「パレードを終えて、あらためて仙台に帰って来たなと感じましたし、あらためて金メダルの重みを感じました。平昌五輪の時は、仙台でみんなが応援できる場を設けてくれていたことをニュースで知って、その一つひとつの力が僕を後押ししてくれていたんだな…

「パレードを終えて、あらためて仙台に帰って来たなと感じましたし、あらためて金メダルの重みを感じました。平昌五輪の時は、仙台でみんなが応援できる場を設けてくれていたことをニュースで知って、その一つひとつの力が僕を後押ししてくれていたんだなと、あらためて感じました。パレードでは、多くの人が僕ひとりに注目してくれましたが、その温かい目や『おめでとう』と言ってくれる声が、自分の脳裏に焼きつきました」

 4月22日、仙台市で行なわれた「2連覇おめでとう」パレードの後、羽生結弦は記者会見でこう語った。



会見で、故郷への思いについて語った羽生結弦

 ソチ五輪に続く五輪連覇を達成したことで、宮城県からの2度目となる”県民栄誉賞”や仙台市から”賛辞の楯”なども授与され、4年前より少し長くなった約1.1kmを40分ほどかけてパレード。詰めかけた10万人を超える観客に、車上から勝利の報告とお礼の言葉を伝えた。

 羽生は、ソチ五輪と今回の金メダルの違いを質問されるとこう答えた。

「ソチの時は自分の気持ちが未来に向かっていて『これから次へ向かって走っていくんだ』という気持ちでした。でも今回は、自分がやり切って五輪連覇という夢を実現できたし、みなさんの応援や期待を受け止めて、それに応える形で金メダルをちゃんと獲れたと実感しました」

 そして、地元である東北へ向けての思いも口にした。

「僕はソチの2年前まで仙台でスケートを続けていました。その後、世界のトップになるためにカナダに拠点を移しましたけど、今、金メダルを持って再び戻って来ることができました。僕がそれまで仙台でスケートを続けられていたのは、トリノ五輪で荒川静香さんが優勝してアイスリンクに補助金がおりるなど、支援があったおかげです。

 だから、これからは僕がそういう存在になれたらいいなと思いますし、東北のスポーツで施設に苦しむ人たちが笑顔になれるきっかけになれたらと思います。企業や県や市を含めて、少しでもスポーツが発展してくれるような状況になれば……」

 その1週間前、羽生は自身が企画・プロデュースしたアイスショーの『コンティニューズ ウィズ ウィングス』で、現役続行への強い思いと、次のシーズンへの意欲も語っていた。

「五輪終了直後は、自分の口から”達成感”や”幸福”という単語が多く出ていて、どうするかわからないと言っていましたが、今は意欲的に試合に出たいなという気持ちになっている」

 ジャンプに関しては、ケガをしている右足を大きく使うループやルッツ、フリップはジャンプを跳ぶ動作さえしていないため、その練習を始めた時の状況を見て再考する必要もあるかもしれないが、「グランプリシリーズから出場する気持ちになっている」という。

「プログラムに関しては、曲も何も決まっていないですけど、試合に出るというのは自分の中でしっかり決めているので、なるべく早く始動しなければいけないなと思っています。

 ただ、試合をやるにあたって、モチベーションとしてこれまでは『どうやって勝てるプログラムを作るか』なども含めて考えていましたけど、これからは自分がやりたいなと思う曲とか、自分が見せたいなと思うプログラムを考えながら選曲や振り付けを決めていきたいと考えています」

 勝負を意識するというよりも、自分の思いを込めて、プログラムを追求していきたいという思い。彼がこれまでの羽生結弦の演技を、今季どうやって昇華させていくのか──それを観られる楽しみも出てきた。

 羽生は、さらに高い志も表明した。それは4月26日に行なわれた日本スケート連盟優秀選手表彰式の会場での発言だった。

「五輪連覇の達成感はありましたが、自分が企画したアイスショーをやって思ったことは、自分が現役としてまだまだ足りない部分があるということでした。だから、さらに追求するものを見つけてそれを追いかけていきたい。まだ練習でも決めたことがない4回転アクセルを決めたいと思うし、それができるようになったら5回転ジャンプにも挑戦したい。誰もやったことがないものだから、そんなに簡単にできるとは思わないですが、練習を積んで、いつかはできるようにしたい」

 尽きることのない進化への希求。自らに課していた”五輪連覇”という重荷を背中から下ろした羽生は、新たな挑戦への道を歩もうとしている。