絶対的エースとして男子卓球界を支え続けてきた水谷隼(木下グループ)と、史上最年少の14歳6カ月で全日本を制した張本智和(JOCエリートアカデミー)。この”Wエース”を擁して挑んだ世界卓球選手権ハルムスタッド大会…

 絶対的エースとして男子卓球界を支え続けてきた水谷隼(木下グループ)と、史上最年少の14歳6カ月で全日本を制した張本智和(JOCエリートアカデミー)。この”Wエース”を擁して挑んだ世界卓球選手権ハルムスタッド大会(団体戦)は、日本男子チームにとって予想外の厳しい結果となった。2008年の広州大会以来、5大会連続で獲得してきたメダルを逃したのだ。



世界卓球の準々決勝で韓国に敗れ、6大会ぶりにメダルを逃した日本男子チーム

 卓球は個人競技だが、団体戦の勝敗は対戦した選手の力の差だけで決まるわけではない。Wエースの他にも、世界ランキング9位の丹羽孝希(スヴェンソン)、同14位の松平健太(木下グループ)、同29位の大島祐哉(同)と、着実に力をつけてきた選手たちがチームとして機能しなかったのはなぜか。目の前に見えていたはずの中国の背中が遠ざかってしまった理由はどこにあるのか――。

 2020年の東京五輪に向け、日本チームが突きつけられた課題は決して表層的なものではないように思える。

団体戦の敗北は個人の責任ではない

 ほころびの兆しは、予選グループ第3戦のイングランド戦にあった。

 前回のマレーシア大会では準決勝でぶつかり、日本が激闘を制した。しかし、エースのリアム・ピッチフォードや、リオ五輪の男子シングルスでベスト16に入ったポール・ドリンクホールを中心に、今年のチームワールドカップでも3位に食い込んだ”卓球発祥の国”は手強かった。

 対戦前、過去の国際大会でピッチフォードに3戦3勝、ドリンクホールにも2戦2勝と相性のよかった丹羽が2点起用される予定だったが、倉嶋洋介監督は直前に張本を2点起用するオーダーに変えた。

 その結果、第1試合は水谷がドリンクホールに3-2と競り勝ったものの、続く張本はチームワールドカップでも敗れているピッチフォードに0-3、丹羽もサムエル・ウォーカーに0-3と続けてストレート負けを喫し、最後は水谷がピッチフォードに2-3で屈した。

 試合後、倉嶋監督は「張本を3番に置いて、丹羽を2点使いにするか、最後まで迷ってしまった」と明かし、丹羽も「直前まで僕が2番手で出ると思っていたけど、(オーダーが)変わって、智和も僕も心の準備ができなかった」と戸惑いを口にした。

 だが、このオーダーの変更だけが敗因だったとは思えない。選手たちに走った動揺を、チームとしてカバーする力がなかった現実を直視するべきだ。

 決勝トーナメント準々決勝の韓国戦でも同じことが繰り返された。

「自分が勝って(5番手の)張本に繋げば勝ってくれると思ったが、繋げなくて本当に申し訳ない。自分がもっと強くなっていく必要がある」(水谷)

「競り合いで落としたところがダメだった。勝てなくて悔しい。どんな選手がきても勝てるようになりたい」(張本)

 韓国に1-3で敗れたあと、2人のエースは共に自らの責任に言及したが、チームとしての問題点はどこにあったのか。

 勝敗の分岐点は、水谷の奮闘で1-1のタイに持ち込んだあとの第3試合だった。

 韓国側からみれば、エースの李尚洙(イ・サンス)が水谷に敗れた時点で流れを日本に渡してもおかしくなかったが、3番手の張禹珍(ジャン・ウジン)は世界ランキングが上位の松平を常に受け身に回らせた。「日本にひと泡吹かせてやる」という強い気持ちは、エースが負けても揺らぐことがなかったのである。

 追い詰められたとき、コートに立つ選手を支えるチーム力が韓国にはあり、日本にはなかったと言い切るのは酷かもしれない。それでも、松平が勝負のポイントでリスクを犯してでも攻めるプレーができなかったのは、彼の背中をチームとして支える「何か」が足りなかったということだろう。

なぜ、水谷と張本の”Wエース”は機能しなかったのか

 チームワークによって個々の能力を高めることができなければ、世界選手権の団体戦では勝ち上がることはできない――。

 第1試合でフルゲームの末に鄭栄植(チェン・ヨンスク)に敗れた張本も、1-2と後がない展開で迎えた第4試合で、その鄭栄植にストレートで完敗した水谷も、心の深い部分でそのことを痛感したのではないだろうか。

 戦型の相性の悪さに加え、大会前に腰を痛めた水谷のコンディションは万全ではなかった。それでも本来の水谷なら、あるいは個人戦ならば、百戦錬磨のエースがまったく見せ場を作れないまま終わることはなかっただろう。

 水谷は「相手が気持ちで向かってきて、自分は受け身になってしまった。最初から強気で攻めていけば、もっと相手にプレッシャーをかけられたと思う」とも語った。「卓球は攻める気持ちがないと勝てない競技」と言い続けてきた彼が、なぜ、世界選手権のコートで受け身になってしまったのか。

