私が語る「日本サッカー、あの事件の真相」第7回出番のない「第3GK」として招集されて~川口能活(1)南アフリカW杯のときの日本代表について振り返る川口能活「ゴールキーパー。楢崎、川島、川口……」 2010年5月1…

私が語る「日本サッカー、あの事件の真相」第7回
出番のない「第3GK」として招集されて~川口能活(1)



南アフリカW杯のときの日本代表について振り返る川口能活

「ゴールキーパー。楢崎、川島、川口……」

 2010年5月10日、南アフリカW杯に臨む日本代表メンバー23名が岡田武史監督から発表された。

 川口能活(かわぐち・よしかつ)の名前が呼ばれたとき、会場がざわついた。

 なぜ、川口が……。

 当時、川口はジュビロ磐田に所属していたが、2009年9月、京都サンガ戦で相手選手と衝突して全治6カ月の重傷を負っていた。2010年シーズンが開幕してからも、そのケガはなかなか完治せず、川口は1試合も出場することなく、戦列を離れていた。

 そうした状況にあっての川口の選出は、まさに”サプライズ”だった。

 岡田監督は会見の中で、川口選出の理由をこう述べた。

「”第3GK”という難しいポジションだが、(川口の)リーダーシップに期待している」

「第3GK」「リーダーシップ」……。

 テレビ画面の向こう側から聞き慣れない言葉が、川口の耳にとび込んできた。

 これまで1998年フランス大会、2002年日韓共催大会、2006年ドイツ大会と、3度のW杯を経験してきた川口。フランス大会とドイツ大会では、正GKとしてプレーした。

 だが、今回はプレーヤーとしての役割を求められていない”空気”を感じた。川口にとって4度目のW杯となる南アフリカ大会は、これまでとは大きく異なる大会になりそうだった――。

 当時、W杯メンバーのGK枠は、楢崎正剛と川島永嗣がほぼ当確。残り1枠は、2010年1月の鹿児島・指宿キャンプに招集された西川周作が有力、という状況にあった。

 そんななか、川口は前年の負傷以来、開幕したリーグ戦で1試合も出場機会がなく、ベンチ入りさえしていなかった。それでも、W杯メンバー発表直前にプレーできる姿を見せようと、準備を重ねていた。

 そして5月9日、代表メンバー23名が発表される前日、やっと実戦復帰のめどが立った川口は、練習試合に出場する予定だった。その試合には、日本代表の加藤好男GKコーチが視察に訪れ、川口の家族も見に来ることになっていた。しかしその直前、右足の内転筋に張りが出て、試合出場を急きょ回避した。

「『あぁ~、これでW杯(出場)がなくなったな』と思いました。それまで、リーグ戦に1試合も出ていなかったんですが、練習試合でもプレーできるところを見せられれば、少しは可能性が出てくるかな、と思ったんですけど……。(練習試合にも出場できず)これでもう、99.9%(メンバー入りは)ダメだなって思いました」

 練習試合が始まる前、夫人に「試合には出ないから、家に帰る」と連絡した。気持ちが落ち込んで、家にいると落ち着かないため、気持ちを切り替えようと、家族で外食に出掛けた。

 そのとき、川口の携帯電話が鳴った。東京の「03」から始まる発信番号が画面に映し出されていた。川口は「誰だろう?」と思って電話に出た。

「ヨシカツか? 俺だよ」

「え? すみません、誰ですか?」

「俺だよ、岡田だよ」

 日本代表の岡田監督からだった。岡田監督が話を続ける。

「今日、ケガをして(練習試合に)出られなかったようだけど、調子はどうだ?」

「内転筋がちょっと痛いですけど、治れば(プレー)できます」

 川口はそう答えた。その直後、岡田監督はこう言った。

「そうか。実はおまえを(W杯の)メンバーに入れようと思っている」

 その言葉を聞いて、川口は返事に窮した。そしてそのまま、岡田監督の打診に即答することなく、一度電話を切った。

 このとき、川口が躊躇、逡巡したのは、23名の代表メンバーではなく、サポートメンバーとしての打診だと思ったからだ。リーグ戦に1試合も出場していない選手を、23名の選手として考えているとは、とても思えなかったのだ。

 しかし、試合に出られないサポートメンバーであっても、監督に呼ばれた以上は、行くべきなのか――川口は、家族はもちろん、恩師や友人らにも連絡し、「どうしたらいいと思うか?」と相談した。

 すると、夫人をはじめ、相談した全員が「(監督に)必要とされているなら、行くべきだ」と答えた。そうして背中を押された川口は、日本代表として戦う決意を固め、最初に連絡を受けてから3時間後、岡田監督に電話を入れた。

