背番号「77」を最初につけたのは1963年・巨人の古沢勝投手 背番号「77」は、NPBでは、1963年に巨人の左腕投手、…

背番号「77」を最初につけたのは1963年・巨人の古沢勝投手

 背番号「77」は、NPBでは、1963年に巨人の左腕投手、古沢勝がつけたのが最初だ。古沢は1年で背番号を「50」に変更。続いて1965年から巨人の監督、川上哲治がつけた。

 川上哲治は巨人草創期から活躍した大打者、1958年に引退し、コーチ、監督に就任してからもずっと「16」をつけていたが、1965年に「77」に変更。「深い考えはなくて、テレビで『サンセット77』というアメリカのドラマが流行っていたから」と本人は語っている。この年、「16」は巨人の永久欠番になった。

 この背番号に変えた1965年から巨人は史上空前の9連覇を果たす。この間、日本シリーズもすべて優勝。球史に残る「V9」だ。選手、スタッフ数が増えたこともあって、川上以降、各球団に「77」をつけるケースが増えるが、多くはコーチ、打撃投手などの裏方だった。

 監督で川上の次に「77」をつけたのは、ロッテの山本一義。広島の強打者だった山本は、1982~83年、ロッテの監督を務め「77」をつけた。1982年には落合博満が3冠王を獲得している。その次の監督の「77」が星野仙一だった。中日の投手時代は巨人戦にことさらファイトを燃やし、歴代6位タイの35勝(31敗)を記録した星野だったが、引退後は川上哲治とゴルフをするなど親しく交流。1987年に中日の監督に就任する際に、川上に「77」をつけたいと申し入れ快諾されたものだ。

楽天の三木谷オーナーは3月19日の「お別れ会」で「77」を永久欠番にすることを明かした

 星野は現役時代は「22」のあと、中日のエースナンバーである「20」をつけていた。「20」のまま監督になればいいという声もあったが、尊敬する川上哲治にあやかって「77」をつけたのだ。星野は二次にわたった中日監督時代だけでなく、阪神、楽天の監督時代も「77」をつけた。

 星野以後、「77」をつけた監督は4人。星野の中日のドラフト同期で、現役時代から親しかった大島康徳は2000年に日本ハムの監督になって「77」をつけた。2003年にはオリックスのレオン・リーがつける。打撃コーチだったが、石毛宏典監督の退任に伴い、開幕21試合目から采配を執った。2010年には広島、野村謙二郎監督が「77」をつけ、2015年にはヤクルト、真中満監督が「77」をつけた。

 3月19日の星野仙一氏の「お別れ会」で、楽天の三木谷浩史オーナーは、背番号「77」を楽天の永久欠番にすると話した。楽天は「10」を「ファンのための背番号」として永久欠番にしているが、特定の個人では初。球団副会長として、球団経営にも力を注いだことも含め、偉大な功績に対しての永久欠番だといえるだろう。

背番号「77」のNPB監督と成績

〇川上哲治 巨人1965~74年
10年 774勝499敗49分 勝率.608 優勝9回

〇山本一義 ロッテ 1982~83年
2年 94勝145敗18分 勝率.400

〇星野仙一 中日 1987~91年、96年~01年
11年 766勝668敗27分 勝率.534 優勝2回
阪神 2002~03年
2年 153勝121敗6分 勝率.558 優勝1回
楽天 2011~14年
4年 262勝254敗20分 勝率.508 優勝1回
トータル
17年 1181勝1043敗53分 勝率.508 優勝4回

〇大島康徳 日本ハム 2000年~02年
3年 181勝225敗7分 勝率.446

〇レオン・リー オリックス 2003年
1年(シーズン途中から)41勝76敗3分 勝率.350

〇野村謙二郎 広島 2010~14年
5年 322勝371敗27分 勝率.465

〇真中満 ヤクルト 2015~17年
3年 185勝239敗5分 勝率.436 優勝1回(広尾晃 / Koh Hiroo)