『bj-league THE FINAL』DVDで振り返るbjリーグ11年間の軌跡 河内敏光(bjリーグ コミッショナー)インタビュー【Vol.3】歴代ファイナルの思い出と共にこれまでのbjリーグの歴史を振り返る河内コミッショナーインタビュ…

『bj-league THE FINAL』DVDで振り返るbjリーグ11年間の軌跡 河内敏光(bjリーグ コミッショナー)インタビュー【Vol.3】

歴代ファイナルの思い出と共にこれまでのbjリーグの歴史を振り返る河内コミッショナーインタビュー、今回は連載第3回です。激動の2010-2011シーズンから2012-2013シーズンの3年間を振り返ります。

【リーグ戦自体をやめようという話も出た】
――2010-2011シーズンですが、このシーズン中に東日本大震災が発生しました。
河内:はい、みなさんの記憶にもある通り、あの時は日本中が本当に大変な状況でした。bjリーグも、震災が発生してすぐに仙台89ERS・東京アパッチ・埼玉ブロンコスの3チームが活動休止になりました。多くの方が亡くなり、体育館も避難所になり、試合どころではありませんでしたから。あの時、bjリーグとしても「リーグ戦自体をやめよう」という話も出ました。けれど、チームやブースターのみなさん、そしてスポンサー企業の方々など、様々なご意見を聞いた上で、シーズン続行を決断しました。bjリーグとして我々ができることは、バスケットボールというスポーツを通じて、見てくださる方が少しでも笑顔を取り戻し、元気を出して頂けるように頑張ることしかないという想いでの決断でした。

――3チームの活動休止に伴い、選手の救済制度も設けられましたね。
河内:ホームゲームが開催できなければ、チームの運営もできなくなりますから、選手も解雇せざるを得ません。ですから、活動休止チームの所属選手を他のチームが受け入れられるように「選手救済制度」(レンタル移籍)を設けたんです。その選手救済制度で移籍した仙台89ERSの選手は、チームへの思い、そして被災地となった仙台への思いを込めて、移籍先のチームで「89」の背番号をつけていました。ファイナルの試合前には、両チームのブースターから仙台チームへのエールも自然と湧き起こって…すべて忘れられない光景です。日本中が大変な状況の中で、チーム、選手、ブースター、スポンサー、リーグが一致団結して乗り越えたシーズンだったと思います。試合会場などでも一気に募金活動が広がって、シーズンが終わった時には、救済措置やリーグ続行の決断はやはり間違っていなかった、続けてよかったと思いました。

【みんな「”カズ”ディフェンス」にハマってしまう】
――シーズン続行の結果、ファイナルは沖縄vs.浜松の組み合わせとなりました。浜松が勝利して2連覇を果たしましたが、この試合はいかがでしたか?
河内:浜松の中村ヘッドコーチは元々ディフェンスが強いですよね。結果的に相手を60点台に抑えてしまうという。「”カズ”ディフェンス」って言われていますが、みんなその独特の戦術にハマってしまうんですね。浜松はディフェンスが本当にしっかりしていた印象です。

――前シーズンのファイナルでは大口選手の存在が大きかったと伺いましたが、この試合で印象深かった選手はいますか?
河内:浜松のアーノルド選手ですね。追いつかれたなと思うと、彼が3ポイントを打って離す。4Qでも沖縄が追い上げて点差が詰まりましたが、確率の良い3ポイントで試合の流れを自分達に戻しました。いいタイミングで、いい確率で、アーノルドの3ポイントが決まって沖縄のリズムをシャットアウトしたんですね。そして沖縄の志村選手。彼は元々仙台の選手でしたが、選手救済制度で沖縄へレンタル移籍していました。「89」の背番号をつけた彼の活躍も、このファイナルでの印象深いシーンの1つでしたね。

