日米の球団で活躍し、現在は解説者のデストラーデ オレステス・デストラーデという名前を聞くだけで、未だに胸が熱くなるプ…

日米の球団で活躍し、現在は解説者のデストラーデ
オレステス・デストラーデという名前を聞くだけで、未だに胸が熱くなるプロ野球ファンは多いだろう。
1980年代後半から1990年代前半に”黄金期”を築いた西武ライオンズの主砲として、入団2年目の1990年から3年連続で本塁打王を獲得。1990年の日本シリーズではMVPに輝くなど大舞台での強さにも定評があり、弓を引くような独特のガッツポーズと共にファンに愛された。
1995年に引退したデストラーデは、フロリダ州タンパのコミュニティーと強く結びつき、現在は地元のテレビ局でタンパベイ・レイズの解説者を務めている。もちろん、西武との縁も切れていない。8月5日には、西武ライオンズ誕生40周年記念イベントの一環で、”レジェンドOB”のひとりとしてメットライフドームを訪れることになっている。
長いプロ野球の歴史の中でも屈指の”助っ人”に数えられる「カリブの怪人」は、日本の野球、在籍した当時の西武ライオンズ、そしてMLBで最大のセンセーションになっている大谷翔平をどう見ているのか。
7月24日、レイズ対ヤンキース戦が行なわれたトロピカーナ・フィールドでデストラーデに話を聞いた。「コンニチワ、ゲンキ?」と、56歳になった現在も流ちょうに日本語を操るキューバ出身の好漢からは、日本球界への熱い思いが感じられた。
――西武ライオンズの歴史を彩ったレジェンドのひとりとして、(誕生40周年のイベントで)日本に招待されたことをどう思いますか?
「とてつもない名誉だと感じています。西武ライオンズは40年の歴史のなかで多くの優勝を勝ち取り、日本人、外国人選手を問わず、数々のスーパースターが所属してきました。そのなかで、今回のイベントに招待されるのは4人だけです。田淵幸一さん、東尾修さん、私のチームメイトでもあったアキ(秋山幸二)、そして私です。これは、西武の”名誉殿堂入り”を果たしたようなもの。興奮していますし、この栄誉に匹敵することはなかなかありません」
――今振り返っても、デストラーデさんが所属していた頃のライオンズは日本プロ野球史に残る強豪チームでしたね。
「とくに1990年台前半の西武には、渡辺久信さん、アキ、キヨ(清原和博)といったすごいメンバーが揃っていました。投手も打者も26〜28歳くらいで脂が乗っている選手が多く、石毛(宏典)さんや辻(発彦)さんをはじめ、リーダーシップに秀でた選手が多かったことも特徴ですね。 伊東(勤)さんもそうですが、主力選手の多くが後に監督になったことからも、そのすごさがわかるはずです。
当時のプロ野球はいいチームが多く、野茂英雄、伊良部秀輝、佐々木主浩といった後のメジャーリーガーたちが活躍していました。そんな時代に黄金期を築いた西武はすばらしいチームだったと思います」
――当時の西武の強さの秘密はどこにあったと思いますか?
「リーダーシップが確立されていたことでしょう。フィールド上に多くのリーダーが存在していただけではなく、森祇晶(まさあき)監督のことも忘れてはいけません。森さんは、選手、監督の両方で何度も優勝を経験した偉大なリーダーですし、西武の選手たちは森さんの話にしっかりと耳を傾けていました。互いに理解し合い、それぞれの仕事をこなして一丸になれる。そうやって黄金期を築く過程で、私たちは多くの強豪チームに勝利していったのです」
――確かに、いいライバルにも恵まれていましたね。
「パ・リーグのチームはもちろんですが、1990年の日本シリーズで戦った巨人は特に強かったですね。桑田真澄、斎藤雅樹、槙原寛己、宮本和知といった好投手を擁し、打線もハイレベル。そんなチームを相手に、私たちはスイープ勝利で日本一になることができました。
広島カープも隙のないチームだったし、野村克也さんという偉大な監督に率いられたヤクルトスワローズもすばらしいチーム。そんなライバルたちを相手に、私たちは多くのことを成し遂げました。当時のライオンズと比較できるのは、V9時代の巨人をはじめとする限られたチームだけなはずです」
――当時、共にクリーンアップを打った清原さんとも連絡を取っているとお聞きしましたが。
「そうですね。残念な事件を起こしてしまったことはもちろん知っていますし、そのことについては自分なりの考えも述べてきました。キヨには知人を通じてメッセージを送り、彼も返してくれた。今はいい方向に向かっていると聞いているので、私もハッピーです。キヨがプロ野球を代表する選手だったことは紛れもない事実。彼の功績が忘れられることはないし、あの存在感と偉大な成績はリスペクトされ続けるでしょう。
私たちの”AKD砲(秋山、清原、デストラーデ)”が偉大なトリオだったことは間違いありません。王貞治さん、長嶋茂雄さんの”ON砲”がすごかったことは承知していますが、クリーンアップの破壊力では私たちが史上最高だったんじゃないでしょうか」
――今季のメジャーで最大の話題になった大谷翔平選手についても意見を聞かせてください。日米のベースボールに精通するデストラーデさんは、彼の活躍をどのように見ていますか?