「監督、ぜひ連れていってください。よろしくお願いします」

 川口がそう言うと、岡田監督は「そうか、わかった」と答えた。

「ただ、ひとつ聞いてもいいですか。自分はサポートメンバーですか?」

 そう川口が聞くと、岡田監督は苦笑した。

「バカ、違うよ。23名のうちのひとりだ」

 岡田監督のその言葉を聞いて、川口は胸の中でモヤモヤしていたものが、スッと晴れていくのを感じた。そして、弾んだ声でこう答えた。

「ぜひ、よろしくお願いします」

 だが、電話を切ったあと、すぐにさまざまな感情がわいてきた。

「すごくうれしかった反面、『本当に自分でいいのか?』とも思っていました。Jリーグの試合に出て活躍している選手がいる中で、試合にも出ていない自分が選ばれていいのかっていう負い目があったんです。

 それに、まだ正式に(メンバーが)発表されたわけではない。正直、『メンバーが発表されるまで、まだわからない』とも思っていました。自分の中では、半信半疑の状態でした」

 翌日、W杯メンバー23名が発表されて、実際に川口の名前が呼ばれた。

 メンバー発表のテレビ中継を夫人と一緒に自宅で見ていた川口は、正式にメンバー入りが決まって、うれしさが込み上げてきた。「がんばろう!」と、改めて決意を固めた。

 その矢先だった。テレビ画面の向こうの会見場では、川口の選出についての質問が飛んだ。その質問に対して、岡田監督は表情を変えずにこう答えた。

「川口は”第3GK”という難しいポジションだが……」

 岡田監督がそう話した瞬間、川口は身を固くした。

 GKであれば、”第3GK”という位置づけがどういうことなのか、容易に理解できる。3人いるGKの中の3番手。それは、試合に出場する可能性は”ない”に等しいということだ。

「(岡田監督の発言を聞いて)う~ん……正直、悔しかったですね。前日に電話で話をした際には『第3GK』とは言われなかったので……。

 まあでも、現状を冷静に考えると、『そうだな』と思うところもありました。自分はリーグ戦にも出ていないし、実戦から離れて試合勘もない。戦列にやっと戻れるかどうかという状況。そういう中での代表招集は、異例と言えば異例ですからね。

 試合に出られる可能性は低いですが、最初から諦めるのではなく、試合に出るつもりで準備して、気持ちを切らさずにやっていくしかないと思いました」



南アフリカW杯のメンバー発表の際に配られたスポーツ紙の号外。photo by YUTAKA/AFLO SPORT

 日本代表のメンバー23名が決まり、チームは埼玉で合宿に入った。

 川口は、すぐに岡田監督の部屋に呼ばれた。このときを含めて、川口は岡田監督に3回、部屋に呼ばれることになるのだが、これが最初だった。

「これまでケガなどがあって、なかなかおまえを(代表に)呼ぶことができなかった。こういう形(第3GK)で呼んだけど、チームキャプテンとしてやってほしい」

 最初、川口は”チームキャプテン”の意味が正確に把握できなかった。それが表情に出ていたのか、岡田監督は改めてこう言った。

「チームキャプテンとして、チームをまとめていってほしい」

 このとき、川口は自分が招集された理由を明確に理解することができた。

「最初は、自分のプライドもあるし、”第3GK”で”チームキャプテン”というのは難しいなって思いました。でも当時、自分は34歳で、3度のW杯を経験してきた中で、どういうチーム状況であれば勝てて、どういうときは結果が出ないのかを見てきた。

 自分が試合に出られないのは悔しいのですが、そこを押し殺して『チームのために』という姿勢を見せた選手がいるとき、日本はいい成績を残している。

 それに今回、岡田さんは自分が試合に出ていない状況で呼んでくれた。割り切って、『チームのために』という気持ちでやっていこうと、このとき、決めました」

 選手であれば、容易に受け入れることができない”宣告”だろう。若いときの血気盛んな川口であれば、その場でメンバー入りを辞退したかもしれない。しかし、過去3度のW杯において、川口は試合に出られない状況にあっても腐らずに、チームに貢献してきたGKたちの姿も見てきている。

「フランスW杯のときのノブさん(小島伸幸)、日韓共催W杯のときのソガ(曽ケ端準)、ドイツW杯のときの土肥(洋一)ちゃんを見てきましたからね。GKにはGKにしかわからない精神状態があるし、今度は自分がそういう立場になって、正剛や永嗣を支えようと思いました」

 チームキャプテンで、第3GK――。

 川口にとって4度目のW杯は、「もっとも難しい挑戦」になったのである。

(つづく)