督という器じゃない。サポート役のほうが向いている」と感じていたという。

 その後は、毎年のように肩書きが変わった。「専門学校に勤めてる」「高校の野球部長になった」……そして、昨冬には「沖学園の監督になった」という。

 九州で名の知れた高校の野球部監督への就任。誰もがうらやむ状況に思えたが、鬼塚監督は複雑な笑みを見せていた。当時を鬼塚監督は「なんでこんなにうまくいかんのやろうと思っていました」と振り返る。

 2016年4月より沖学園の部長を務めていた鬼塚監督は、2017年夏の大会後に監督に就任する。前任者がチーム事情のため退任したからだった。

 鬼塚監督にとっても、前任者は自分を部長として呼んでくれた恩人である。礼儀や生活面まで選手たちを厳しく指導してきた前任者がいたからこそ、沖学園の野球部はいい方向に向かっていたはずだった。だが、鬼塚監督が就任したことで、チーム内には不満因子が渦巻いた。とても一枚岩とは言えない状況が長く続いた。

「どうやったら選手がやる気になるのか? 俺の指導力のなさなのか、カリスマ性がないから言うことを聞いてくれないのか。葛藤して、試行錯誤しながらやっていました」

 とくに目に余ったのは、主将を務めていた正捕手の平川夏毅(なつき)だった。能力は高い選手なのだが、鬼塚監督の目には平川のプレーが自分本位に映った。

「自分が打てなかったり、守備でミスが出ると『プツッ』と気持ちが切れるのがわかるんです。自分に関係のないことはやらないし、キャプテンといっても監督の言葉を選手に伝書鳩のように伝えるだけ。キャプテンがそれでは勝てないと思いました」

 一方で平川は鬼塚監督への不信感を抱いていた。当時の心境を平川は率直な言葉でこう語る。

「監督の指導が好きじゃなかったので、モヤモヤとした思いはありました」

 前任者に声を掛けられて沖学園に入学した者にとっては、「自分は鬼塚監督に教わるためにここへ来たんじゃない」という感情が渦巻いても不思議ではない。鬼塚監督が選手のためを思って苦言を呈しても、「自分は嫌われているから」と誤解し、さらに心を閉ざす悪循環だった。

 秋は県大会4回戦で福岡工大城東に0対5で敗退。「笛吹けど踊らず」の状況に業を煮やした鬼塚監督は、主将の交代を決断する。

 2018年3月に平川からショートの阿部剛大(たかひろ)へ。阿部は強肩強打のショートとして、九州でも指折りの注目選手だった。平川は「チャンスをください」と直訴してきたが、鬼塚監督は頑として認めなかった。

 新キャプテンの阿部は「冬が終わってミーティングでいきなりキャプテンになってビックリしました。自分は言葉でまとめるようなタイプではないので……」と戸惑いながらも、プレーでチームを牽引した。

 だが、春の県大会は2回戦で筑紫台に1対3で敗退。何の兆しも見えないまま、いよいよ夏の足音が聞こえてきた。3番・センターの主力選手である三浦慧太は早くも夏の計画を立て始めていた。

「このままでは甲子園なんかとても出られない。夏休みは海にでも行こうかなと思っていました」

 大会前、鬼塚監督は意を決して平川を監督室に呼び出した。

「『お前が変わらないと勝てないよ』ということを、延々と1時間くらい時間をかけて話しました」

 それは平川にとって意外な言葉だった。平川は当時を振り返る。

「キャプテンを外されて気持ちが落ちた時期もあったんですけど、監督から『お前がカギを握っている』と言われて、その言葉を重く受け止めました。そんな風に思ってくれていたんだ……とようやく理解できて、それからは『自分が扇の要なんだから、やってやろう!』という気持ちに変わりました」

 夏の組み合わせは最悪だった。初戦は進学校の修猷館。以降は西日本短大付、九産大九産、東福岡、福岡大大濠……と次々と優勝候補とぶつかる激戦ブロック。だが、初戦を5対1でものにし、2戦目の西日本短大付を市川颯斗の満塁弾などで7対3と下すと、選手たちに変化が見えた。

