どこまでも自然体だった。
 その口調はコーチというより、兄貴であり、人生の先輩だ。
 ゲーム形式の練習では自らレフリー役を務めながら、子どもたちに声をかけた。
「おい、オフサイドはやめろ。ラグビーはハートは熱く、頭はクールにプレーするんだ!」
 3月25日、宮城・仙台市のレインボーハウスで、『伊藤剛臣ふれあいラグビー教室』が開催された。
 5歳から小学校高学年の子どもたちが2時間走り回り、午後は本人が話すタケオミ物語を聞いた。

 東北とラグビーを愛す株式会社青南商事がメインスポンサーを務めた今回。46歳まで釜石シーウェイブスでプレーしたナンバーエイトが、仙台の子どもたちを笑顔にした。
 法政二高でラグビーをはじめ、法大、神戸製鋼で日本一になり、日本代表として世界を駆けた。ワールドカップにも2度出場。東日本大震災で被災した釜石で、最後まで熱を放ち続けた。
「釜石に来て練習に参加してすぐ、こんなことがありました。チームのファンの方が、ワカメを一袋渡してくれて、『三陸のワカメは日本一。頑張ってくれ』と。ここでやっていこうと思いました」
 いろんなシーンに人柄がにじみ出た。

 午前10時から始まったラグビー教室では、細かなスキルを教えるより、実際に動いて楽しみ、その中で大事なことを伝えた。
 人数ゲームでコミュニケーションの重要さを理解させる。キャッチングの練習に工夫を凝らし飽きさせない。実戦の中でラグビーの知識を教えた。
「ヨコのスペースだけを使うんじゃなく、タテのスペースも使うとうまくいくぞ」
 成功体験を通して意欲を高めるコーチングスイルだった。

 ラグビースピリットも伝えた。
 練習の合間、元気あり余る男の子同士の間でケンカが起きた。周囲の仲間に押さえられたふたりも含め、全員を集めた剛臣コーチは、みんなの前でふたりの言い分を聞いた。そして、仲直りを促した。
 それでも気持ちが高ぶったままの一人が、相手の方に向かおうとしたときだ。別の仲間が仲裁に入った。その行動を「お前の行動は正しい」と褒めた。
 興奮がなかなか収まらなかった少年には、しばらく外に出るように言った。
 シンビンだ。
 でも、最後には仲間の輪の中に呼び戻した。一日が終わる頃には、少年にも笑顔が戻っていた。

 午後の講演会では、「ラグビー人生31年闘い続けて…」と題して、自分の歩んできた人生をゆっくりと語った。
 小学生の時は柔道と野球を楽しみ、中学校ではバスケットボールに熱中した。そんな少年が高校に入って最初は野球部に入るも、ラグビー部に移り、人生が変わったこと。阪神大震災のときの記憶と、それを経験した自分が東日本大震災の被災地に移り住んだ縁。日本代表としてプレーした誇りと興奮も話した。
「ラグビーには自分以上に大事なものがあるんだ。それは仲間とボール。自分のためだけにやっていたら、出るパワーは小さいぞ。でも、みんなのためにと思ったら、もっと大きな力が内側から出て来る」
 子どもたちに話しかけるような60分。その言葉の意味のすべてはまだ理解できないかもしれないが、大きくなって思い出したら、きっと心に染み入るようなものばかりだった。

 少女から「ラグビーをやめたくなったことはありませんか」と質問されたときには、こう答えた。
「試合に出られなかったり、負けたりしたことでやめようと思ったことはありません。次の試合に出られるように、その試合でもっといいプレーができるように頑張りました」
 飾り気のない一つひとつの言葉に愛情があった。
「ラグビーじゃなくてもいいんだよ。人生に憧れや夢を持とうな」

 子どもたちは、ラグビー教室の最後に剛臣コーチが言った言葉とこの日の記憶を長く忘れないだろう。
「きょうは素晴らしいプレーがたくさんあった。ケンカしてもいい。ただ、最後は仲直りしろ。みんなで協力してやる。みんなのため、チームのために体を張るのがラグビー選手だぞ」
 熱血コーチは、子どもたちに「ありがとな」とお礼を言った。
 サクラを胸に62回もテストマッチを戦った男は、ヒマワリのようだった。