沖縄から東京へ出てきて4度目の春を過ごす。早大のスポーツ科学部の宮里侑樹は、大きな黒目をまっすぐにして言った。「4年になって、沖縄の人と試合をすることが増えて。負けられないな、と、燃える」 中学まで楽しんだバスケットや駅伝で、フットワーク…

 沖縄から東京へ出てきて4度目の春を過ごす。早大のスポーツ科学部の宮里侑樹は、大きな黒目をまっすぐにして言った。

「4年になって、沖縄の人と試合をすることが増えて。負けられないな、と、燃える」

 中学まで楽しんだバスケットや駅伝で、フットワークや体力を鍛えた。沖縄本島は名護市にある名護商工高校で、本格的にラグビーを始めた。このスポーツでは1チーム15人が必要だが、名護商工はおもに少数部隊向けの10人制大会に出場していた。

「学校もそんなでかくないので、誰かを誘おうにも…」

 転機を迎えたのは、3年時だった。早大が沖縄キャラバンに訪れた折、後藤禎和・当時監督が宮里の才能を発掘。大学選手権の優勝回数が歴代最多の15度という伝統校に、代表歴などもない元バスケット少年が門を叩いたのだ。才能は光る。攻撃力を長所に、部員数3桁というクラブでレギュラーを獲得した。

「15人対15人で練習できることが、高校ではありえなかった。環境も変わりました」

 3年目からは、ポジションをそれまでのFLからHOに変えた。スクラムを最前列中央で組み、ラインアウトではボールの投入役を務める専門職だ。経験値に左右される働き場とあって、最上級生となった今季も苦労が絶えない。

 5月5日、茨城・筑波大グラウンド。関東大学春季大会・Bグループの筑波大戦を21-38で落とした後、苦しんだセットプレー(スクラム、ラインアウトの総称)をこう振り返った。

「自爆する場面が多くて…。ラインアウトではセットする前に投げてしまったり、サインミスもあったりしました。スクラムでは自分がフッキングする時に背中が丸まって…。周りのせいではなく自分のスキルの問題だと捉えて、修正したいです」

 特に、技の代名詞ともみられるスクラムの際、地面のボールを足でかく「フッキング」の時に正しい姿勢を保てなかったと悔やんだ。

「去年は『1年目だから…』と言われましたが、今年は2年目。セットプレーで足を引っ張らないように、逆に周りを引っ張れるようにがんばっていきたいです」

 公式で「身長179センチ、体重105キロ」のサイズは、少しずつシャープにしたいという。「NO8(2年時に務めたFW第3列のひとつ)の時は98キロ。去年は106キロにして、全然、走れていなかった。102キロまで落とす予定です」と、さらなる大暴れのための自己改革を誓う。
 
 振り返れば高校時代、最後のシーズンだけは15人制の大会に出られた。野球部やサッカー部を引退した同級生を誘い、願いを叶えたのだ。

「それまでは15人で出たとしても、合同チームだったんです。商工(だけ)で15人制大会に出られたのはよかったです」

 筑波大戦時の段階で卒業後の進路は未定も、国内最高峰のトップリーグでプレーしたいという。選手を広く募るチームでラグビーを知った青年はいま、限られた選手しか挑めない舞台でラグビーを続けたい。(文:向 風見也)