「西短に勝って、自分たちはいけるんじゃないか。ここまできたら、甲子園に行くしかないだろ! という気持ちになりました」(三浦)

「内心、西短くらいで負けるだろう……と思っていたのが勝てたので、ここまできたからには甲子園に行こう! と思えました」(平川)

 大会前には最速145キロを誇る186センチの大型右腕・石橋幹が注目されていたが、故障からフォームを崩し、夏の大会は絶不調。それでも、背番号10の齊藤礼(らい)が精度の高いコントロールと、本人が「緊張したことがない」と語るほどの強心臓で才能が開花した。

 あれよあれよと勝ち進み、ノーシードからの決勝進出。決勝の九産大九州戦では自慢の強打線が研究されて沈黙するも、齊藤が安定感抜群の投球で完封。1対0で試合を終え、沖学園は「悲願校」の看板を下ろすことになった。

 自分の手柄にするつもりはない。それどころか、監督である自分でもいまだに実感がない。なぜ、沖学園は甲子園に出られたのか……と。

「なんで勝てたのか、僕でもわからないんです。あの苦しい時期にチームを見捨ててしまえば早かったのかもしれない。でも、博多の小生意気なヤツらに厳しいこと、うるさいことを地道にコツコツ言い続けてきたことが、甲子園という結果になったことで報われたような気がしました。この1年、本当に苦しかったですから……」

 複雑な要因が絡み合い、二度と再現できないような出来事が重なって、「奇跡」は生まれた。

 そして、鬼塚監督のくじけそうな気持ちを支えたのは、「56年会」の存在だった。

「コーチや部長をやっていた頃は、『俺と同い年なのに監督なんて責任のある立場でみんなすごいな』なんて思っていたんですけど、自分が監督になってみてその大変さがわかりました。56年会の縁で練習試合をさせてもらうチームも増えたし、みんなと話すことで気分転換にもなるし、56年会には皆勤賞で参加していますね。ただ、年末に大阪まで行くので、家族にはブーイングを受けますけど(笑)」

 56年会のつながりで知り合ったひとりが、益田東(島根)の大庭敏文監督だった。お互いに切磋琢磨し、練習試合を組む仲になったが、何の因果か大庭監督も今夏に監督として甲子園初出場(チームとしては18年ぶり4回目)を決めた。

 他にも今大会には野仲義高監督(東海大星翔/熊本)など、部長・副部長を含めると10名の56年会のメンバーが甲子園に集まっている。鬼塚監督は言う。

「僕らは松坂大輔さん(中日)の1学年下に潜んでいた学年です。でも、新しい時代に指導者として活躍している同級生がたくさんいるのは、うれしいですよね。沖学園が甲子園に出たことで心の底から『おめでとう』と言ってくれるメンバーもいる。こんなに苦労したのに、また甲子園に出たくなるんですよ(笑)」

 8月6日、北照(南北海道)との甲子園初戦を戦った沖学園は、4対2で初陣を飾っている。試合後、お立ち台に上がった鬼塚監督は感慨深そうにつぶやいた。

「県大会とはまったく違う景色でした。観客の多さ、スタンドの高さ。これが全国の球児の憧れる場所なんだな……とつくづく感じながら、楽しませてもらいました」

 次戦は春夏連覇を狙う大横綱・大阪桐蔭と戦う。それでも鬼塚監督は呆れたように、こう続けた。

「ウチの生徒たちは『強いところとやりたい!』と言って、大阪桐蔭と試合することを目標にしていたんです。まあ、気持ちだけでどうにかなる相手ではないので、しっかり対策を立てたいと思います」

 悲願の甲子園出場を果たし、その勢いを甲子園に持ち込んだ沖学園。その不思議な力が王者にも通用するのか。2回戦は13日に行なわれる予定だ。