ベンチで仁王立ちする智弁和歌山・高嶋仁監督が、攻撃時にいつも行なうしぐさがある。体の前に両手で小さく円を作った後、右の拳を握って「打て」という動作をするものだ。これがいつものお決まりなのだが、初戦ではちょっと違った動作が見られた。両手で小さく円を作った後、右手を指先まで伸ばし、外野のスタンド方向へ向けたのだ。



歴代1位となる甲子園通算67勝を誇る智弁和歌山・高嶋仁監督(写真中央)

 熱心な高校野球ファンなら、このしぐさを見てある監督を思い出すだろう。両手を指先まで伸ばし、外野方向へ向かって両腕を伸ばす動作。これを頻繁にやるのが、大阪桐蔭・西谷浩一監督だ。片手と両手の違い、アクションの大小の違いはあるが、同じ動き。高嶋監督に「西谷監督と同じじゃないですか」と言うと、返ってきたのはこんな答えだった。

「あれはオレが先にやっとったんや。向こうがマネしたんや」

 西谷監督おなじみの動作が、自分の”パクリ”だと言うのだ。ことあるごとにマスコミにも「(大阪)桐蔭と当たるまで負けられん」「桐蔭に勝つまでやめられん」と言ってきた高嶋監督だが、こんなところにも大阪桐蔭、そして西谷監督を意識していることがうかがえる。

 意識するのも無理はない。昨年の智弁和歌山は、春の近畿大会、夏の甲子園、秋の近畿大会と公式戦はすべて大阪桐蔭に敗退。しかも、夏は1-2、秋は0-1と惜敗だった。勝てるチャンスがありながら、最後はやられてしまう。なかでも、高嶋監督が最も悔しかったのが昨年夏の甲子園。敗戦後のお立ち台で、こう言っていた。

「アカン。勘が鈍っとる」

 そう振り返ったのは4回の攻撃。1対1の同点に追いつき、なおも一死満塁のチャンスで、代打を送らず無得点に終わったことだった。この試合、初戦で本塁打を放っている主砲・林晃汰が右ヒジ痛でスタメンから外れていた。

「後半にチャンスが来ると思っていた。そのときまで林を取っておこうと。そしたら、最後までチャンスが来んかった」

 結局、林を代打に送ったのは9回表一死走者なしの場面。センター前ヒットを放っただけに、余計に後悔は大きくなった。

「甲子園には出てきとるけど、上での戦いをしてない。それがこういうところに出る」

 春1回、夏2回の優勝を誇る名門も、近年は2008年夏のベスト8が最高だった。初戦敗退が07年夏、10年夏、12年夏、14年春、15年夏と5度もある。甲子園でしびれるような試合をしていない影響が、甲子園最多勝監督の”勝負勘”を知らず知らずのうちに鈍らせていたのだ。

 71歳になり、高嶋監督の日課だった高野山参りもドクターストップがかかった。体力の衰えは隠せないが、勝利への執念は衰えてはいなかった。

今春のセンバツは準々決勝の創成館戦、準決勝の東海大相模戦で史上初となる2試合連続5点差以上の逆転勝ち。「監督のしぶとさが選手に乗り移ってくれた」と笑いながらも、大量失点した試合中は「やることをやってないからや!」と大声で捕手の東妻(あずま)純平に怒鳴り声を上げた。

「カリカリきとっても(テレビカメラが)アップでくるんで、あまり(感情を)出せない。ベンチの中に入ったら怒ってます(笑)」

 そう話すように普段はテレビカメラに抜かれることを意識する高嶋監督が、ベンチからスタンドに響きわたる声で叱責した姿はまさに勝負の鬼。一時代を築いた全盛期を思い起こさせるものだった。

 決勝という最高の舞台で巡ってきた大阪桐蔭との一戦。相手のミスから先制し、終盤勝負に持ち込むことはできたが、守備のミスが出るなどして、またも勝てなかった。高嶋監督は「めいっぱいでここまで上がってきた。優勝するための戦力が整ってなかった」と、さばさばした表情で語る一方で、大きな悔いもあった。

 ひとつはスタメン野手の変更だ。準決勝までは根来塁が7番でスタメン出場していたが、この日は前日に180球を投げたエース・平田龍輝の疲労を考慮して、根来は控え投手として待機。代わりにセカンドで高瀬宗一郎を起用した。

 だが高瀬は4回表、無死満塁のチャンスで投手ゴロ併殺打。その裏の無死満塁のピンチでは併殺コースの打球でショートからの送球をセカンドで落球。いずれも試合の流れを決めるポイントとなってしまった。高嶋監督が振り返る。

「そのへんが分かれ目。全部裏目に出ましたね」

 もうひとつは、根来を使うタイミングだ。6回まで2失点と好投していた先発の池田陽佑(ようすけ)は7回、先頭打者に四球を与えたところで降板。その池田に代わりマウンドに上がったのが平田だった。平田は疲労を隠せず、その回にタイムリーを許すと、さらに8回にも2点を失った。その後、平田のあとを受け無死一塁から登板した根来は最速137キロをマークし、センターフライ、セカンドゴロ併殺打で無失点に抑える好投を見せた。

「どうせ打たれるなら、怖いもの知らずの根来を行かせればよかった」

 さらに高嶋監督は、バントのしぐさをしながら、こうも言った。

「作戦にしても、桐蔭を倒すには常道でいきすぎた。走らすとか、エンドランとか……」

 2回、無死一塁の場面では送りバントを命じるも失敗。3回は一死一塁から送らせたが、得点にはつながらなかった。久しぶりにやってきた甲子園の決勝戦。そこにたどり着くまで死闘を制してきたが、まだかつての冴えは戻っていなかった。

「勘? 鈍っとるなぁ……」

 3回戦から準決勝までは3戦連続14安打以上。準々決勝、準決勝は2戦連続2ケタ得点。強打の名をほしいままにした智弁和歌山の強力打線が戻ってきた。それに呼応するように甲子園のファンも智弁和歌山の逆転劇を期待した。あとは、名将の勘さえ戻れば……。

「このままじゃ、やめれんでしょう。桐蔭に勝つまではな」

 高嶋監督が言う「勝つ」は、近畿大会ではない。もちろん、甲子園だ。そのときこそ、2000年夏以来の大旗が待っている。