東海大戦記 第29回 関東学生網走夏季記録挑戦競技会――。 この大会は、本格的な夏前に涼しい北海道で、中間層の選手強化の一環として開催された。そのため参加資格は、5000mは標準記録14分45秒、参加上限記録は13分52秒、1万mの標準…

東海大戦記 第29回

 関東学生網走夏季記録挑戦競技会――。

 この大会は、本格的な夏前に涼しい北海道で、中間層の選手強化の一環として開催された。そのため参加資格は、5000mは標準記録14分45秒、参加上限記録は13分52秒、1万mの標準記録は30分00秒、参加上限記録は28分45秒に制限されている。



今年こそ3大駅伝を走りたいと意欲を見せる東海大3年の小松陽平

 同時期にホクレンロングディスタンスが開催されているが、記録順に遅い時間の出走になるので、記録が足りない選手は気温の高い昼に走ることになる。そういう選手の救済としての位置づけもある。

 暑さ対策のために、スタートは18時30分に設定された。

 北海道以外は30度から40度近い猛暑がつづく日本列島だが、この日の網走は日没とともに気温が20度まで下がり、湿度は80%あったが走るには悪くないコンディション。ただ、風が強く、好記録を望むのはちょっと難しい状況だった。

 東海大からは、5000mに5名、1万mに6名の選手が参戦していた。

 5000mは出走者26名中13名が1年生で、彼らの走りが注目だった。東海大からは田中康靖、本間敬大、市村朋樹の3名の1年生がエントリーしていた。彼らはいずれも期待大のルーキーだが、「積極的なレースを見せてほしい」という両角速(もろずみ・はやし)監督の期待どおりの走りができるかどうか。

 ジョセフ・オンサリゴ(那須建設)をペースメーカーとしてスタートし、昨年箱根駅伝1区2位の浦野雄平(国学院大3年)らがトップ集団を形成。市村もトップ集団に入り、積極的なレース展開を見せる。

 1キロ2分49秒から50秒ペースで進み、2400mで6分43秒。13分55秒ペースだが、3000mを超えるとペースが遅くなり始めた。4000mでは11分17秒と14分5秒ペースにまで落ちた。

 市村もこの時から少し動きが止まり始めたが、それでも必死に粘っていた。ラストの競り合いで成瀬隆一郎(神奈川大3年)に抜かれたものの、4位でフィッシュした。

「あーダメだっ!」

 市村は天を仰ぎ、悔しさを吐き出した。

 タイムは、14分19秒56ながら序盤から積極的に先頭集団で走るなど、まずまずのレース展開を見せていたが、最後に抜かれたのが痛恨だ。

 続いて故障明けの西川雄一朗(3年)が14分34秒で13位、田中、上村亮太(2年)、本間と続いた。

「悔しいレース展開でした」

 市村は、汗に濡れた表情をゆがませた。

「13分台を狙っていたんです。先生には『3000m過ぎてから勝負だぞ』と言われていたんですけど、そのとおりでペースメーカーが疲れてきたので何度か前に出ようと思ったんですが前に出られなくて……。ラスト1000mは足が動かなくなってしまいました。やっぱりついていくだけじゃなく、より積極的な走りができないと13分台は出ないですね」

 市村は、埼玉栄高校の出身で全国高校駅伝では3区12位、5000mの持ちタイムは14分24秒60だった。同期の本間は佐久長聖(長野)高校出身で全国高校駅伝4区1位、5000mは13分58秒42と高校全体で5位のタイムを持ち、田中は小林(宮崎)高校出身で全国高校駅伝1区9位、5000mは14分05秒22というタイムを持っていた。

 実力的には本間と田中が上だが、春から好調を維持していたのは市村だった。5月、日体大記録会の5000mで14分17秒89の自己ベストを更新すると、6月の日本学生陸上競技個人選手権の5000mでは14分08秒20を出し、自己ベストを再び更新した。

「今まで陸上をやってきた中で、こんなに自己ベストを更新することはなかったです。なんか、ノリにノッていて自分でも大丈夫かなって心配していたんですけど、ここにきてちょっとガタが出てきてしまい……。安定して走るというのが目標なので、この夏にしっかりと力をつけて、来シーズンには13分台をコンスタントに出せるようになりたいです」

 13分台は持越しになったが、それでも市村は何かしらの手応えを掴んだはずだ。自己ベストを2回も更新できたのは、運ではない。アベレージを確実に上げていくことが選手の成長につながり、本当の力になる。それが駅伝にもつながる。

「出雲を狙うには、今日のレースがすごく大事だと思っていましたし、そのためにも頑張ろうと思っていたんですが、レース内容も結果も今ひとつで難しくなったかなと。あとは夏合宿を頑張るしかないですね。

