フェンシング、カヌー。最近ではスノーボードのハーフパイプだろうか。
オリンピックでメダルを獲って初めてメディアに取り上げられ、「その競技に日本人選手が出場していたのか!」と知られる競技は多い。逆に言えば、メダルを獲れなければ、その競技がオリンピック種目になっているという事すら世の中に知られないのだ。
BMX(バイシクルモトクロス)も、そんな競技の一つだろう。
BMXレースは2008年北京オリンピックから正式種目となり、日本人選手も2008年から出場している。BMXフリースタイルが2020年東京オリンピックの新種目として追加され話題となったので、BMXという言葉を耳にしたことがある人もいるかもしれない。
競輪用や街中で乗る自転車よりもタイヤ径の小さい、頑丈な自転車で行われる競技だ。

日本にはいくつかのBMXレーストラックがある。
しかし、その中で、8メートルスタートヒルの練習が出来る施設は一つしかない。
それが、山梨県にあるYBP(Yuta’s Bike Park)だ。


空から見たYBP。画面左、長方形に見えるのが8メートルスタートヒル。写真提供:YBP PROJECT

 ユウタのバイクパーク、という名前には訳がある。それは、このパークが、栗瀬裕太というたった一人の男の手によって作られたパークだからだ。


栗瀬裕太は、日本では大変に珍しい、BMX、MTB両方のプロレースライダーであり、フリースタイルライダーである。BMXレース、BMXダートジャンプ、MTBフォークロス、MTBダートジャンプの大会で優勝経験を持ち、MTBダウンヒルでも入賞している。


YBPで開催されたYBP GAMESにて、ファーストジャンプを飛ぶ栗瀬裕太。

 13歳という若さでMTBメーカーとスポンサー契約を結んだ、海外でのレース経験もある華々しいライダーが、何故たった一人でコース作りを始めることになったのだろうか。YBPがオープンして5年経った今、彼は何を思っているのだろうか。YBP PROJECTが昨年から行っているBMXスクール「CLUB YBPレッスン」に伺って、話を聞くことにした。また、BMXイベントのMCを数多く務めているMCワダポリスに、栗瀬裕太という人物について語ってもらった。


冬のBMXスクールは、北杜市の協力により、長坂総合スポーツ公園の中にある施設で行われている。この日は平日、しかも大雨だったのだが、開始時刻前から子供たちが次々と集まって来ていた。



栗瀬:

僕、初めての自転車が、よくある子供向けの、補助輪が付くようなのではなくて、BMXだったんですよ。親がアクションスポーツが好きだったんで。
初めて自転車に乗った場所も、自宅の前ではなくて、自宅の近くのBMXで遊べるところでした。自分が初めて自転車に乗った隣で、ダートでジャンプしている人達がいたのを覚えています。

4歳でMTBに乗り始めた栗瀬は、子供の頃から山の中でMTBを乗り回して遊び始める。やがてBMXレースの道に進むが、栗瀬はBMXレースだけではなく、MTBやBMXのダートジャンプでもプロとして活動し始める。幼少の頃からBMX、MTBで遊ぶ楽しさを味わってきた栗瀬本人にとっては、ごく自然な事だった。




栗瀬:

実際にオリンピックで使われるコースを走ってみたい!!と思って。
オリンピックのBMXレースコースは、前年には完成しているんです。2020年東京オリンピックのコースも、2019年には完成する予定になっています。
僕が出場した2007年のワールドカップは、翌年の2008年オリンピックの為に作られたコースで行われました。



栗瀬:

怖かった。怖かったです。あの怖さは一生忘れない。
自分がレースを始めた頃には、スタートヒルはまだ2,3メートルの高さだった。それがオリンピック前に物凄いスピードで進化してしまって、気がつくと8メートルの高さになってしまいました。初めて8メートルの高さに登って、どのくらいのペースで降りて行ったらいいのかも分からない。強豪のヨーロッパの選手は8メートルヒルとその先のファーストジャンプの高さにも慣れていて、どんどん突っ込んで行ってしまう。しかも8人が同時にスタートする。どうしたらいいのか、何も分からなかった。

北京から帰国した栗瀬は、日本に世界基準の練習場を作るべきだと訴え始める。次の世代にどんなに才能がある選手がいても、BMXレースで一番重要だと言われるスタートの練習が出来なければ、世界を舞台に戦うことは出来ない。
栗瀬は、実績のある人気選手だった。だが、彼の訴えは伝わらなかった。

栗瀬:

