「これを理由に負けたとは言いたくないので、100%……、120%の力を発揮してがんばります」

 6月2日~3日に行なわれたボルダリング・ワールドカップ八王子大会は2400人を超える観客が見守るなか、男女とも決勝戦は最終第4課題まで優勝の行方がもつれる熱戦が繰り広げられ、女子は野口啓代(のぐち・あきよ)が今季W杯3連勝を決め、男子はイタリアのガブリエレ・モロニが初優勝した。



課題をクリアして喜びを爆発させる野中生萌

 大会初日の女子予選をグループ1位で通過した野中生萌(のなか・みほう)は、自国開催のW杯優勝に向けての調子を訊ねられると、打ち明けなくてもバレるほどのしゃがれた鼻声で、大会4日前に風邪をひいたことを明かした。

「先週は調子がよくて、その週末に大会があったら優勝できるんじゃないかというくらい自信があったんですけど。風邪なんて年に一度くらいなのに、それがここに当たっちゃうなんて」

 4月に開幕してからの1ヵ月間に世界各地で4大会を戦ってきた疲労が、季節の変わり目で出たのだろう。だが、そう語る野中の表情に、悲壮感は微塵もなかった。

 予選を振り返って、「体調が悪いわりにはしっかりと集中して、いい内容で終われたかなと思います。明日にもつながった」と語った後に続いたのが、冒頭のコメントであった。

 はたして、野中は準決勝を4位で通過すると、決勝では最終課題まで優勝争いを演じて2位。体調不良で大会直前に最終調整ができなかったことを感じさせない、すばらしいパフォーマンスを見せた。

 今シーズンはボルダリングW杯の開幕戦で優勝し、その後は今回の八王子大会を含めて4戦連続で2位と安定した成績を残しているが、ここにこそ野中の成長が見て取れる。

 それは、野中自身も実感している。

「自分の登りのイメージと、実際の自分がしっかりと一致していることが一番大きいですね。去年とはかなり違う気がしています。大会の成績もそうですし、練習していても全体的にベースアップしたかなという感じはあります」

 その理由を、野中は次のように明かす。

「年々サポートしてくれる方が増えているのが、私にとって大きいですね。私の見えないところでの支援もあって、すごく多くの方に支えられていて。それがメンタル的な向上にもなったと思います」

 野中は現在、指導に関して、クライミングのトレーニングは伊東秀和氏から、フィジカル面の強化は小田佳宏氏から受けている。

「それまでは試合の動画をひとりで見返して、何が悪かったのかを探っていて。でも、今はコーチも試合を見返してくれて、気づいた問題点を伝えてくれる。

 それが私の思っていたことと一致すると、自信を持って改善できるし、そうじゃないときは自分の感覚を伝えて、話し合いながら確実に修正できる方向にもっていっています。その繰り返しが、こういう形になっているのかな」

 大会でのパフォーマンスを分析した野中が抱く、「できなかったムーブをできるようにしたい」「こういう登り方をしたい」という思いを具現化するためのトレーニングを組むのが、小田氏の役割になる。担当して4年目になる野中の成長を小田氏は次のように感じている。

「生萌から『こういう動きができるようになりたい』と言ってくることもあれば、こちらから提案することもありますが、生萌の場合は言われたことを単にやるのではなく、自分が納得してから取り組む。だから、トレーニングを始めると、どんどん吸収していきます。

 ただ、彼女の年間スケジュールを考えると、オフらしいオフは1年のうちに1~2週間ほど。大会があって、そこに向けてのトレーニング。その繰り返しで、大幅になにかを変えるだけの時間はないんですね。

 だから、微調整の積み重ねをしながら、1年、2年と時間が経ったときに大きく変わっていることを目指してやってきました。今シーズンになって仕上がってきていますが、ここは彼女にとっての頂点ではないです。生萌には伸びしろがまだまだありますから」

 それぞれのコーチが野中との関係性だけで終わるのではなく、小田と伊東は主要大会などで顔を合わせれば、野中について話し合う。コーチ同士が情報や意見を共有していることも、野中の成長の後押しにつながっている。

 ときに、そうした周囲からのサポートが選手に重くのしかかることもあるが、野中はそれをキッパリと否定する。

「プレッシャーは感じないですね。むしろ、私をサポートしたいと多くの方に思ってもらい、実際に支えてもらっている。感謝しかないです。そういう人たちに成績を残して、恩を返したいという気持ちが強くなりました」

 野中を支える人が年々増える理由だと感じられたシーンが、今回のボルダリングW杯決勝戦の最終課題にあった。1アテンプト(トライ)差で追う野中が完登すれば逆転優勝の芽も出てくる状況で、先にステージに現れた野中は1度目のトライでTOPホールドをとらえると、満面の笑みを浮かべながら全身で喜びを爆発させた。

 ここにこそ、彼女の魅力があふれていた。彼女のパフォーマンスは勝ち負けを超越し、ただ目の前にある1本の課題を登りたいという、クライマーならではの本懐しか感じられなかった。そして、それを成し遂げたときの喜びを素直に表現できるからこそ、彼女に多くの人が魅了されていくのだろう。

 ボルダリングW杯八王子大会の決勝戦では、各選手からの直筆メッセージが課題の横に映し出されていたが、野中のそれは『私もハッピー、皆もハッピー』。これからも野中は、クライミングで多くの人々を笑顔に変えていくはずだ。