 銀メダルを獲得した前回のマレーシア大会は、水谷という絶対的なエースを他の選手たちがサポートする形で日本のチームワークが成り立っていた。それに比べて今大会は、張本というセンセーショナルな戦力が新たに加わったことによって、チームの軸とその求心力がぼやけてしまった印象は否めない。張本の加入は水谷の負担を軽くすると思われたが、期待したような”連携”が生まれなかった根源的な理由を、日本チームは考察しなければいけない。

 日本とは対照的にチームとしての力を発揮したのが、地元開催の世界選手権で17年ぶりの銅メダルを獲得したスウェーデンである。

 現在の男子スウェーデン代表には、1990年代に活躍したヨルゲン・パーソンやヤン=オベ・ワルドナーといった、時代に名を刻んだスーパースターの系譜を継ぐ選手がいるわけではない。それでも地元の声援を背に、1次リーグで強豪の香港を破って存在感を示すと、準々決勝では予選リーグで日本の前に立ちはだかったイングランドを3-0のストレートで破ったのだ。

 スウェーデンに卓球留学した経験があり、1983年に行なわれた世界選手権・東京大会で日本代表に名を連ねた織部幸治(ITS三鷹代表)は、「監督のウルフ・カールソンは、長い年月をかけて薄皮を一枚ずつ重ねるように選手の意識を変えていった」と語る。

「選手たちが、『自分が2本、あるいは1本とればいい』と考えていたら、チームの絆は生まれません。カールソンが積み重ねてきた思いを選手たちが根っこの部分で共有していたからこそ、メダルを獲れるレベルにまで個々の能力を高められたと思います。チーム力を向上させることが、個々の選手の力を引き上げることにつながっていく。今回のスウェーデンチームにはそんな力を感じました。それは日本チームにはないものでした」

ライバルがチームメイトになる団体戦で必要になるもの

「団体戦は、チームのことを考えて戦うので難しい」

 水谷がそんなコメントを残したのは、2006年のブレーメン大会である。当時、16歳だった日本卓球界のホープは、前年の上海大会(個人戦)で当時の世界ランク8位の荘智淵(ジュアン・ジーユエン/台湾)を破って鮮烈な世界デビューを飾っていた。しかし、初の団体戦となるブレーメン大会では疲労骨折していた影響もあって、自身は3戦3敗。チームは日本男子卓球史上最低の14位という屈辱を味わった。

 それから10年。張本も今大会終了後に「団体戦は難しい」と同じ思いをつぶやいたが、その背景はまったく違う。

 水谷が「ワールドツアーの予選を通過できただけで大騒ぎしていた」と振り返るように、十数年前の男子卓球界に求められたのは、個人が世界で戦える力をつけることだった。日本の男子団体は2008年の広州大会からメダルを獲得していくことになるのだが、その初期は水谷や岸川聖也といった一部の才能が卓球界を引っ張り、次世代の選手たちの成長を待つ時代でもあった。

 だが、今は違う。

 張本が初めての世界選手権団体戦で直面したのは、日本選手が世界のトップレベルで戦える個々の力をつけたうえでの「団体戦を戦う難しさ」である。

 普段はライバルとして鎬(しのぎ)を削る選手と力を合わせて戦う団体戦は、選手たちが共有できる目標や理念が必要になる。戦後の”卓球ニッポン”を支えた荻村伊智朗(おぎむら・いちろう)氏は強化本部のヘッドコーチを務めたとき、日の丸を背負う選手たちにこんな声をかけ、1967年ストックホルム大会で日本チームを男女とも団体優勝に導いた。

「画家はキャンバスに絵筆で、バイオリニストは音で宇宙を表現する。俺たちは卓球で宇宙を表現するんだ」

「俺たちはただ勝つために卓球をやるんじゃない。人間の文化を向上させるために、ラケットを振るんだ」

 あまりに次元が違いすぎて共鳴できる人は少ないかもしれないが、倉嶋監督が今大会の敗因のひとつに挙げた「メダルを獲ることが当たり前になっていた」という心理で選手たちが戦っていたとすれば、日本チームはメダル獲得以上の価値観を共有できていなかったことになる。

 荻村氏の愛弟子でもある織部氏は、こう指摘する。

「目の前の1勝にばかり気を取られていると、ライバルの存在を意識してしまう。自分という人間を磨くために卓球をしているという感覚を持てば、ライバルも競争相手ではなく、自らを高めてくれる存在として受け止められるようになる。中国の選手が追い詰められても勝負どころで試合を制するプレーができるのは、卓球を深く考えているからだと思います。選手一人ひとりが深い部分で卓球を考えているから、チームになっても強い」

 前向きにとらえれば、今回のつまずきは日本の男子卓球が新たなステージに上がった証(あかし)とも言える。「東京五輪に向け、これを最後の挫折にしたい」という張本の思いを形にするためにも、日本は団体戦で勝つためのアプローチを根本的なところから見つめ直し、実践していかなければいけない。

 卓球ニッポンの遺伝子を受け継ぐ彼らには、その力があるはずである。