マラソンをはじめとしたスポーツで視覚障がい者の方が競技する場合、“伴走者”の存在が欠かせません。コースを外れないよう誘導したり、障害物を避けたり。もちろん給水所でドリンクを取ることも、視覚障がい者にとっては困難なこと。伴走者は視覚障がい者…

 マラソンをはじめとしたスポーツで視覚障がい者の方が競技する場合、“伴走者”の存在が欠かせません。コースを外れないよう誘導したり、障害物を避けたり。もちろん給水所でドリンクを取ることも、視覚障がい者にとっては困難なこと。伴走者は視覚障がい者の目となって、競技をサポートする役割を担います。安全に、かつ目標を達成するためには、よき伴走者とも出会いが大切といえるでしょう。

 そんな“伴走者”を主人公とした小説が、今回ご紹介する『伴走者』(著者:浅生鴨/ 出版:講談社)です。

 

競技者と伴走者との絆を描いた作品

 本作品は2部構成になっています。まずは夏のマラソン編。そしてもう1つが、冬のスキー編です。勝つために走るマラソンランナーと、才能あふれる女子高生スキーヤー。それぞれに伴走者との出会い、ともに競技していく過程、そして大会での競技にいたるまでが鮮明に描かれています。作者である浅生鴨氏は、長年にわたってオリンピックやパラリンピックなどの大会を取材してきた人物。その経験があればこそ、小説には迫力と臨場感が生み出されているのでしょう。

 特におもしろいのは、伴走者あるいは選手側の心情についても直球的に描写されている点。たとえば勝利のために手段を選ばず、「汚い」と言われても仕方のないようなこともしていく。あるいは、伴走者と選手との間では口論や反発などもたびたび起こります。

 しかし結果的に、それらはすべて勝利あるいは競技者と伴走者との絆を強固なものとします。本気で競技に取り組み、心からその選手を支えたいと願えばこそのものなのだと、ストーリーを通じて理解させてくれました。

伴走者という存在について教えてくれる

 伴走者は、ただ一緒に競技すればいいというものではありません。常に選手、そして周囲に気を配りながら、選手が最高のパフォーマンスを発揮できるようサポートすることが必要です。フォームや息づかい、表情など。そうした細かなことから情報を集め、判断しなくてはいけません。

 もちろん競技者側も、要望があれば伴走者に伝えます。しかしそこには、強い信頼関係がなければ成り立ちません。競技力だけでなく、伴走者としての技術も含めて高い水準にあればこそ。私も以前に視覚障がい者のランナーとお話したことがありますが、その方は「今の伴走者じゃなければ、今の走りはできない」と言っていました。それほどに、視覚障がい者にとって誰が伴走するのかということは重要な意味を持ち、もはやパートナーとさえ呼べる存在なのです。

 視覚障がい者にとっての、伴走者という存在。その意義や大きさを、本著はストーリーを通じて読者に教えてくれます。もちろん伴走者側の視点から、その難しさ、やりがい、そして喜びもまた感じ取れることでしょう。私は本著を読み終えた際、素直に「おもしろかった」と感じました。そこには感動など多くの感情が含まれますが、読者の立場や考え方によって、いろいろな感想が聞こえそうな小説だと思います。例えば私は伴走経験がありませんが、もし経験後に改めて本著を読めば、「おもしろさ」より「共感」が上回るのかもしれません。

 障害の有無にかかわらず同じスポーツを行う競技者であり、それぞれに目標を持って取り組んでいます。健常者にとって、視覚障がい者、あるいはそれを支える伴走者の世界を垣間見る機会は、あまりないでしょう。しかし伴走者を育成するような団体も存在しています。

 伴走者という「競技への関わり方」に出会い、興味を持つ。そして、そうした活動の扉を開ける人が、本著を通じて増えてくるかもしれません。

 

[筆者プロフィール]
三河賢文(みかわ・まさふみ)
“走る”フリーライターとして、スポーツ分野を中心とした取材・執筆・編集を実施。自身もマラソンやトライアスロン競技に取り組むほか、学生時代の競技経験を活かし、中学校の陸上部で技術指導も担う。またトレーニングサービス『WILD MOVE』を主宰し、子ども向けの運動教室、ランナー向けのパーソナルトレーニングなども行っている。3児の子持ち。ナレッジ・リンクス(株)代表。
【HP】http://www.run-writer.com

<Text:三河賢文/Photo:Getty Images>