7月27日、北大阪大会の準決勝が大阪シティ信金スタジアム(旧・舞洲ベースボールスタジアム)で行なわれ、第1試合で大…

 7月27日、北大阪大会の準決勝が大阪シティ信金スタジアム(旧・舞洲ベースボールスタジアム)で行なわれ、第1試合で大阪桐蔭と履正社が顔を合わせた。その試合前からスタンドはざわついていた。

 両チームのシートノックが終わり、履正社のスターティングメンバーが発表されたときだ。1番・センター筒井太成、2番・ショート西山虎太郎(こたろう)に続き、いつも通り3番に濱内太陽がアナウンスされたが、ポジションはいつものライトではなく、ピッチャーだった。



センバツ王者の大阪桐蔭をあと一歩のところまで追い詰めた履正社ナイン

 この夏はもちろん、今年春も、昨年秋も、昨年の夏も、公式戦では一度も登板経験のない濱内の先発。もっと言えば、本人曰く「(高校入学後)試合で投げたのは1年のときに練習試合で少しだけ……」という”右腕”が、大阪桐蔭との大一番で先発のマウンドを託されたのだ。

 試合後、履正社の岡田龍生監督は「僕の監督人生のなかで、一番の博打(ばくち)かもしれないですね」と言い、こう続けた。

「一度も投げたことのない選手をベスト4の(大阪)桐蔭戦で投げさせて、下手したら5回、もしくは7回でゲームが終わるかもしれない。普段、こういう博打的なことはほとんどやらないのですが、今年の(両チームの)力関係を考えたら、普通に戦っても厳しい。じゃあ、その差を埋める手を何か打たないとダメだ、と考えたなかでの濱内の先発でした。なんとか5回ぐらいまで抑えてくれたら……と、そこに賭けました」

 昨年まで、大阪桐蔭との夏の直接対決は10連敗中。難敵相手に練られた秘策ではなく、「苦肉の策」だった。

 この夏の履正社は、初戦で公立の摂津に6-5と辛勝。2戦目も好投手・羽田野温生(はるき)擁する汎愛と大接戦。苦しい戦いを強いられた大会序盤、投手陣の状態は上がらず、例年のように絶対的エースもいない。そこで大会開幕後、元投手であった濱内がブルペン入りし、シート打撃でも投げるようになった。「投手・濱内」は既存戦力のプラスαを求めた結果だった。

 ところが、濱内が力のあるストレートに勝負球にできるチェンジアップ、スライダーなど、質の高いピッチングを披露。岡田監督のなかに「投手・濱内」の存在が日増しに大きくなっていった。

 濱内の先発を最終的に決断したのは、試合前日の練習後。まず、捕手の野口海音(みのん)と岡田監督が話をし、その後、投手コーチの百武克樹(ひゃくたけ・かつき)に電話で相談。ここまで3戦に先発していた2年生左腕・清水大成と濱内の二択となり、最後は岡田監督が濱内の先発を決めた。本人には試合当日の朝、部長の松平一彦から伝えられた。

 だが、マスコミ関係者もスタンドに詰めかけた観客も、誰ひとりとして想像していなかった濱内の先発を、唯一予想していた人物がいた。大阪桐蔭のコーチ・石田寿也だ。

 投手指導に加え、相手の分析、スカウティングと八面六臂の活躍を見せる石田は、前日のミーティングで「濱内・先発」の可能性を口にしていた。

 そう考えた理由は、まず石田が中学時代の濱内の投手としての実力を知っていたこと。さらにこの夏、濱内がブルペンで投げているのを確認していたこと。そして先発の軸である清水の調子が上がらず、背番号1の位田(いんでん)遼介はリリーフに置いておきたいという履正社の投手事情を推察してのこと。これらの理由を総合的に判断した結果、「ひょっとすると……」という考えに至った。

 大阪桐蔭の強さの一端を示す話だが、少なくとも選手たちは濱内の先発に動揺することも慌てることもなかった。

 ただ、その濱内が「ゲームで投げたことはないし、どれだけの球数を投げられるのかわからない。試合前は3人の投手で、3回ずつという考えも頭にあった」と言う岡田監督の予想を大きく上回り、6回まで大阪桐蔭打線をゼロに抑える好投を見せた。

 実はこの夏が始まる前、濱内にインタビューをしたことがあった。話題は、最大のライバルである大阪桐蔭や、そのチームのキャプテンを務める中川卓也、さらには自身のバッティングへと流れたが、その最後、思わぬところで盛り上がったのが「投手・濱内」についてだった。

