【第33回】アニマル浜口が語る「国際プロレスとはなんだ?」 日本プロレス史に残る試合を魅せる一方、プロモーターとしてAWAを率い、NWAやWWWF(WWFを経て現WWE)と対抗したバーン・ガニア。師と仰ぐ国際プロレスの吉原功(よしはら・…
【第33回】アニマル浜口が語る「国際プロレスとはなんだ?」
日本プロレス史に残る試合を魅せる一方、プロモーターとしてAWAを率い、NWAやWWWF(WWFを経て現WWE)と対抗したバーン・ガニア。師と仰ぐ国際プロレスの吉原功(よしはら・いさお)社長と重ね合わせながら、アニマル浜口が「AWAの帝王」バーン・ガニアの功績を振り返る。
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日本のマットでも名を馳せたバーン・ガニア
「AWAの帝王」バーン・ガニア(1)
「バーン・ガニアが来日して国際プロレスのリングに上がるときは、いつも財布を渡されていましたね。革の分厚い財布で、中に100ドル札がビッシリと入っていました。僕は彼の付け人というわけではないんですけど、信用されていたのか、『俺の試合中、預かっておけ』と」
大胆にして、剛毅――そんなイメージがありながら、アニマル浜口が実は繊細で几帳面、危機管理能力に長(た)けていることはプロレスやレスリング関係者なら誰もが知るところだ。脱いだものはきれいにハンガーにかけ、服もきちんとたたむ。現役時代に付け人がつくようになってからも、テレビ出演や講演などでマネージャーと全国をまわるようになった今も、変わらず自分の手で。
2018年1月、カヌーの選手が日本代表の座を争うライバルのドリンクボトルに禁止薬物を混入し、ドーピング違反の罪を着せようとした事件が発覚。日本オリンピック委員会や各競技団体などは今ごろになって、選手にドリンクや食事など口に入れるものに細心の注意を払うよう指導し始めた。
しかし、浜口は娘・京子がレスリング世界選手権に出場するようになった20年以上も前から、「ペットボトルや水筒は、財布やパスポートと同じだ。バッグに入れて、常に自分の目の届くところに置いておけ」「ペットボトルはキャップを開ける際、新品かどうか確かめろ」「たとえアメ玉ひとつでも、信用できる人以外からもらったものは口にするな」と口うるさく注意し、危機管理を徹底させていた。
来日したガニアは、浜口のそんな性格を数回会っただけで見抜いたからこそ、絶対的な信用を寄せたのだろう。もしかしたら、浜口の目を見ただけで瞬時にわかったのかもしれない。
1926年、アメリカ・ミネソタ州で生まれたガニアは、子どものころからスポーツ万能だった。ミネソタ大学に進学し、1948年のロンドンオリンピックでレスリング・フリースタイルのアメリカ代表となったかと思えば、アメリカンフットボールの最高峰NFLでもシカゴ・ベアーズからドラフト指名を受けてプレーした。
その運動能力を買われたガニアは、1949年に「期待の新人」としてNWAと契約。プロレスデビューを果たすと、1951年には早くもNWA世界ジュニアヘビー級王座決定トーナメントで優勝した。
さらに1958年には、エドワード・カーペンティアを破って世界ヘビー級王座を獲得。ガニアはたちまち人気・実力ともにスター選手へと登り詰めた。同時代に活躍した「鉄人」ルー・テーズもガニアのことを、「正統派ベストレスラーのひとり」として認めている。
ところが1960年、ガニアはNWAのサム・マソニック会長ら上層部との確執から団体を離れ、新たにAWAを設立。NWA世界ヘビー級チャンピオンだったパット・オコーナーを招聘し、AWA世界ヘビー級初代チャンピオンに認定した。
しかし、オコーナーがガニアとの対戦を拒否したため、自らAWA世界ヘビー級王座に就き、以後20年間にわたって通算10回も王座を獲得。また、そのベルトをNWA世界ヘビー級王座に匹敵するビッグタイトルにしただけでなく、トップレスラー兼プロモーターとしてAWAをNWA やWWWFと並ぶメジャー団体へと押し上げた。
ガニアが初めて来日したのは1970年。2月5日、大阪府立体育会館でストロング小林とAWA世界ヘビー級タイトルマッチを行ない、ドローで王座を防衛する。その際、国際プロレスと業務提携し、同時期に来日していたモンスター・ロシモフ(後のアンドレ・ザ・ジャイアント)やビル・ロビンソンと知り合い、彼らをアメリカに進出させてトップレスラーへと育て上げた。
「そうした流れで、国際プロレスから僕たちもAWAのスーパースターが集まるエリアへ遠征しました」
1974年、ガニアはAWA世界タッグチャンピオンのニック・ボックウィンクル&レイ・スティーブンスをともなって2度目の来日を果たすと、自らはAWA世界ヘビー級チャンピオンとして11月20日に東京・蔵前国技館でビル・ロビンソンと対決する。AWAの本拠地ミネアポリス、さらにはシカゴやデンバーなどで行なわれてきた「人気カード」が日本で実現することになった。
これが後に、「プロレス史上、屈指の名勝負」として語り継がれることになる――。
(つづく)
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