松坂大輔には”天の邪鬼(あまのじゃく)”なところがある。 トレーニングで長々と走らされるの…

 松坂大輔には”天の邪鬼(あまのじゃく)”なところがある。

 トレーニングで長々と走らされるのは大嫌いでも、たとえばフリスビーを投げられればどこまでも走って捕りにいく。サッカーボールを蹴られれば、いつまでもボールを追いかけている。松坂は、誰かが見ているところで長距離走に取り組んで、わかりやすく一生懸命さをアピールするのが嫌いなのだ。

 本来、練習のための練習をしない松坂だが、人に見られていると、つい手を抜いた振りをしたくなる。やっている振りをしたくなるというならわかるが、松坂の場合、人目があるとやってない振りをしたくなる性分なのである。



日本球界で12年ぶりの勝利を挙げた松坂大輔(写真右)を称える森繁和監督

 そんな天の邪鬼な松坂のことを、この指揮官はよくわかっている。松坂がドラゴンズで初勝利を挙げた4月30日の試合後、森繁和監督はこんな話をしていた。

「今日はねぇ、5回の時点で代えようと思っていたんですよ。球数も100球だったし、勝利投手の権利を持ったまま早めに代えてもいいのかなと思って、本人に声を掛けたら、『行きます』って……アイツの中には、先発ピッチャーというのは5回じゃなく6回、球数が120球ぐらいいくのが当たり前だという考えがあるんでしょう。

 まぁ、行くかと訊けばアイツは必ず行くと言うだろうし、だったらと思って、次、6回を投げ終えてベンチへ帰ってきたときに『もう1回行け』と言ったら、今度は『無理です』と(笑)。行くなと言えば行くというし、行けと言ったら逆言うし、そのへんはマツらしんだけど……」

 おもしろいなと思ったのは、森監督のその話が、松坂の話とは微妙に食い違っていたところだった。松坂はこう言っている。

「冗談っぽく『最後まで投げろ』と……僕が答えを返す前にはもう戻っちゃって、いなくなっていたので、ああ、これは交代だな、と。6回の僕が投げていたボールを見て、たぶん代えられるだろうなと思っていました。(もう無理です、とは)言ってないです」

 つまりは、最後まで行けと冗談で言った森監督は、松坂が何も言っていないのに「無理です」というフレーズを聞いた気になっていたのである。いわゆる”阿吽(あうん)の呼吸”というヤツだ。

 いまどき、交代を打診したときにその申し出に逆らって続投を直訴し、それが実現する、などという監督とピッチャーの関係はあまり聞いたことがない。昭和のプロ野球では珍しくもない話だったのに、よくも悪くも今はそういう関係がドライになっているのだろう。昭和の匂いがぷんぷんする森監督と松坂には、そういうエピソードがやけに似合う。

 試合中もこんな場面があった。

 3-0とドラゴンズがリードした5回表、ベイスターズの攻撃。

 先頭の戸柱恭孝(やすたか)の打ったゴロが二遊間に転がり、これが内野安打となる。ワンアウトのあと、大和、筒香嘉智を続けて歩かせたワンアウト満塁のピンチで、松坂は4番のホセ・ロペスをサードゴロに打ち取った。これでツーアウトとして、バッターボックスに5番の宮﨑敏郎を迎える。この日の宮﨑は松坂のカーブ、スライダーを立て続けにヒットにしていて、この場面は緩い変化球を投げにくい状況にあった。

 初球、膝元を狙ったカットボールが外に外れる。

 2球目も同じところへ投げたカットボールが浮いて、ボールツーとなった。

 3球目、キャッチャーの大野奨太が今度は外に構える。アウトローを狙ったカットボールは低く外れて、スリーボール、ノーストライクとなったところで、松坂はマウンドの前でキャッチャーの返球を受け取ると、プレートを通過。そのままマウンドの後方でユニフォームの裾を直すふりをして、間を取った。松坂がこう言っていたことがある。