 松原ボーイズ時代、投打で注目されていた濱内は、根尾昂(あきら)や横川凱(かい)らと同じく硬式の日本代表チーム『NOMOジャパン』でもプレーした。

 当時を振り返り、濱内は「打つよりも投げる方が自信ありました」と語ったように、大阪桐蔭も興味を示す逸材だった。百武コーチも「最初のピッチングを見て、この学年でエースになるのは濱内だと思いました」と語ったように、2学年上の寺島成輝(現・ヤクルト)、1学年上の竹田祐(現・明治大)に次ぐエース候補として期待を集めていた。

 しかし、1年秋までは投手として過ごすも、ルーズショルダーに悩まされ、やがて打撃を生かすため野手に転向。昨年の夏前に本人は密かに投手復帰を目指したが、調子が上がらず断念した。

 とはいえ、濱内は頭のどこかにマウンドへの思いがあった。昨年秋、履正社は近畿大会の初戦で智弁和歌山に乱打戦の末に敗れ、センバツ出場を逃していた。投手陣が苦しむなか、「自分が期待通りに投手として成長できていれば、チームの状況も変わったはず」という悔いが残っていた。

 それを晴らす舞台が思いもよらぬ形で巡ってきたのが、大阪桐蔭との一戦だった。試合中、スタンドで顔を会わせた百武が力を込めた。

「十分に調整してきたわけではないですし、もともと肩に不安を持っていた子。どこまで持つかわからないし、次がどうこうということもない。とにかく今日を戦うためのピッチャー。どこまで持つか……」

 すると7回表に均衡が敗れ、大阪桐蔭が先制。2点目を失ったところで濱内はマウンドを降り、ライトへ。その裏、履正社が1点を返すと、8回表に濱内が再登板。無死満塁の大ピンチを無失点でしのぐと、その裏、筒井、西山、濱内、松原任耶(とうや)ら、昨年のセンバツ準優勝を知るメンバーが意地の攻撃を見せ、あえて言うが”まさか”の大逆転。

 そして1点リードで迎えた9回表、勝利まであとアウト1つまで追い詰めたが、そこから4連続四球を与え同点。さらに大阪桐蔭の6番・山田健太にレフト前タイムリーを許し4-6。王者の底力を見せつけられた。岡田監督は言う。

「3人の投手でまかなうプランが、選手交代の結果、4人目が必要になり、濱内をもう一度マウンドへ上げざるをえなかった。だから9回の場面もいっぱいいっぱい。相手の打ち損じを期待するしかありませんでした」

 大会前、主将として打倒・大阪桐蔭へのゲームプランを尋ねた際、濱内は「投手が5点以内に抑えてくれたらチャンスはある」と語っていた。結果は6点を失っての敗戦だった。

 試合後、岡田監督は穏やかな表情で何度も選手たちの頑張りを称えた。

「選手たちは120%の力を出してくれた。弱い、弱いと言われてきたチームが、本当によくやってくれました」

 結果的に、今回の敗戦で夏の大阪桐蔭戦は11連敗となった。しかし、濱内の先発だけでなく、攻撃でも積極的に仕掛け、下馬評を覆す戦いを見せた。劣勢予想のなか、最後まで攻めの姿勢を崩さなかった戦いは”履正社野球の原点”を思い起こさせた。試合後、岡田監督はこうも語っていた。

「高校野球は必死に食らいついていく泥臭さが大事だということを、彼らも気づいたんじゃないかな。ちょっとスマートに野球をしようというところもあったチームが、この大会はがむしゃらにやって、こういう戦いができましたから」

 その言葉は、どこか自分自身にも向けられているようにも感じた。

 履正社は、環境も整わないなか岡田が体ひとつでチームを鍛え上げ、全国屈指の強豪へと上り詰めた歴史がある。練習でも試合でも顔を真っ赤にし、選手を激しく鼓舞する指揮官の熱量こそ、チーム力を引き上げるなによりものエネルギーだった。

「初めの頃は、僕もとにかく必死やったですからね。PL学園、北陽、近大付、上宮……。まともにやったら手も足も出ない相手とどうやったら勝負になるのか。ああだこうだ考えて、それこそ試合のどこかで奇襲を仕掛けたり……。そういえば、あの頃はそんなこともやっていましたね」

 敗戦の弁は、いつしか20数年前の回想へと変わっていた。選手たちに気づきを与え、岡田監督にあの頃の気持ちを思い起こさせた大一番。これこそがこの一戦の持つ大きな意味だとすれば……一世一代の大博打からつながる101回目の夏が、今から楽しみでならない。