【3連覇した時の大阪のような布陣】
――激動のシーズンを乗り越えて迎えた7年目の2011-2012シーズンですが、ファイナルは奇しくも前年と同じ顔合わせで、今度は沖縄が浜松に勝利しました。
河内:この頃、沖縄は毎年有明に来ていました。言うなればファイナルズの常連ですね。けれど、あとちょっと…というところで負けてしまうシーズンが2年続きましたから、「今年こそ!」という感じでした。しかも相手は前年のファイナルで負けた浜松ですから、リベンジへの思いも強かったと思います。

――沖縄の勝因は優勝への執念と浜松へのリベンジの思いが大きかったわけですね。
河内:それに加えて、選手の層の厚さでしょう。ジェフ・ニュートンとマクヘンリー、さらにパルマーがいるんですから。この3人はやっぱり強力。特にマクヘンリーは安定感が増していましたよね。沖縄に所属して4年が経って日本のバスケットにも慣れて。そして元浜松のラーカイもいました。前シーズン終了後に浜松から沖縄へ移ったんですね。ラーカイにとっては古巣との戦いでした。そのラーカイがセンターになって、ニュートンがパワーフォワードのポジション。で、マクヘンリーがいて、ベンチにはパルマーが控えている…まさに3連覇した時の大阪みたいな布陣ですよね(笑)。その上、沖縄は日本人選手のレベルも上がっていましたから、本当に隙がなかったですよ。

【バーンズと蒲谷が本当にすごかった】
――2012-2013シーズンのファイナルズは横浜の勢いがすごかったですね。この時のカンファレンス ファイナルは、これまた「伝説のセミファイナル」と言われていますよね?
河内:このファイナルズの横浜はとにかくバーンズと蒲谷が本当にすごかった。誰も止められなかったですよね。カンファレンス ファイナルの相手は新潟でしたが、試合終了間際で52対52の同点でしたから、完全に延長戦だなと思っていました。それがブザービーターですよ!投げたようなバーンズのシュートが決まって!(試合映像を見ながら)ほら、バックボードに当たってるんですから!これは本当に興奮しましたよね。

――衝撃のブザービーターで横浜が勝ち、ファイナルは福岡vs.横浜の対決となりました。横浜の優勝は予想されていましたか?
河内:いえ、正直僕はカンファレンス ファイナルも新潟が勝つと思っていましたし、ファイナルも福岡が勝つだろうなと思っていました(笑)。もちろんブザービーターで勝ち上がってきた横浜は勢いに乗ってはいましたが、まさか優勝するとは…!相手の福岡には強い外国籍選手もいましたから。ジョシュ・ペッパーズにレジー・ウォーレン、ジュリアス・アシュビーもですね。ですからインサイドはやはり強かったですよね。けれどもこのファイナルは、とにかく横浜の蒲谷選手が神がかっていましたよ。結構難しいシュートも全部入って。(試合映像を見ながら)見て、今みたいなシュートで、体があんなにぶれているのに入っちゃうんですから!体がぶれても手だけは位置が変わっていませんもんね。いやぁ、すごいとしか言いようがないです。

――蒲谷選手はこの試合で35得点、フィールドゴールパーセンテージ75%という数字を残してMVPにも選ばれました。
河内:レギュラーシーズンから調子が良かったですが、この試合は特に”打てば入る”という状態でした。本当によく入っていた!確か、蒲谷選手のお父さんが亡くなったのはこのシーズンが始まる前だったんじゃなかったかな…。お父さんへの思いが、この活躍につながったのかもしれませんね。本当に素晴らしかったです。

≪インタビュー【Vol.4】へ続く≫

★DVD「bj-league THE FINAL」
歴代ファイナルの映像を中心に、bjリーグ11年間の軌跡をまとめた決定盤DVD。
bjリーグオフィシャルオンラインショップ(DVD購入ページ)はこちら→http://shop.bj-league.ne.jp/bj/goods/index.html?ggcd=STO0215400AX
*現在『bj-league THE FINAL』DVDご購入者対象抽選のプレイゼント・キャンペーンを実施中です(6月30日正午まで)。詳しくはオンラインショップをご覧ください。
--------------------------------------------------------------------------------