「大谷がまだ日本ハムのルーキーだった頃、日本を訪れた際に彼に会ったことがありますが、彼の活躍は”ビューティフル”ですね。アメリカ挑戦に向けて見事な準備をしてきた印象があります。24歳でメジャーでの居場所を確立させたわけですから。日本の若い選手たちは、『自分もアメリカで挑戦したい』という思いを掻き立てられているのではないでしょうか。
過去にもアメリカで活躍した日本人選手はいましたが、特筆すべきは大谷が投打両方をこなす選手だということ。健康時のダルビッシュ有と松井秀喜を組み合わせたような感じですね。投打どちらでも成功できることを示してきたので、あとはシーズンを通してそれをまっとうできることを証明するだけです」
――長く野球に関わってきたデストラーデさんにとっても、いわゆる”二刀流”の出現は驚きでしたか?
「投打両方をこなす消耗は半端ではないので、メジャーでそれを実行できる選手が出てきたことは驚きでした。ただ、冷静に考えれば、特別なことではなかったのかもしれません。スポーツに限らず、たとえば、テクノロジーの世界でもすべてが進歩していて、誰もが”次のステップ”を目指しているからです。
野球界でも、高校、大学で95マイル(約153キロ)の速球を投げ、打力も備えた選手は存在します。レイズのブレンダン・マッケイという選手も、マイナーで投打両方の腕を磨いている真っ最中です。マッケイもすばらしい才能を備えた選手ですから、いずれメジャーで”二刀流”をやるかもしれません」
――大谷選手は野球選手に必要なものをすべて備えた選手にも思えますが、デストラーデさんにとって印象的な能力は?
「まず打者としては、打球を反対方向に飛ばすパワーです。外角の球をセンターからレフト方向に飛ばすパワーは、現役の左打者では最高級でしょう。ビューティフルなスイングで、425フィート(約130m)の大飛球を軽々と打ってしまう。技術的に学ぶべきことはまだあると思いますが、あれほどのパワーは教えても身につけられません。
投手としては、快速球をスムーズに投げ込んでくることが印象的で、先ほども言いましたが好調時のダルビッシュを彷彿とさせます。流れるようなフォームで、ボールが腕から飛び出してくるようです。彼が投じるストレートは、常に102マイル(165キロ)くらいに見えますね」
――エンゼルスの大谷選手の起用法は、「慎重すぎる」という声もありますが。
「私もそう思いますよ。現代ではとにかく故障を避けることに熱心で、エンゼルスに限らず、メジャーリーグ全体が慎重になってきています。20年前に比べ、日本もアメリカも少し慎重すぎると感じていますが、これが時代の流れであることは理解しています」
――大谷はいずれ、投打のどちらかに集中することになると思いますか? それとも、”二刀流”のまま突き進むことになるでしょうか。
「手術が必要になるようなケガを負わない限り、彼は”二刀流”を続けるでしょう。今季ここまでの活躍は、サンプルとしては少なすぎるかもしれませんが、大谷は投打両方で力を出せることを示してきました。個人的にも、彼は両方を続けるべきだと考えています」
――エンゼルスの首脳陣も同じように考えているでしょうか。
「エンゼルスは、”莫大な商品価値を持った選手”を手にしたことに気づいているはず。順調にいけば、大谷は今後10年間、さまざまな意味でとてつもない成果を挙げるでしょう。チームメイトのマイク・トラウトはすばらしい選手ですが、もともと東海岸出身の彼は、いずれFAでフィラデルフィアやニューヨークのチームに移ってしまうかもしれない。そんなエンゼルスにとって、投打両方をこなせる大谷が魅力的な存在であることは間違いありません。
成績という点において、日米通算の最多安打記録を持つイチロー(マリナーズ)に匹敵する日本人選手は出てこないでしょう。特殊な起用法になる大谷も、投手として200〜300勝、3000本安打を記録することは不可能に近い。ただ、投打両方の記録を積み重ねれば、大谷がその”第一人者”になる。しかもエンゼルスの本拠地は、シアトルより巨大な街であるロサンゼルス。マーケティング価値では、いずれイチローよりも大きくなるかもしれませんね」
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