 3大駅伝はメンバーに入るのと入らないとでは大きな差があります。とくに、箱根はハーフの距離をひとりで走らないといけないのですが、今の自分にはその力はありません。でも、出雲や全日本は比較的距離も短く、1年生でも勝負できると思うので、監督の期待に応えられるように頑張っていきたいです」

 昨年は、塩澤稀夕(2年)が夏合宿でいい走りを見せ、1年生ながら全日本大学駅伝に出場した。トラックシーズンの成績と夏合宿での走りの良し悪しが、出雲、全日本、そして箱根駅伝に出走する選手の選考基準になるが、市村は夏合宿での走りが大きなポイントになる。その市村を含め、本間、田中らがこの夏にどれだけ伸びるのか。「長距離5冠」という目標を達成するには、1年生の突き上げが欠かせない。

 1万mは19時30分からスタートした。

 気温は19度に下がり、風は5000mの時よりも幾分落ち着き、タイムをより狙えるコンディションになった。エントリー数は30名。片西景(駒大4年)や吉川洋次(東洋大2年)、越川堅太(神奈川大3年)ら、今年の箱根で活躍した選手たちも参戦。

 東海大からは今季好調の湯澤舜(4年)を始め、小松陽平(3年)、松尾淳之介(3年)、郡司陽大(あきひろ/3年)、中島怜利(れいり/3年)、中園誠也(3年)が出場した。

 ペースメーカーのアレキサンダー・ムティソ(NDソフト)がキロ2分50秒ペースで行く。4000mで11分30秒、約28分50秒のペースだ。トップ集団は片西、山下一貴(駒大3年)らで、松尾と湯澤は第2集団、小松と郡司は第3集団の中にいた。

レースは最終的に片西が抜け出て、28分55秒でトップ。湯澤と松尾はラスト1周で競り合い、松尾が29分16秒70で6位、湯澤は29分19秒94で9位に終わった。その後、小松(29分26秒47)、郡司(29分26秒72)、中島(30分16秒09)、中園(30分34秒91)が続いた。

 浮かない顔をしていたのが、小松だ。

「まだ、立ち直れていないです」

 実は、3日前の深川で開催されたホクレンロングディスタンスでのアップ中、荷物が盗難にあったのだ。携帯電話、財布、それにナンバーカードを失い、その日のレースに出場できなかったという。

「深川では札幌から両親が見に来てくれていたし、走る前の感覚もすごくよかったんです。コンディションも涼しくて、風もなく、ナイターで最高の環境でした。そこで13分台は十分に狙えるし、勝負できるなと思っていたので……」

 悔しさをむき出しにしたのは、春から5000mの流れがとてもよかったからだ。5月の『ゴールデンゲームズ in のべおか』では5000mを走り、14分08秒77の自己ベストを出した。

 さらに、7月ホクレンロングディスタンスの初戦である網走大会では、13分59秒51と初めて13分台を出し、またも自己ベストを更新した。深川では、さらに自己ベスト更新の環境が整っていただけに、盗難によってチャレンジするチャンスを失ったのは痛恨の極みだった。

「網走でのタイムは13分59秒だったんですけど、まだ余裕があったので、いいレースができれば40秒台は狙えそうだなって思っていました。深川では、その40秒台を行ける感覚があったので、走れなかったことが本当に悔しかったです」

 小松は肩を落とし、そう言った。

 この1万mは、深川でのレースに参戦できなかったために急遽出場が決まったが、盗難のショックが尾を引き、なかなか気持ちが入らなかったという。

「でも、これで春のレースが一段落したので切り替えたいですね。乃木坂46の生田絵梨花さんのファンなので、少し趣味の時間に入らせてもらおうかなと思います(笑)」

 最後は盗難事件に遭うという嫌なオチがついたが、全般的には悪くないトラックシーズンだった。昨年までは3大駅伝にまったく絡めなかったが、今シーズンは今後の調子次第では絡んできそうな気配だ。両角監督も「出雲も全日本も昨年と同じメンバーでは今年は勝てない」と、新しく台頭してくる選手たちの期待している。小松は言う。

「トラックシーズンは5000mで13分台を出せたので、まずまずでした。駅伝も昨年はちょっと戦える気がしなかったんですけど、今年はやれる気がするし、調子を合わせていけば勝負できると思っています。今年を逃すと4年目だけになってしまうし、最終学年の時だけ走るのは嫌なので、なんとか絡んでいきたいですね。そのために夏合宿をしっかり走りたいと思います」

 小松以外にも、中島が6月の世田谷の記録会(5000m)で13分53秒92の自己ベストを更新し、平地でも十分に走れることを証明した。箱根6区、下りのスペシャリストだが、それだけに留まらない走りを見せている。

 湯澤も好調を維持し、昨年箱根を走れなかった悔しさを晴らす準備ができている。

 彼らの活躍を見つつ、春のトラックシーズンにおけるチーム全体の状態を、両角監督はどう見ていたのだろうか。

 そのことを問うと、両角監督は厳しい表情を見せた。

(つづく)