どんなに必要なのかを訴えても、では作ろうか、という話がどこからも出てこないんです。ああ、伝わってないんだと。
それで、自分がやって見せなくてはいけないと思ったんです。
栗瀬裕太というライダーが、本気になって8メートルスタートヒルのあるコースを作り始めた、と注目されれば、もっと周囲を動かすことが出来るんじゃないかと。



栗瀬:

長野県にある富士見パノラマスキー場で、コース造成を7年間担当していました。富士見パノラマで、雪が解けてから整備を始めて2ヵ月でコースを作る技術を身につけていたので、YBPは3、4カ月で出来るだろうと思っていました。

栗瀬は「甘かったです」と笑う。もともと整地された場所ではない。未開の地と言っても良い場所なのだ。八ヶ岳特有の地形、地質相手の格闘は、2年続いた。


栗瀬:

最初は本当に一人でした。一人で朝から晩までショベルカーを動かして、ショベルカーを壊して。頭おかしくなったと思われてたと思います。でも、それでもずっとやってたら、少しづつ、協力してくれる人が出てきた。最後にはクラウドファンディングで沢山の人が助けてくれて、8メートルスタートヒルのあるコースを作ることが出来ました。


栗瀬:

8メートルスタートヒルのあるコースを作って、選手たちに沢山練習してもらおう。今いるレベルの高い選手たちがYBPで練習してくれたら、世界に通用するようになる。その中からオリンピックでいい成績を残す選手が出てきて注目されれば、自分もBMXをやりたい、という子供達が出てくるだろう。やがてYBPでスクールが出来るようになると思っていたんです。



栗瀬:

YBPのある北杜市さんが、生涯学習として、市民の方々向けの色々なイベントや講座をやっていて、そこでYBPでのBMX教室をすることになったんです。試験的に始めた2016年の教室に、地元の小学生たちが来てくれました。そこに来た子供達や、YBPのオープン当初から営業日に通って来てくれていた子供達を中心に、徐々に広まってくれて。2017年からスクールを本格的に行うようになりました。


栗瀬:

バイクもヘルメットもお貸しできるように準備してるんですけど、スクールに何回か来てくれると、自分のバイクが欲しくなっちゃうみたいですね。このまま伸びていったら、いいレースライダーになるだろうな、という子も出てきています。
考えていたのとは順番が逆になっちゃいました。でも沢山来てくれて嬉しいです。


熱意のある子供達をさらにサポートしていく為に、BMXスクール「CLUB YBPレッスン」はこの4月、クラブチーム「TEAM YBP」として一新されることとなった。

栗瀬:

まずは「楽しんでやること」をいつもレッスン生に向けて言っています。レッスンでは、基本的にBMXのレースを教えていて、その先に自分の進みたい道を見つけて欲しいです。自分はBMXレースも、MTBも、フリースタイルもダウンヒルもやってきたので、どれに進みたいと言われても教えてあげることが出来ます。でもそれは、子供の頃にBMXのレースをやって来て、レースの基礎が身に付いているからこそ出来たことです。基礎をしっかり身につけた上で、楽しむことができるようなチームになって欲しい。


スクールが終わった後は、全員で後片付けをする。やりたがらない子は一人もいない。誰もが率先して動いていたのが印象的だった。

子供達が帰って静かになった後、栗瀬に、最も聞いてみたかったことを尋ねてみた。




栗瀬:

8メートルスタートヒルを作ろう、8メートルスタートヒルのあるコースを作ろう、というニュースは、何回も聞くんですよ。その度に、ああ良かったとホッとしていました。でも心配でもあって。この5年間、YBPを維持するだけで物凄く大変だったんです。今でも大変です。作る大変さも維持する大変さも分かっているから、誰が中心になって進めていくんだろ、上手く行ってほしいなと心配で。
でも色々な問題があって、全部話で終わってしまっています。
もう誰か早く作って、自分を安心させてほしい。

8メートルスタートヒルのあるコースは、現時点では日本にはYBPしかない。それは大変に魅力的な事でもある。YBPは、地元北杜市からの打診を受け、2020年東京オリンピックの事前合宿地として名乗りを上げた。そして、フランス代表の視察を受けることになる。

栗瀬:

僕は正直すごく戸惑いました。だって、フランスの選手を勝たせるためにYBPを作ったんじゃないですから。
でも、ここで協力してもらうことができたら、もっとYBPを良くすることが出来るかもしれない。日本の選手達にとってプラスになるかもしれない。
そう思って視察を受け入れました。

この視察は、思わぬ出会いを栗瀬にもたらした。フランスチームのコースビルダーとして同行していたのが、ワールドカップなどのコースを作っているProTracks社の社長、トマス・ハモンだったのだ。

