現地時間の5月3日、米国、そして日本中に巨大な衝撃が走った。 MLBシアトル・マリナーズのイチローが、今シーズン残…
現地時間の5月3日、米国、そして日本中に巨大な衝撃が走った。
MLBシアトル・マリナーズのイチローが、今シーズン残りの試合ではプレーせず、マリナーズの球団特別アドバイザーに就任したことが発表され、イチロー自身も会見を行った。今後もチームに帯同し、「現役プレーヤーのドアは閉じていない。来年以降にプレーをする可能性はある」(ジェリー・ディポトGM)とする一方で、今回の契約は異例の「生涯契約」とされる。
現役続行の可能性を閉ざさなかったのは、来年に予定されている日本での開幕戦を意識したものとも思われるが、それまでのブランクや年齢を考えれば、今回の決断を”事実上の引退”ととらえるのが常識的な解釈かもしれない。しかし、これまでもイチローは何度も”常識”をやすやすと打ち破ってきただけに、あるいは……。
イチローの歴史は「常識をはるかに超えた衝撃」の連続だった。Sportivaでは2016年6月に、イチローのメジャーデビュー時に当時の大物プレーヤーたちが受けた衝撃の大きさを特集記事にした。この機会に当時のコメントを再録して、あらためてイチローという存在の偉大さを胸に刻みたい。
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「イチロー選手のバッティングをどう思いますか?」と、2001年の夏にメジャーの選手たちに聞いて回ったことがある。
「イチローはミートをしたら、飛んでいくように走り出すんだ」
「ゴロが真っすぐ野手に飛ぶことを願うよ。でなければ、セーフだからね」
イチローについて楽しそうに話す選手たちの表情は、今でもはっきりと覚えている。日本からアメリカに渡った”ルーキー”は、メジャーでもヒットを1本、また1本と積み重ね、今では「生きる伝説」となっている。

メジャー1年目の2001年、首位打者、盗塁王に輝き、新人王、MVPを獲得したイチロー
当時、イチローのここまでの活躍を予想した人はどれだけいたのだろうか。2001年の夏、メジャーの選手たちがイチローに受けた衝撃をあらためて振り返ってみたい。
ティム・ハドソン(当時アスレチックス/投手)は、イチローがメジャーの公式戦で初めて対戦した投手で、イチローが渡米する前年の2000年に20勝をマークしていた。
「ゴロをよく打つということは、僕のピッチングスタイルに合うんだけど、彼はスピード感にあふれたプレーが持ち味だからね。内野ゴロを打たせたからといって、送球が彼より先にファーストへ届くとは限らないからね。また、彼のバッティングを見ていると、本当にうまいなぁと思うよ。ボールが来るまで手はちゃんとうしろに残っている。だからバランスを崩されても空振りしないし、最低でもファウルで逃げることができる。メジャーではコツンと当てるようなスタイルは成功しないんだけど、イチローはコツンと当てるだけでなくハードな打球も打てる。彼はあのスタイルをワンランク上に押し上げた。感服するよ」
ジェイソン・ジアンビ(当時アスレチックス/内野手)は、この前年にア・リーグMVPを獲得するなど、メジャーを代表するスラッガーであった。
「93年にハワイのウインターリーグで一緒にプレーしたことはよく覚えているよ。彼が首位打者で、僕が2位だったかな。イチローのバッティングは難しいよね。常に打席で動いているから、目と手がよほど合わないと成功しないスタイルだよね。ボールも動いている、彼も動いている。それであれだけボールをバットに当てられるんだから(笑)」
ラモン・ヘルナンデス(当時アスレチックス/捕手)は、マスク越しに見たイチローの衝撃について、こう話してくれた。
「イチローを見れば、誰だって外角を攻めようと考えるよね。外角をホームランにするパワーがあるようには見えないんだから。だから外角で攻めて、ゴロを打たしていたんだけど……。緩めのボールを交ぜたり、いろんなことをやったけれど、彼はヒットにしてしまう。打つときに体が前に飛び出すんだけど、手はうしろに残っていて、ボールを自在に操っている。そしてミートしたら飛んでいくように走り出す。今、メジャーでそういうことができるのは、イチローぐらいじゃないかな」
イチローはこの年、オールスターにも出場を果たした。ファンからの得票数は両リーグ1位という快挙だった。オールスターではメジャー屈指の左腕、マイク・ハンプトン(当時ロッキーズ/投手)とも対戦した。
