「今日は朝から、めちゃくちゃ眠かったので……」 多少の照れ隠しもあっただろうか。試合後の会見で「だいぶお疲れのように見えますが?」と問われた錦織圭は、ふわりと笑みを浮かべてそう答えた。地元期待の若手を攻略して初戦…

「今日は朝から、めちゃくちゃ眠かったので……」

 多少の照れ隠しもあっただろうか。試合後の会見で「だいぶお疲れのように見えますが?」と問われた錦織圭は、ふわりと笑みを浮かべてそう答えた。



地元期待の若手を攻略して初戦を突破した錦織圭

 全仏オープン開幕日に組まれた、昨年のウインブルドン以来となるグランドスラムの初戦。錦織の試合は11時開始に続く2試合目であり、実際にはそこまで早い時間のそれではない。それでも「朝早い時間は大変です」と言うほどの切迫感を覚えた真の理由は、もしかしたら、次の言葉にあるかもしれない。

「1回戦だったので、やっぱり緊張はしました。久しぶりのグランドスラムだし、これだけ結果も出ていると、ここでも結果を残したいと自然と思い、自分にプレッシャーをかけるところも出てきてはいるので……」

 4月のモンテカルロ・マスターズ準優勝に象徴されるように、今季はクレーコートでいい結果を残せている。だが、全仏は復帰後初となる5セットマッチで、対戦相手はまったくと言っていいほど情報のない主催者推薦枠の304位の地元選手。それら種々の条件が重なるなか、興奮や不安がないまぜになり、浅い眠りのまま白々と明ける日曜の朝を迎えたとしても不思議ではない。

 その緊張状態にある錦織を襲ったのは、失うもののない対戦相手の「無謀と紙一重」の猛攻だ。21歳のマキシム・ジャンビエ(フランス)はグランドスラムやATPツアーでの本戦出場経験はなく、今回の主催者推薦がようやく手にしたキャリア最大のチャンス。実績が乏しいにもかかわらず、フランステニス協会が彼を推したくなる訳は、193cmの長身から打ち下ろされる強打と柔軟性を見れば納得もいく。

 ベースラインのはるか後方からでも長い腕をしならせ、ボールを全力で叩くその姿に、錦織は「戦前に抱いた想像とは違う。ディフェンスしながらもフラットで打ってくるし、展開も早い」と軽い衝撃を覚えていた。

 一方のジャンビエには「勝機を見いだせるとしたら、攻め続けるしかない」という自覚、そして「これが僕のスタイル。この先いい選手になるためには、攻めきらなくてはならない」との覚悟があった。

 さらに彼は「このような姿勢が、いつか報われると信じている」とも幾度か口にしている。この日のためだけではない、この一戦をキャリアのターニングポイントにして、殻を打ち破りたいという渇望と情熱が若いフランス人を駆り立てていた。

 そんな挑戦者の猪突猛進が錦織を飲みかけたのが、試合開始から間もない第1セットの第5ゲーム。錦織のサーブを全力で引っ叩くジャンビエが、リターンウイナーを重ねて5本のブレークポイントを手にした。それでも錦織は冷静に、サービスウイナーや狙いすましたバックのウイナーで、最初の大きな危機をしのぐ。

「相手のテニスがまだ完成していないので、大事なポイントでミスしてくれた。攻められ続けていましたが、他の部分でなんとか補えた」

 後に錦織が分岐点をそう振り返れば、ジャンビエは「大切なポイントでは、こちらがどんなにいいリターンをしても、彼は崩れなかった。そのことに僕は苛立ってしまった」と悔いる。

 流れ的にはやや押されながらも、タイブレークの末に錦織が第1セットを奪ったときに、試合の趨勢(すうせい)はほぼ決まった。その勢いのまま第2セットは早々にブレークし、第3セットも終盤で4ゲーム連取した錦織が、終わってみれば7-6、6-4、6-3の快勝を手にした。

「序盤はちょっと緊張もありましたが、3セット目くらいで『楽しまないと』と……コートのなかでやっと思い出して。ちょっと気持ちが軽くなったりしました」

 約10ヵ月ぶりに身をさらしたグランドスラムの空気のなか、錦織は試合終盤になってようやく戦いを楽しむことができたという。

「なんか……困難なときも、このシチュエーションをどう組み立てていくかとか、どうやって逆転するかというのを考えるのが楽しくもあるので。楽しむ気持ちは、なるべく忘れないでいきたいです」

 試合前に覚えた緊張や重圧を振り切った錦織は、「楽しむ気持ち」を価値ある勝利とともに抱いて、2回戦へと歩みを進める。