ワールドカップF組の初戦、ドイツvsメキシコの試合が行なわれる、ルジニキ・スタジアムへ向かう地下鉄に乗っていたときのことだ。 順調にスピードを上げて走っていた電車が、駅でもない場所で急停車。ほどなくして何事か車内アナウンスが(もちろん…

 ワールドカップF組の初戦、ドイツvsメキシコの試合が行なわれる、ルジニキ・スタジアムへ向かう地下鉄に乗っていたときのことだ。

 順調にスピードを上げて走っていた電車が、駅でもない場所で急停車。ほどなくして何事か車内アナウンスが(もちろん、ロシア語で)あったと思ったら、隣に立っていた地元の女性がくすっと笑った。

 急に笑い出したことに驚いた私が視線を向けると、彼女はその理由を(英語で)教えてくれた。

「『電車を揺らさないでください』ですって。とても変わったアナウンスだわ」

 折しも試合開始2時間半前。スタジアムへ向かう地下鉄は、どの車両もドイツとメキシコのサポーターで呉越同舟の満員状態だった。幸いにして、私は比較的空いている車両に乗ることができたのでわからなかったが、どこかの車両で興に乗じたサポーターが一斉に飛び跳ね、車両を大きく揺らしたのだろう。

 サッカー人気の高い国ならさほど珍しい話ではないが、ロシアの人たちにはあまり聞いたことのない、奇妙な出来事だったようだ。

 さて、肝心の試合はというと、あたかも地下鉄の熱気をそのままスタジアムに持ち込んだかのような、非常に見応えのある好ゲームとなった。

 結果は1-0でメキシコが勝利。4年前の前回大会に続く連覇を狙うドイツが、グループリーグ初戦にして早くも敗れる番狂わせである。




王者ドイツを見事に打ち破ったメキシコ

 互いの戦略は、実に対照的なものだった。

 メキシコのファン・カルロス・オソリオ監督が、「(組み合わせが決まってから)6カ月間、プランを練ってきた」というドイツ対策。ドイツが得意とする、ふたりのセンターバックとふたりのボランチで行なうビルドアップに対し、メキシコはトップ下のカルロス・ベラを中心にプレッシャーをかけ続け、決して楽にボールを持ち上がらせたり、縦パスを入れさせたりしなかった。

 そしてボールを奪うと、右のMFミゲル・ラジュン、左のFWイルビング・ロサーノというふたりの俊足ウイングが、たちまちサイドから飛び出してくる。メキシコは両翼を担うふたりのスピード、すなわち、攻守の切り替えの速さと走る速さをドイツの目の前にちらつかせることで、試合を常に優位に進めることができた。

 値千金の決勝ゴールにしても、まさにこの形――電撃のカウンターアタックから生まれている。

 前半35分、メキシコは自陣でボールを奪うと、センターバックのDFエクトル・モレノがセンターフォワードのFWハビエル・エルナンデスへ縦パスを入れる。するとエルナンデスは、素早くサポートに入ったボランチのMFアンドレス・グアルダードとのパス交換で前線へ抜け出し、相手DFを十分に引きつけたところで、左サイドを駆け上がってきたロサーノへラストパス。余裕十分のロサーノはトラップの瞬間、内側へ切り返し、追いすがるDFをかわすと、右足を振り抜いてゴールネットを揺らした。

 ひたすらパスをつなぎ、ボールポゼッションで圧倒的優位に立ったのはドイツだったが、メキシコは効果的なカウンターを何度も仕掛け、決定機の数で上回った。

 ドイツのヨアヒム・レーヴ監督は、「メキシコはこの2、3年、安定して高いレベルのプレーをしており、質が高いことはわかっていた」と言い、「速い攻守の切り替えで、(カウンターから)前に出てくる」ことも想定していたという。だが、「いつものように効果的なパス攻撃ができず、カウンターを受けて長い距離を戻らなければならなくなった」。わかっていながら、してやられた試合を悔やんだ。

 思ったようにチャンスを作れないドイツは、試合終盤にベテランのFWマリオ・ゴメスを投入し、前線を厚くして勝負に出た。しかし、ここでもメキシコは「マリオ・ゴメスが入ってきたときの準備もしていた」と、オソリオ監督。最後は実質5バックにして中央のDFを増やし、ドイツの攻撃をしのぎ切った。

 オソリオ監督は、「知的に守備的なプレーをし、カウンター攻撃を浴びせた前半は我々が優勢だった。だが、後半はドイツが素晴らしいチームであることを知った」と、反撃に出てきた世界チャンピオンを立ててはいた。だが実際のところ、後半にしても、なりふり構わず前に出てくるドイツをいなすように、カウンターから多くの決定機を作っていたのは、メキシコのほうである。

 殊勲のロサーノは「僕の人生で最高のゴール」と、まずは自身の快挙を喜ぶ一方で、「選手全員がよく走った。この勝利はハードワークの成果だ」と胸を張った。

 鉄壁のドイツ対策と、それを実現するためのハードワーク。スコアこそ最少得点差の1-0だったが、内容的にはメキシコの完勝だった。メキシコにとっては、これがワールドカップでのドイツ戦初勝利。記念すべき1勝である。

 一方、ドイツの頭上には早くも暗雲が垂れ込めている。

 前回大会の優勝も含め、過去4大会連続でベスト4に進出しているドイツは、現在のFIFAランク1位にして、今大会でもブラジルと並ぶ優勝候補のひとつ。昨年のコンフェデレーションズカップでは若手主体の”Bチーム”で出場しながら、あっさりと優勝を勝ち獲っているが、そのときにはメキシコと準決勝で対戦し、4-1で一蹴していた。にもかかわらず、まさかの黒星発進である。

「コンフェデレーションズカップとは別の大会。状況が違うので、比較はできない」

 そう語るレーヴ監督の表情は、記者会見の間、終始険しいままだった。

 北中米の雄に面白いように揺さぶられ、前回王者がいきなりの急停車を余儀なくされた。