今でも忘れられないシーンがある。 花咲徳栄の主砲・野村佑希の放ったゴロがサードの右を抜ける。普通に考えればレフトへのヒットになるはずなのに、打球の先に唐突にショートが現れる。甲子園球場のグラスラインを越え、芝生に両足を踏み入れて打球を…

 今でも忘れられないシーンがある。

 花咲徳栄の主砲・野村佑希の放ったゴロがサードの右を抜ける。普通に考えればレフトへのヒットになるはずなのに、打球の先に唐突にショートが現れる。甲子園球場のグラスラインを越え、芝生に両足を踏み入れて打球を抑えたショートは、一塁に大遠投。だが、送球はわずかに逸れてセーフになった。

 高校生ショートが甲子園の芝生から打者走者を刺す。もしアウトになっていれば、高校球史に残るプレーだったのではないだろうか。2017年夏の甲子園大会準決勝でそのプレーを目撃してから1年が経とうとしている今も、記憶が色あせることはない。

「さすがにあれはアウトにできないですね。あれが目いっぱいです」

 そのプレーを見せたショートは、後にはにかみながら振り返ってくれた。ショートの名前は東海大菅生の田中幹也。当時はまだ高校2年生で、神出鬼没のポジショニングと軽快な身のこなしから「忍者」と呼ばれた。昨夏の甲子園では神がかった好守を連発し、一躍人気者になった。



西東京大会の準決勝で敗れたが、攻守で存在感を示した東海大菅生の田中幹也

 今夏、忍者の夏は西東京大会準決勝で終わりを迎えた。強敵である日大三に6対9で惜敗。1番・ショートで出場した田中は、4打数2安打2打点2盗塁(臨時代走時の盗塁を含む)。攻守にレベルアップした姿を見せながら、その勇姿を甲子園で見せることはかなわなかった。

 身長166センチ、体重63キロ。その小さな体と愛嬌のある顔つきだけを見ると、「中学生」と言われても不思議ではない。しかし、高校野球界でこれほど華のある内野手には、そうお目にかかれない。

 日大三との準決勝の試合前、スタンドでは観戦に訪れていた中学球児とおぼしき団体がシートノックでの田中のプレーに釘付けになっていた。田中が難しいバウンドのゴロをさばき、瞬時にボールを握り替えてバックホームした姿を見ると、中学生は口々に「はやっ!」「今どうやったの?」「すごすぎ!」と感嘆し、最後にはもはや笑うしかないといった様子だった。

 ひとつひとつのプレーに意図があり、積み上げてきた歴史がある。たとえば、田中はシートノック中に塁間のボール回しをする際、さまざまな腕の角度からボールを投げる。通常通り上から投げることもあれば、横や下から投げることもある。

「ゲッツーを取るには、時には下から投げたほうが速くなる場合もあるので、ボール回しのときから難しい角度からでも投げられるようにしているんです」

 田中の遠投距離は90メートルほどと、さほど肩は強くない。だが、田中のスローイングは「ボールが垂れないように、いい回転になることを心がけています」と本人が語るように、この体のどこからそんな力が湧いてくるのかと思うほど力強い。とくに外野手の送球を受け、バックホームする際の中継プレーなど抜群のスローイングを見せる。

「カットプレーは高校に入学してからずっと練習してきて、自信がついてきました。捕る前にグラブをちょっと引きながら捕ると、握り替えが早くなりますし、強いボールがいくようになるんです」

 あの甲子園から1年。あれから磨き上げてきたものは何かを田中に聞くと、意外なことを教えてくれた。

「正面の打球を練習してきました。ギリギリの打球は何も考えずに動けるので実は簡単で、簡単に見える正面のゴロが一番難しいんです。足が動きづらくて、エラーにつながってしまう。すごく退屈な練習なんですけど、その退屈さが野球を続けていく上で大事なことだと思っているので」

 こうした確かな技術的な積み重ねの上に、田中の天才的なひらめきや感性は成り立っている。かつて中日に所属したキャリアがあり、辛口で知られる若林弘泰監督をして「彼は3年間で野球選手として大きく成長して、頼もしい選手になった」と言わしめる。

 若林監督の教え子には鈴木昂平(オリックス)や南要輔(楽天/育成選手)という守備に定評のある選手がいるが、若林監督は「彼らと比べても、田中の守備は次元が違う」と語っていたことがある。

 そして、この1年間で磨いたのは守備だけではない。日大三との戦いを終えた後、田中に「1年前と比べても速い球に振り負けなくなったのでは?」と聞くと、田中は目を見開いて「はい!」とうれしそうに答えた。

「冬にウエイトトレーニングをして、ベンチプレスはそうでもないんですけど、スクワットは140キロから190キロまで上がるようになったんです。体に力がついて、長打が打てるようになったと思います」

 本人はウエイトトレーニングの効果を口にするが、田中自身が持つ瞬発力を打撃にも生かせるようになったという見方もできる。いずれにしても、インパクトの打球音は明らかに1年前よりも力強さを増している。

 走塁も進化しており、日大三戦では2つの盗塁を決めた(うち1つは臨時代走で決めたものなので、規定により記録上は元の走者である小山翔暉の盗塁になっている)。ちなみに、田中は牽制球から帰塁する際、ヘッドスライディングではなく足から滑る。「左肩に脱臼グセがあるので」と本人は語るが、その小回りの利いた動作がまた「忍者」のように見えてくるのだからたまらない。

 今夏、チームは昨夏の甲子園でも4番を打った主砲・片山昂星(こうせい)が左腓骨を骨折。投手陣も主力級の選手が家庭の事情で春に退学するなど、戦力的に苦しい戦いを強いられた。苦境にあっても「忍者」は絶えずプレーでチームを鼓舞し、牽引し続けた。その姿を全国の舞台で見られないのが、かえすがえすも残念でならない。

 今後はプロ志望届を提出せず、大学へ進むことを明言した。

「木製バットに変わるので、これから対応していきたいです」

 忍者の夏は終わった。だが、忍者はきっとこれからも続く長い野球人生のなかで、さまざまな忍術で我々を驚かせてくれるに違いない。