「私は4、5球かけて三振を取るより、ゴロを打たせて1球で打ち取るほうがいいという考えだ。肩も長持ちするし、走者がいればダブルプレーも狙えるから。ただし、イチローが打者のときは、ゴロが真っすぐ野手に飛ぶことを願うばかりだよ。でなければセーフだからね。イチローはスピードで相手のディフェンスに問題を引き起こす。味方にいれば、最高の選手だな」
デビッド・エクスタイン(当時エンゼルス/内野手)は、2006年のワールドシリーズでMVPを獲得するなどメジャーを代表する遊撃手だが、この年、2001年は初めてメジャー昇格を果たした期待の新人選手だった。
「彼のスピードにディフェンスが変えられてしまう。ボールがバットに当たった瞬間、一塁に向かって走っているからね。僕にとって、足が速くて、コツコツと当ててくるタイプの打者は守っていて興奮するんだ。ギリギリのプレーになることはわかっているので、定位置より浅めに守り、打った瞬間にチャージをかけて突進するんだよ。ただイチローは例外で、正面に打ってくれと願っているさ(笑)。本来、左打者の場合はセカンドベース寄りに守るんだけど、イチローのときは定位置だったり、サードベース寄りにシフトすることもある。彼の打球が三遊間に飛んだ場合、セカンドベース寄りにいるとアウトにするのが難しい。さらに彼は、ハードな打球も打てるので、ただ浅く守ればいいわけではない。しかも出塁されると、これがまた厄介なんだ(笑)」
今、メジャーでプレーしている選手に聞いても同じような答えが返ってくるのではないだろうか。年を重ねたとはいえ、今もプレースタイルが変わらないイチローを見ていると、そんなことを思ってしまう。そして、ここに並んだ名前を見て「懐かしさ」を感じるのは、すでに彼らが現役を終えているからだろう。だからこそ、いまだ現役でプレーしているイチローのすごさがより際立って見える。
このときの取材では、メジャー通算3000安打を超える偉大なふたりの打者にも話を聞くことができた。ひとりはメジャーで8度の首位打者に輝き、2014年に惜しくもこの世を去ったトニー・グウィン(当時パドレス/外野手)だ。
「メジャーは今、パワーヒッターがコンタクトヒッターのように3割5分を打つ時代だ。お金も彼らに集中する。すると、コンタクトヒッターもパワーをつけてホームランを狙い出す。ヒット狙いで出塁率が高く、盗塁をもして得点が多いという純粋なコンタクトヒッターは本当に少なくなったよ。今、メジャーを見渡しても、純粋なコンタクトヒッターといえるのは、イチローだけだ」
メジャー通算3010安打を記録し、首位打者5回のウェイド・ボッグスは、当時、デビルレイズの打撃コーチとして対戦相手のイチローのバッティングを見ていた。
「私の打撃スタイルに近いかと聞かれれば……少し似ているかもしれないが、微妙な違いがある。イチローの重心は、私より前に乗っている。私は前足に向かってスイングしていたけど、イチローは前足を使ってスイングする。後足を引きずるスタイルで、地面から5センチと離れていないボールでも打ててしまう。この独特のスタイルをほかの選手が真似するのは難しいと思う。普通とは逆だからね」
その言葉通り、今日までメジャーにイチローのような選手は出現していない。なにより、イチローのように「故障者リスト」にほとんど入ることないまま、現役を続けている選手は皆無に等しいのではないだろうか。これはヒットを何千本打つことよりもすごいことだと思う。それだけでもイチローはメジャーの長い歴史の中で、唯一無二の選手なのである。
最後に、時計の針を戻して1997年3月、アリゾナ州・スコッツデールでの話を紹介したい。この前年にメジャー史上2人目となる40本塁打・40盗塁を達成したバリー・ボンズ(当時ジャイアンツ)に取材をお願いしたときのことだった。
「ノモのことだったらお断りだよ。違う? じゃあ、あれだ。アラブ(伊良部)のことだろ?」
最初は露骨に嫌な顔をしていたが、気がつけばボンズのほうから日本の野球について話をしてきてくれた。
「(前年に開催された日米野球について)誰だっけ……ほら、あの選手だよ。思い出した、イチローだ! 彼のプレーを見るのは楽しかったなぁ。イチローも鳥かご(おそらく日本の球場のこと)のようなところで野球をやってないで、早くアメリカに来ればいいのに。イチローなら絶対にメジャーでも通用するよ」
そして今シーズン、イチローはマーリンズのベテラン選手として、ボンズは打撃コーチとして同じユニフォームを着て戦っている。イチローの好調の要因にボンズからの助言があったと聞くと、言いようのない不思議な気持ちになるのだった。
大物メジャーリーガーたちに衝撃を与えたイチローのバッティングは、時が経っても色褪せるどころか輝きを増しているように思えてならない。