【サイモン・クーパーのフットボール・オンライン】さらば、ベンゲル(前編) スタジアムを離れてしまったアーセン・ベンゲルの姿を目にすれば、彼がアーセナルの監督という仕事をどれだけ愛していたかがわかることだろう。ベンゲルは22年にわたってア…

【サイモン・クーパーのフットボール・オンライン】さらば、ベンゲル(前編)

 スタジアムを離れてしまったアーセン・ベンゲルの姿を目にすれば、彼がアーセナルの監督という仕事をどれだけ愛していたかがわかることだろう。ベンゲルは22年にわたってアーセナルを指揮し、今シーズン限りでの退任を発表した。



今季限りでのアーセナル退団を発表したアーセン・ベンゲル photo by Getty Images

 ベンゲルは、自分がフットボール界で最高の仕事に就いていると知っていた。ジョゼ・モウリーニョのような監督のほうが獲得したトロフィーは多いが、言ってみれば彼らは一時雇いの「派遣社員」のようなもの。現代のビッグクラブの中でぶつかり合う、多くの力のひとつでしかない。

 ベンゲルは最後の「総監督」だった。ビッグクラブをひとりで動かすという知的な喜びを日々感じていた。ずいぶん先のアーセナルの未来まで考えていたかもしれない。

 ベンゲルは試合中、しかめ面でベンチに座っていた。記者会見は皮肉混じりの礼儀正しさでこなし、身だしなみには一分のすきもなかった。

 フットボール界の重鎮が集うような五つ星ホテルのバーに行くと、ベンゲルは常にグループの中心にいた。いくつもの言語で面白い話をして、誰かが新しいアイデアを語ると真剣に耳を傾けた。そうかと思えば(もう60代だというのに)、リオデジャネイロのビーチでフットバレーの熱戦を繰り広げたりもした。

 アーセナルの敗戦はどんなものでもベンゲルの心に深く刻まれたが、翌朝にはオフィスでマッチデータを楽しそうに眺めていた。彼が本当の勝者だった時期は長くなかった。だが、つねにフットボール界で最も興味深い人物だったと言えるだろう。

 眼鏡をかけた無名のフランス人が1996年にアーセナルにやって来たとき、イングランドのファンは大丈夫なのかと思ったものだ。ところが数カ月のうちに、彼はフットボールを変えた。「世界に向けてドアを開け放したような気分だった」と、ベンゲルは後に語っている。

 そのころイングランドのフットボールには、欠けている知識がたくさんあった。たとえば「前ベンゲル時代」のアーセナルの選手の食事はひどいもので、トレーニングの前にボリューム満点のイングリッシュ・ブレックファストをたいらげたりしていた。

 あるときアーセナルの選手たちは、ニューカッスルで試合を終えてロンドンへ戻るチームバスの中で「大食い大会」を開いた。センターバックだったスティーブ・ボールド(現・助監督)が、実に9人前のディナーを食べて優勝した。

 ベンゲルは、もともと細かいところに気がつくタイプだったが、日本で仕事をしたことで、この能力に磨きがかかったようだ。彼は野菜や魚を中心とした日本式の食事をとり入れ、遠征で選手がホテルに泊まるときは、あらかじめミニバーを空っぽにした。

 他の分野でも、彼はパイオニアだった。クレアチンのような新しいサプリをいち早く使ったし、選手のパフォーマンスを分析するために1980年代から統計を活用した。

 生まれながらのコスモポリタンである彼は、グローバルな移籍市場を熟知していた。まだイングランド人の監督がワールドカップを視察することも珍しかった時代に、ベンゲルの国際感覚は抜きん出ていた。

 ベンゲルはACミランの控えだったパトリック・ビエラと、ユベントスの控えだったティエリ・アンリに目をつけた。ふたりを見いだすのに特別な眼力など必要なかった。1996年にアーセナルのファンは、ビエラがデビューしたシェフィールド・ウェンズデイ戦を45分も見ないうちに、同じ結論に達した。しかしライバルチームの監督たちは、ビエラの名前を聞いたことさえなかったようだ。

 根っからの教師であるベンゲルには、選手自身も気づいていない力を見つけ出す才能があった。たとえばウィンガーとして今ひとつだったアンリには「きみは本当はゴールを決めるセンターフォワードなんだ」と言って、たきつけた。
(つづく)