栗瀬:

彼は、僕が見よう見まねで作り上げたコースを誉めてくれました。よく一人で作ったな、と。そして、何故君一人でやらなくてはいけなかったのかも分かる、と言ってくれました。嬉しかった。そして、僕がコース作りを学ぶことができるようにと、フランスに招いてくれました。


栗瀬:

自分自身、コース作りをまだまだ学びたい、という気持ちがありました。でも、スクールも始まったばかりで、行こうかどうしようか迷った。
迷ったんですが、僕は、2007北京のワールドカップに出場しなければ8メートルスタートヒルを経験するチャンスが無かったかもしれないように、このチャンスを逃したら、次はないかもしれない。そう思って、現地で2週間、最先端の技術を学ばせてもらいました。
今そこで学んできたことを生かして、4月のYBPオープンに向けて整備を進めています。



栗瀬:

僕がYBPで得たノウハウは、いくらでもお伝えします。いつでも呼んで欲しい。

でも、と栗瀬は言葉を続けた。

栗瀬:

僕は助けてあげることは出来るけど、作れるかどうかは、その作りたいって思った奴が、どこまで努力できるかです。
そいつが、作れる、と思えるなら、出来るんですよ。


栗瀬裕太という人物について、少しはお伝えすることが出来ただろうか。
では、BMXシーンを長く見続けてきた人は、栗瀬裕太をどう見ているのだろう。
FMX(フリースタイルモトクロス)のMCとして知られるワダポリスは、BMXにも造詣が深く、X-GAMESのテレビ解説を務めている。YBPでは「WADAPOLICE JAM」という、ワダポリスの名前を冠したイベントも開催されている。


YBP GAMES2017にて、栗瀬とともにMCを務めるワダポリス。



ワダポリス:

とても、我慢強い人だと思います。いまいち盛り上がらないBMXシーンをどうにかしたい、後継の為に道を開かなくては、という目的の為には、我慢することが出来る人。でも、物凄く我慢強いのに、無鉄砲な人です。思い立ったら後先考えずに始めてしまう。その落差がユウタ君の魅力的なところだと思います。


ワダポリス:

今からだいたい20年ぐらい前、日本ではBMXが大人気だったんですよ。カッコいいライダーがいて、彼らがチームを作って、東京のお台場でショーをやったりしていました。それから、徐々に下火になって、今では人気があった頃のことを知らない人が多くなってしまった。
そこにユウタ君が現れて、一人でYBPを作り始めた。国際基準のコースを作って、国内のトップライダーを走らせて、海外からライダーを呼んで、お客さんを呼べるようになった。
シーンが変わる時に、こういう人が出てくるんだな、と思います。2020年東京オリンピックという追い風を受けて、裕太君とYBP PROJECTがどうなっていくのか。一人のBMXファンとして、とても楽しみにしています。


2018年4月7日、YBPは2018年シーズンオープンを迎える。営業日なら、かなりの確率で栗瀬裕太が笑顔で迎えてくれるだろう。BMX、MTBに乗ったことがない人でも、手ぶらでも、訪ねてみて欲しい。あなたが自転車を楽しむことが、YBP PROJECTの、そして2020東京オリンピックに出場するライダーの力になる。

栗瀬裕太は、そう信じている。

<栗瀬裕太さんが語る高耐久スマホ「TORQUE® G03」の魅力>


京セラの高耐久スマホ「TORQUE® G03」は、頑丈で埃にも強く、耐海水試験もクリアした防水性能なので、土や埃が付いたらそのまま水で洗える。 天気や気圧の情報が簡単に手に入るアプリもよく使ってます。 YBPのコースは保全のために、雨が降るとシートをかける必要があるんです。
的確なタイミングでシート掛けが必要で、そうした時に、「TORQUE® G03」の詳細な天気予報があると便利です。
画面や手が濡れていてもタッチ操作できて、雨の中でも気にせず使えるのもいいですね。
あとは、画面側に2つのスピーカーがあって着信音をかなり大きく設定できること。
「TORQUE® G03」くらいの大きな音(100dB以上!)が鳴ると、重機などを使ったコース整備作業中でも電話に気がつきやすいです。
他のスマホよりもワイドに写真や動画が撮れるので、クラブチームのレッスンは「TORQUE® G03」で撮影します。子供達が数名で走行する場合に、前後の子供の動きを同時に撮りやすいので、重宝しています。
カメラ専用ボタンがあるのも便利ですね。



栗瀬裕太さんも登場する「TORQUE® G03」の動画を「TORQUE」スペシャルサイトで公開中!