3月31日に、2018年シーズンが開幕した四国アイランドリーグplus。昨年、独立リーグ日本一に輝き、ドラフトで伊…
3月31日に、2018年シーズンが開幕した四国アイランドリーグplus。昨年、独立リーグ日本一に輝き、ドラフトで伊藤翔(西武3位)、大蔵彰人(中日育成1位)の2名をNPBに送り込んだ徳島インディゴソックスには、今年も楽しみなルーキーが揃っている。
横芝敬愛高時代、先述した伊藤の先輩にあたる鎌田光津希(みずき)、”ミュージカル俳優”という異色の肩書を持つ和田一詩(かずし)……。そんな”個性派”ルーキーのなかで、野球ファンに最も名が通っているのが、岸潤一郎(きし・じゅんいちろう)だろう。

明徳義塾時代は4度の甲子園に出場した岸潤一郎
小学生時代はオリックスバファローズジュニアに選出。西淀ボーイズ(大阪)を経て、進んだ明徳義塾高(高知)では、投手として名将・馬淵史郎監督のもと、1年夏(2012年)を皮切りに計4回甲子園に出場した。
高校卒業後は、馬淵監督の母校・拓殖大に進学。順風満帆――そう形容しても何ら違和感のない野球人生を歩んでいたが、昨秋、大きく風向きが変わった。野球部を退部し、大学からも去る決断を下したのだ。
「完全に気持ちが切れてしまって……。もう野球は、絶対にやらないと思っていました」
3月中旬のある日。岸は凛とした表情を崩さず、そして包み隠すことなく、当時の心境を振り返った。
「馬淵監督に『4年後にドラフト1位でプロに行けるような選手になってこい』と送り出していただきました。ただ、ヒジを手術したこともあって、苦しい時期が続いてしまって」
大学入学後、最初に異変を感じたのは肩だった。その肩を無意識にかばううちに、今度はヒジにも支障をきたす。肩の状態が上向くとヒジが痛む、ヒジが良化すると今度は肩の痛みが再発する……。そんな一進一退の日々の果てに、右ヒジの痛みが限界に達し、トミー・ジョン手術に踏み切った。
手術を終え、リハビリに明け暮れる生活がスタート。先の見えづらい日々を過ごすうちに、岸の気持ちは、次第に野球から離れていった。
「プロを目指して野球をやっている人間が、楽しい、楽しくないといった基準でやるべきじゃないのはわかっているんですが、手術をしてからは、どんどん『野球を楽しむ』という感覚がなくなっていきました。ここで完全に気持ちが切れてしまって」
“甲子園の申し子”。そんな表現もされた岸と野球の間に生じた埋められない溝。当然、周囲は引き留めたが、岸本人の気持ちは変わらなかった。そして、3年生の秋に野球部を退部した。
「そのときは『もうプロを目指して野球をやることはないだろう』と本気で思っていました。大学の野球部を退部するときに、グラブやバットもほとんど人に譲りました。それくらい気持ちが野球から離れていました」
手元に残した野球道具はバット1本のみ。それも「草野球に誘われたときにでも使おう」という理由からだった。この時、”本気の野球”への未練は一切なかった。
今回の取材にあたり、ひとつ気になっていたことがあった。高校時代、甲子園出場選手が提出するアンケートにある「将来の夢」の項目に、岸が「保育士」と記入していた大会があったのだ。冷静沈着なマウンドさばきとのギャップもあり、高校野球ファンには知られていたエピソードだ。いわばもうひとつの夢とも言える保育士を目指す道は考えなかったのだろうか。
「めちゃくちゃ子どもが好きで、中学校のとき職場体験でお世話になった保育園に『手伝わせてください!』と中学卒業まで通わせてもらったくらい。確かに『やってみたい仕事』でしたが、野球をやめて、大学まで退学した自分が『資格を取るために、学校に行きたい』というのは自分勝手過ぎる。迷惑をかけている親に、これ以上の負担をかけることは考えられませんでした」
一般企業に就職しようと考えが決まり始めていた頃、徳島インディゴソックスの南啓介球団社長から、両親を通じて「アイランドリーグでプレーしてみないか」と連絡が舞い込んだ。