「僕には、僕とは別の視点で松坂大輔を見ている”もう一人の自分”がいるんです。僕が『ここはこうしよう』と思っても、もう一人の自分が『いやいや、違う、ここはこういった方がいい』と言ってくる。こんな話をすると、一人でブツブツ言ってるおかしなヤツだと思われちゃうんですけど(苦笑)、でも、僕はいざというときはそういうことを必ずやって、こういうタイプのバッターに、こういうケースではどういう球を投げるべきかということを確認しています」

 点差、イニング、ランナー、バッター、カウント……あらゆる状況を頭の中で整理して、ゆっくりとマウンドに戻った松坂は、キャッチャーのサインをのぞき込んだ。すんなり頷いての4球目、大野奨太はアウトローに構える。松坂が投げ込んだのは、高めに浮く、明らかなボール球となるカットボールだった。

 結局、ストレートのフォアボールで押し出し、1-3とドラゴンズは2点差に詰め寄られた。イヤな空気が辺りを包んだこのとき、松坂が考えていたのはネガティブなことではなく、押し出しでいい、ということだったのである。

「ランナーをためたところで宮﨑くんだったんですけど、もちろん、彼(宮﨑)のところで打ち取れればよかったんですけど、あそこは最悪、押し出しで1点をあげてもいいかな、ということは頭にありました。甘くいって長打を打たれるよりは、ああいう形で最少失点の方がいいのかなって……」

 そのコメントを聞いた森監督は、こう反応する。

「フォアボールで押し出し、1点取られるよりも、打たれて2、3点を取られる方がイヤだっていう、そういうことを考えられるピッチャーがマツの他にいるのかなと……そう考えられるところが、アイツらしいなと思います」

 ピッチャーとしての性根が座っている松坂と、それを理解して褒め称える指揮官。森監督が信じていたことはそれだけではない。

 何日ぶりの勝利だと言われる松坂だが、投げられなかった時期と、勝てなかった時期は似て非なるものだ。身体と向き合うことしかできない、投げられなかったホークスでの3年間、もうピッチャーとしては終わりだと揶揄(やゆ)された松坂は、それでも勝つことへの自信を失うことはなかった。そして、ようやく身体と向き合うだけの時期を脱し、技術と向き合えるようになった去年の秋、その松坂の言葉を真っ先に信じてくれたのが森監督だったのである。松坂は言った。

「監督には、1年かけて恩返していくつもりでいるので……やっと1つ勝てましたけど、できるだけ多くの勝ちを、チームに、監督に、つけたいですね。今回もまた、たぶん抹消じゃないかなと思ってますけど(苦笑)、そう遠くないうちに自分ではローテーションピッチャーとして中5日、中6日で回りたいと思っています」

 中6日、でなく、中5日、という言葉が口をついて出る。先発が100球でマウンドを降りられるか、6回も投げ切らんうちに後を託せるか。天の邪鬼な松坂は、みんながそうだからと言ってオレもそうだと決めつけるな、と子どもの頃から心の中で叫んで、突出した存在であり続けた。

“平成の怪物”と言われながらも昭和の香りがぷんぷん漂う、そんな投手人生――試合が終わって、松坂に勝ちがついた瞬間、チームメイトは誰一人としてグラウンドに飛び出すことなく、ダグアウトの奥にいた松坂の方を振り返ってハイタッチを求めた。そんな光景は久しく見た記憶がなかった。

「……確かにそうかもしれないですね。勝った瞬間、みんなの笑顔が見られて、僕も自然と笑顔になりました」

 松坂がドラゴンズで初めて勝った夜、河島英五さんの『地団駄(じだんだ)』という曲が聴きたくなった。

 河島さんはこの曲の中で、ヒジを痛めたピッチャーが若いバッターに挑みかかっていくさまを、切々と歌い上げている。当時、河島さんが思い描いていたのは39歳の村田兆治さんのことだった。

 あれから30年、この歌詞に相応しい37歳のピッチャーが、若い打者に挑みかかって、勝った。そして、天の邪鬼なはずの松坂は、この日ばかりは勝利に対して素直に「喜びを爆発させるのもどうかと思ったけど抑えられなかった」と言って、心の底から笑っていた――。