身長223cm、体重236kg。超人的なパワーで日本プロレス界に衝撃を与え、プロレスの本場・アメリカにも進出。名実ともに世界のトップに君臨し、新日本プロレスや全日本プロレスのリングに上がってからも国際プロレスを愛し、吉原功(よしはら・いさお…

身長223cm、体重236kg。超人的なパワーで日本プロレス界に衝撃を与え、プロレスの本場・アメリカにも進出。名実ともに世界のトップに君臨し、新日本プロレスや全日本プロレスのリングに上がってからも国際プロレスを愛し、吉原功(よしはら・いさお)社長への恩義を忘れなかったモンスター・ロシモフ。後にアンドレ・ザ・ジャイアントと名乗るフランス人レスラーの魅力をアニマル浜口が伝える。



20歳ごろのアンドレ・ザ・ジャイアント

「大巨人」アンドレ・ザ・ジャイアント(1)

「モンスター・ロシモフ(アンドレ・ザ・ジャイアント)もヨーロッパルートを開拓した吉原社長がフランスでスカウトしてきました。彼が初めて来日したとき、僕は入門して半年足らず。デビューしたばかりでしたが、あの巨大なスケールと破壊力には度肝を抜かれましたね」

 1946年5月19日、フランス生まれ。出身地についてはグルノーブルなど諸説あるが、18歳のときにパリで「アンドレ”ザ・ブッチャー”ロシモフ」のリングネームでデビューを果たす。

 その後、ヨーロッパ各地を転戦して、1969年5月にパリ・モンマルトルにてイワン・ストロゴフとのタッグで豊登(とよのぼり)&ストロング小林組と初代IWA世界タッグ王座をかけて対戦。1-2で敗れはしたものの、このときのファイトが吉原の目にとまったのだろう。

 翌1970年1月、マイケル・ネイダーや身長160cmのカシモドらと一緒に来日する。吉原から「モンスター・ロシモフ」と命名されると、1月18日の福岡・九電記念体育館でマイケル・ネイダーと組み、サンダー杉山&グレート草津組を破ってIWA世界タッグ王座を獲得。日本プロレス界に衝撃を与えた。

 さらに1971年、ロシモフはふたたび来日し、3月開幕の「第3回IWAワールド・シリーズ」に参戦。カール・ゴッチにジャーマン・スープレックスを極(き)められるも、レフェリーがリング下でダウンしていたためにカウントされず、逆襲に転じたロシモフがゴッチからフォールを奪取。大会2連覇中のビル・ロビンソンとゴッチを僅差で抑え、見事に初優勝を飾った。

 全盛時の身長は223cm、体重は236kg。ロシモフといえば、人間離れした食欲と酒豪伝説が今も語り継がれている。

 ビールなら大ジョッキ50杯を飲み干し、試合前でもワイン1ダースを空け、焼き肉60人前、さらにはステーキ5kgをペロリ。また、機内では缶ビール100本を空けて、キャビンアテンダントから「他のお客様の分がなくなるので、もう勘弁してください」と言われたこともある。その呑みっぷり、食べっぷりを間近で見てきたアニマル浜口は昔を懐かしむように語った。

「レフェリーの阿部修さんや遠藤光男さんは外国人レスラー担当も兼ねていたので、ロシモフが来日すると大変でした。列車やバスにビールを大量に運びこまなければならないし、旅館やホテルでは布団やベッドを横にいくつも並べたりしてね。

 それに、彼がビール瓶を持つと、まるでリポビタンDを握っているみたい。ゴクゴク飲むなんてもんじゃなく、スッとなくなっちゃう。国際プロレスのころはひたすらビール。新日本プロレスのマットに上がるようになったころはもっぱらワインでしたね。彼が呑み始めると、みんな最初はおもしろがって見物しているんですけど、そのうち付き合っていられなくなって。途方もない呑み方ですから」

 ロシモフは1971年9月、北米に進出。まずはフランス語圏のカナダ・モントリオールを中心にAWAで活躍し、身長196cmの「人間台風」ドン・レオ・ジョナサンらと対戦する。

 一方で、1972年の「第4回IWAワールド・シリーズ」にも出場するために来日。決勝戦でストロング小林に敗れて準優勝に終わったが、同時期にイワン・バイテンとタッグを組んでサンダー杉山&ラッシャー木村組のIWA世界タッグ王座にもふたたび挑戦している。

 1973年からリングネームを変更した「アンドレ・ザ・ジャイアント」はWWWF(WWFを経て現WWE)と契約。だが、専属契約ではないため、AWAやNWAのリングでドリー・ファンク・ジュニア、テリー・ファンク、ニック・ボックウィンクル、リック・フレアー、スタン・ハンセン、ブルーザー・ブロディ、アブドーラ・ザ・ブッチャー、ザ・シーク、ハルク・ホーガンなど日本でお馴染みのトップレスラーとも激突する。それと並行して、1対2あるいは1対3のハンディキャップマッチやバトルロイヤルも積極的に行ない、人気・実力ともにトップレスラーに上り詰めた。

「ロシモフ--我々は今もそう呼んでしまいますが、WWFに移ってからは世界中を周り、相当稼いだでしょうね」

 事実、アンドレ・ザ・ジャイアントは「年俸40万ドル(当時約1億2000万円)、世界一稼いだプロレスラー」として、1974年のギネスブックに認定されている。