「野球はもうやらない」と決心していたように、当初は断るつもりだったが、環境面、方針について話を聞くうちに、再び野球へと気持ちが傾いていった。自身を思う熱心なアプローチに加えて、「もう一度、野球をしている姿が見たい」という両親の言葉も大きな後押しとなり、挑戦を決意する。
そして、昨年11月に開催されたトライアウトで特別合格を勝ち取り、リーグ内のドラフトで徳島へ。独立リーグに挑戦する大きなきっかけを与えてくれた南球団社長のもとでプレーすることが決まった。
登録上は投手だが、現在は主に「1番・一塁」で試合出場を重ねている。打順、ポジションともに、あまりこれまでの岸の印象にないものだ。
「1番は少年野球時代に少し、一塁は高校時代に数回やった程度です。打つ方は試合を重ねるなかで、試合勘が戻りつつありますし、1番といえども初回以降は走者を置いた場面で回ることもある。そういった場面では高校時代に中軸を打った経験が生かせるんじゃないかなと。ヒジの状態もあって守備は一塁を守らせてもらっていますが、送球を投げるときも特に問題はありません」
出塁することが求められる1番打者。打線のなかでの役割を考える上でも明徳義塾での学びが生きているという。
「単純に『打率を上げよう』とだけ考えると、すぐに頭打ちになってしまう。けれども『出塁率を上げよう』という目標に変えると、色々な選択肢が出てくる。粘ってフォアボールを奪う、守備のシフトを観察してセーフティバントを狙ってみる……。やれることは無数にあります。こういった『勝つために何をやるべきか』という考え方は明徳で学んだもの。本当にいい野球を教えていただいたと思っています」
大学を中退しての独立リーグ挑戦のため、規定上、今秋のドラフトでは指名対象外となる。NPBに進めるのは最短でも2年後。あくまで現状の”予定”ではあるが、この2年間のなかで、ヒジの状態を見ながら登録通り投手として出場する可能性もある。
「今は一塁の守備を極めることしか考えていませんが、ヒジの状態が上がってくれば、外野などの他のポジションに移って、成績を見ながら投手再転向も考えよう、という話を首脳陣としています。ただ、自分としては『必ず投手に!』という気持ちはなく、投手、野手どちらでプレーしたほうがNPBに近いか、といった視点で考えたい。まずは野手として試合に出続けること、結果を残すことが重要だと思っています」
取材中、「野球を職業にする以上」という趣旨の発言を繰り返していた岸。そこには再び野球に向き合うことに対する強い決意がある。
「野球を職業にする以上、結果を出し続けなければいけないと思っています。高校時代の活躍を多くの方が覚えていてくださるのは、すごくありがたいことです。でも、ここまでの過程から生まれる”話題性”だけでは意味がない。『野球でメシを食う』立場になった自分に、一番必要なのは結果ですから」
結果へのこだわりと同時に、自身が下した決断への”責任”も持ちたいと話す。
「南球団社長からの連絡や『プレーする姿が見たい』という親の言葉は大きな後押しになりました。でも、『もう一度野球をしよう』と最後に決定を下したのは自分自身。決断に責任を持って2年後、NPBに行けるように取り組みます」
4度の甲子園出場をはじめ、数多くの栄光を掴んだ四国は、岸にとってゆかりのある土地に感じられる。しかしながら、「思い出の詰まった土地で……」と本人に投げかけると、少し困ったような表情を浮かべ、こんな答えが返ってきた。
「よく『思い出の地に戻ってきて、どうですか?』と聞かれるんですが、明徳のときは寮とグラウンドで過ごす時間が圧倒的に多かったので、正直あんまり……(笑)。それに徳島開催の四国大会の出場を逃したこともあって、徳島は四国のなかでも一番馴染みがないんですよね」
さまざまな運命が絡み合い、自身にとって「空白の地」である徳島に導かれた。その徳島で、再び野球に打ち込む日々が始まり、忘れていた「野球を楽しむ気持ち」を取り戻したという。
「今、野球が本当に楽しくて。野球少年に戻ったような気持ち。練習や試合が終わると『はよ明日が来んかな』と思ってますもん」
一度は途切れそうになりながらも、徳島で再び動き始めた岸潤一郎の野球人生。2年後、「空白の地」には、夢に向かって挑戦した軌跡がはっきりと記されているはずだ。