「日本に来て、もう9年目なんて本当に信じられないよ」 ランディ・メッセンジャーはこう叫びながら、アメリカから彼の成功…

「日本に来て、もう9年目なんて本当に信じられないよ」

 ランディ・メッセンジャーはこう叫びながら、アメリカから彼の成功ぶりを取材するために訪れた記者を出迎えた。

 もちろん、9年目というのは阪神タイガースに入団してからの年数である。実は、メッセンジャーより長くタテジマのユニフォームに袖を通した外国人選手は他にいない。この事実に誰よりも驚いているのは、メッセンジャー自身である。

「こんなに長くタイガースでプレーするなんて、本当に信じられない。でも、このチームが好きだし、ずっとここにいたいんです」



NPB通算100勝まであと9勝と迫ったランディ・メッセンジャー

 今シーズン、メッセンジャーは史上9人目となる外国人選手の国内FA権を取得した。つまり、来季からメッセンジャーは外国人枠を外れることになる。

 これだけ長きにわたって成功を収めてきた理由のひとつは、メッセンジャー自身が武器だと思っていた198センチという体の概念を変えたことが大きい。

「初めて日本に来たときは、とにかくパワーでねじ伏せてやろうと思っていたんです。でも、それが間違いだということに早い段階で気づかされました。日本の打者はみんな、ストレートには対応してくるんです。できないと思っていたのですが、間違いでした。自分がどれだけ日本の野球に無知だったか、思い知らされました。ホント、ひどい目にあいました(笑)。それ以来、自分の持っている球種を使って生き残るにはどうすればいいのか、ずっと考えていました」

 メッセンジャーの来日1年目(2010年)の成績は、26試合に登板(うち先発は14試合)して5勝6敗、防御率4.93、80回1/3を投げて三振は48しか奪えなかった。数字だけを見れば、”ダメ助っ人”のレッテルを貼られてもおかしくない。

 ところが、日本野球への偏見をなくしたメッセンジャーは、その翌年から順調に勝ち星を積み重ね、昨シーズン終了時でNPB通算84勝をマーク。今シーズンもここまで(6月4日現在)すでに7勝を挙げている。日本でプレーしたアメリカ人投手の通算勝利数1位まで、あと10勝に迫っているのだ。

 歴代トップは、ジョー・スタンカ(1960~66年/南海、大洋)とジーン・バッキー(1962~69年/阪神、近鉄)の100勝。ちなみに、外国人投手の通算勝利数1位は台湾出身の郭泰源(1985~97年/西武)が挙げた117勝である。

 メッセンジャーは自分が日本球界で成功した理由として、城島健司の存在を挙げた。メッセンジャーと城島は、MLBのシアトル・マリナーズで2年間一緒にプレーしており、2010年にともに阪神と契約を結んだ。

「日本に来たときは、ただ体の大きさに任せて強いボールを投げることに一生懸命になっていました。そんなときジョー(城島)が『ただ投げるのではなく、投球をすることが大事だよ』と。それもただ言うのではなく、身をもって教えてくれました」

 その方法は、たとえばストライクがほしいとき、メッセンジャーが投げたがっている球を投げさせるといったものだった。

 アドレナリン全開のメッセンジャーは、当然のようにストレートを選択する。メッセンジャーのなかには、97マイル(約156キロ)のストレートで空振りを奪うイメージがしっかりとできあがっていた。ところが、打者は「ストレートを投げてくる」とかなりの確率で読んで待っている。それだけメッセンジャーの投球はわかりやすかったのだ。

 来日当初、メッセンジャーは中継ぎとして起用されていた。しかし、ストレートへのこだわりを捨てきれず、痛打を浴びる失敗を繰り返したメッセンジャーは二軍降格となった。そのとき、城島の教えを理解し始めた。

 重要な場面で効果的に打者を打ち取るには、ストレート以外の球種を混ぜ、打者に何を投げてくるのかを考えさせる必要があった。そこでメッセンジャーはもともと持っていた武器を引き出しから取り出した。

「ずっといいカーブがあったんです。ただ、ブルペンからマウンドに上がると、力で抑えなくてはいけない感覚があって……どうしてもストレートとスライダーに頼ったピッチングをしてしまっていたんです。実は、アメリカでプレーしていたときにあるコーチから『カーブは使うな』と言われたことがありました。とにかく『力で押していけ』と。だから、カーブは持っていたのですが、使うことはありませんでした。

 二軍にいる間、先発として一軍昇格のチャンスがあるとわかり、ジョーのアドバイスを生かしてカーブを多投するようにしたんです。そうしたら、いいピッチングができるようになって、先発として一軍に昇格することができました。今は4種類の球種を使っているのですが、(球種が)2つのときよりも断然、効果的です」

 阪神の助っ人として勝ち星を積み重ねていったメッセンジャーに、嬉しい出来事が待っていた。それは1964年に阪神で沢村賞を獲ったバッキーと知り合いになれたことだ。

「5年前、日本で40勝した頃だったと思います。私のもとに、一通の挑発的な手紙が送られてきました。その内容は『調子に乗るな! アメリカ人として100勝のオレの記録に届くのはまだまだだな』と。もちろん冗談なのですが、それ以降、勝利したりすると励ましの言葉をかけてくれます。すごく応援してくれていて、私にとっては大きな支えになっています」

 現在、バッキーはアメリカ・ルイジアナ州に住んでおり、今年の8月で81歳になる。バッキーにしてみても、メッセンジャーの活躍を応援しているうちに大好きな阪神タイガースと再びつながることができた。

 ただ、ふたりは実際に会ったことはない。それでも手紙をもらったときに、メッセンジャーは神戸の自宅からテレビ電話でルイジアナにいるバッキーと連絡を取った。

 メッセンジャーは今年の8月で37歳になる。数年前、バッキーの100勝の記録を抜くには、30代後半になるまで投げ続けないと厳しいと自覚した。それからは体の手入れを入念に行なうようになった。

 特に今年のキャンプで印象に残ったのは、236ポンド(約107キロ)まで体を絞っていたことだ。これまでの最高は、メジャー時代の280ポンド(約127キロ)だったとメッセンジャーは言う。

「プロになって今年が20年目なんです。長いことプレーしてきて、これまで関節とかに痛みが出たことはなかったんですけど、体重が重いといつか壊れるんじゃないかと思って……。

 今、私には4人の子どもがいるんですが、その子たちのためにも少しでも長く野球を続けたいし、少しでも一緒にいたいんです。今の体で朝起きると、すごくエネルギッシュですね。240ポンド(約109キロ)くらいが一番いい感じです」

 日本野球を力でねじ伏せてやろうと思っていた選手が、皮肉にもカーブを有効に使い、体を絞ったことで記録にも記憶にも残る選手となった。そうした柔らかい発想ができるようになったことこそが、メッセンジャーを超一流の選手へと押し上げた一番の要因なのだろう。