初めて当たる「タフでしつこい」地元フランス人選手との対戦は、結果的に、錦織圭を完全覚醒させる契機となったかもしれない。「自分のテニスができた。ラリー戦をしっかり組み立てられた相手なので、たぶんそれがやりやすく、ストロークの調子も上がっ…

 初めて当たる「タフでしつこい」地元フランス人選手との対戦は、結果的に、錦織圭を完全覚醒させる契機となったかもしれない。

「自分のテニスができた。ラリー戦をしっかり組み立てられた相手なので、たぶんそれがやりやすく、ストロークの調子も上がったのかなと思います」

 そう語る錦織の口調と表情は、冷静で穏やかなだけになおのこと、深まる自信と満足感を多く含んでいるようだった。



初対戦のジル・シモンをストレートで下した錦織圭

 今大会のここまでの2試合、錦織は勝利を手にしながらも、どこか「自分のテニス」ができぬストレスを抱えてきた。

 初戦で当たったのはすべてのボールを強打する若武者。2回戦のブノワ・ペール(フランス)はセオリー度外視のトリッキーなプレーで、相手に心地よくプレーさせない名人。いずれの対戦相手も、錦織いわく「本当に早い展開が好き」であり、まともに打ち合いをさせてくれぬ曲者(くせもの)であった。

 その錦織が3回戦で対戦したのは、33歳のベテランのジル・シモン(フランス)。錦織とは同時期にトップ10にいたこともあったが、不思議とこれまで試合でネットを挟むことはなかった。

 端正な面立ちの細身なこのフランス人は、相手のパワーを活かすカウンターと、長い打ち合いを得意とする。巧みな打ち分けと配球の妙でミスを誘う戦略家でもあり、2年前の全豪オープンでは当時最強を誇ったノバク・ジョコビッチ(セルビア)から100本のエラーを引き出し、大接戦を演じてみせた。

 それだけに錦織も、対戦前には「あまり他にいないタイプの選手。ミスをさせたり、頭を使ってプレーしてくる選手なので、長い展開になると思います」と警戒心を深めていた。

 その錦織の覚悟どおり、試合は序盤から、互いの思惑と読みが交錯する長い打ち合いが繰り広げられる。第1ゲームこそサーブ好調の錦織が簡単にキープするが、続くシモンのサービスゲームは、いきなり23本のラリー戦で幕を明けた。

 そのラリーのなかで、ボールを打つたびにキリキリとネジを巻くようにタイミングを早め、相手の時間と空間を奪っていったのが錦織だ。また、フラットのボールを基本とするシモンに対し、錦織は低く伸びるバックの強打に鋭く変化するフォアのスピン、さらにはバウンド後に滑るスライスなど、ショットバリエーションで大きく相手を上回った。

 外から見れば息詰まる精神と体力の削り合いだが、当の錦織は水を得た魚のように躍動し、その表情には明るい精悍さが刻まれる。3度のデュースの末に、ウイナーを2本連ねて錦織がブレークしたこのゲームを機に、早くも試合の趨勢(すうせい)は決した。

 第1セットを6−3で奪うと、第2セットは立ち上がりから4ゲーム連取。第3セットはスコアこそ競ったものの、錦織に崩れる気配はまるでない。ラインを捉えるバックのストレートや、ネットを支えるポールとスポンサー看板の間を切り裂き相手コートに刺さる”ポール回し”など、スーパーショットを連発する錦織。そのたびにどこか不思議そうな表情を浮かべていた彼は、後に「ライン際に吸い込まれるようなショットがすごく多くて……そんなに狙ってないのになって心のなかでは思ってましたが」と、いたずらっぽい笑みで振り返る。

「やっとラリー戦を楽しめる相手でしたし、自分の調子もよくて。こういう試合が増えてくると、自然と試合も楽しくなる」

 試合後の錦織は、「楽しい」という言葉を幾度も繰り返した。

 コートに立つことに喜びを覚え、窮状を脱するプロセスも含め試合そのものを楽しむことは、今大会の錦織が掲げるひとつのテーマでもあるだろう。

「次からは、自分が攻めてばかりでは勝てない相手。いろんな駆け引きを、これからも楽しめればと思います」と、さらなる楽しみの追求にも言及した。その錦織が4回戦で対するのは、世界8位のドミニク・ティーム(オーストリア)。今季クレーでラファエル・ナダル(スペイン)に唯一の土をつけた、次代の「赤土の王」候補である。

 ティームは、プレースタイル面ではシモンと大きく異なるものの、端正なショットでラリーを組み立てる、錦織にとっては試合を楽しめるタイプのテニスプレーヤーだろう。「僕は、彼のバックハンドが好き」という言葉にも、対戦を心待ちにする胸の内がにじんでいた。

 対するティームも、「僕も、彼のバックハンドが好きだよ」と笑い、「圭のテニスは見るのも楽しい」と明かす。

「タフなバトルになるだろうが、対戦を楽しみにしている」

 錦織との対戦を控え、ティームもはっきり、そう言った。

 自分のテニスを取り戻し、自らも……そして見る者にも楽しみを与える錦織がいよいよ、上位勢へと立ち向かう。これ以上ないほどに、心躍る舞台が整った。