元プロ野球選手が学生野球の指導者になるための条件が緩和された2013年以降、高校野球でも以前より多くのプロ経験を持つ指導者が誕生している。1997年に主将・捕手として智辯和歌山を初の全国制覇に導いた中谷仁氏(38歳)も、そのひとりだ。…

 元プロ野球選手が学生野球の指導者になるための条件が緩和された2013年以降、高校野球でも以前より多くのプロ経験を持つ指導者が誕生している。1997年に主将・捕手として智辯和歌山を初の全国制覇に導いた中谷仁氏(38歳)も、そのひとりだ。

 同年のドラフト1位で阪神タイガースに入団し、楽天と巨人でもプレーした後、2012年に現役引退。そして昨年、学校職員として母校に舞い戻り、名将・高嶋仁監督のもとでコーチを務めている。昨夏の甲子園に続いて、今春のセンバツにも出場するなど、指導者としてのスタートは順調だ。そんな中谷氏に、高校野球指導にかける今の思いを聞いてみた。



智辯和歌山での充実した日々を語る中谷仁コーチ

──巨人で現役引退してから智辯和歌山のコーチに就任するまでは、どのような経緯だったのですか。

中谷 プロを引退してすぐ、裏方として第3回WBCの侍ジャパン、そして巨人でブルペンキャッチャーを1年間させていただきました。そのあと大阪に戻って、街の野球塾の講師や阪神ジュニアのコーチをしていました。

 並行して、柔道整復師の資格取得を目指して専門学校にも通っていたのですが、その頃に智辯学園の理事長や高嶋監督から「ちょっと帰ってこい!」と臨時コーチの要請を受けたのです。やがて、今度は正式に職員として再びお声がかかりまして、現在の立場となりました。

──阪神にドラフト指名された頃にも、智辯学園の前理事長から「将来はうちの監督をやってくれ」と打診があったというのは本当ですか。

中谷 はい。在校中から「高嶋先生の後はおまえだ」と前理事長から何度も言われたのは事実です。プロに行く道もいいが、大学に行ってうちに戻ってくる選択肢もあるよ、と。プロ2年目に眼をケガしてしまった時も、前理事長から「すぐにやめて大学に通い直して、うちの指導に帰ってこい!」と連絡をもらいました。

 さすがに、そんな中途半端な状態では帰れないですし、「なんとかプロにしがみついて、結果を残せるように頑張りたいです」とお伝えしました。それでも、そのお言葉はありがたく、現役中も頭から離れませんでした。まさか実現するとは思ってなかったのですが、具体的に母校に戻れる話が出た時には、お世話になった人たちをはじめ、先輩、後輩のためにという気持ちを強く感じましたね。

──20歳前後の若者に「智辯和歌山に戻ってこい」とは、いったいどこを見込まれたのでしょう?

中谷 僕にはわからない部分ですが、夏の甲子園初優勝のキャプテンというのが大きいのかな……。今でも、本当にどこを見られていたのかよくわからないです。う〜ん、高嶋先生と同じで名前に”仁”がつく繋がりですかね(笑)。

──現在の標準的な1日のスケジュールは?

中谷 平日は10時にスーツを着て学校に行って、練習までは職員室で事務をしています。野球部の生徒は午後2時頃から練習が始まり、全体練習は6時半ぐらいで終わり、そのあとに自主練習を夜の9時頃まで行ないます。土日には対外試合が組まれていますね。

 規定で対外試合ができない期間の週末は、新入生の候補を求めて中学生を視察に出かけます。今まではずっと高嶋先生がされていたんですけど、現在は僕が各地域のボーイズリーグなどの情報を収集し、ご挨拶や勧誘に足を運んでいます。

──セレクションの基準はどこにありますか。

中谷 うちは特待生制度も寮もないので、勧誘しても簡単には来てくれないんですよ(苦笑)。来てもらいたい選手ほど、特待生制度のある学校に決まってしまう傾向が強いです。それに県外からだと、一人暮らしさせることになるので、親御さんはお金もかかります。現状は和歌山県内の選手が大半で、県外出身者は1学年に2、3人ほど。正直なところ「智辯和歌山で野球をやりたい!」というのがセレクトの第一条件ですね。

──プロと高校野球で、指導方法の大きな違いは何でしょうか。

中谷 僕はプロでのコーチ経験がないので、その感覚は正確ではないかもしれませんが、プロと違って高校野球は期間が限られています。入学してから3年生の8月まで、正味2年と5カ月しかありません。2年5カ月で甲子園に出る、甲子園で活躍する、その先も野球を続けていくような野球観とか人間性を養う、というのは非常に時間が短いです。

 ですからプロのように1、2年じっくり時間をかけて育てて3年目から5年目あたりに一軍で活躍してくれたらいいな、といった構想が高校野球ではありえない。当たり前のように聞こえるかもしれませんが、僕にとっては、母校に戻ってこなければ、きっと永遠にわからなかったことでしょう。

──その短い期間での指導方法で、とくに大切にしていることはありますか。

中谷 なるべく早く試合に出られるような状態にすることを考えます。でも才能があっても、体格が大きくても、高校生は子供です。野球の技術を教えるだけではダメで、やはり社会でたくましく生きていくためには、自分で考えて自分で行動すること、努力することを教えないといけないと思っています。

 結果がすべてのプロとは違って、この子たちが社会に出た時に困らないようにしてあげないといけない。生活態度、練習への取り組み方、考え方、準備の仕方については口を酸っぱく言っています。結果よりもどうやって取り組んでいるのか、どういう考え方を持ってやっているのか、何を目標にしているのか、それに対して準備できているのかということを僕は大事にします。

──中谷さんはプロでも多くの名将のもとで野球をしてきました。野村克也さん、星野仙一さん、原辰徳さんから教わったことは?

中谷 準備を絶対に怠ってはいけないという考え方は、野村監督の教えでした。野村監督と言えばID野球というイメージですが、僕の解釈では「野村野球=準備野球」です。「試合する前の準備の段階でほぼ勝敗は決するよ」と言われたのが今でも印象に残っています。

 闘将といわれる星野監督には、あの熱い気持ちや、向かっていく姿勢、ハートを前面に押し出して勝利をつかむことを学びました。

 原監督からは相手をリスペクトすること、人として一流になっていくための部分を大切にするのが一流の野球選手だと教わりました。これらの経験は僕にとって貴重な財産で、生徒たちにも、たまにですが話をします。

──プロとアマで、プレッシャーの違いは感じますか。

中谷 プロは毎日が数字との戦いです。成績はすべてオープンですから絶対に逃げ隠れできません。引退するまでずっと数字と向き合って、日々追われる苦しさと不安を感じるのがプロ野球の現役生活でした。

 一方、現在の仕事では、人生を左右する大切な思春期を預からせてもらっているというところが、やはりプレッシャーですよね。

──強豪校に身を置いているプレッシャーはありますか? たとえば甲子園の初戦で負けようものなら周りの批判も凄いと思いますが。

中谷 今はまだコーチなので、そこまでではないです。きっと、そのあたりは高嶋先生が痛いほど感じられていると思います。あくまでも、僕は監督が目指す野球を支える立場の人間ですので。

──プロ野球と高校野球では、戦術面も違いますよね。

中谷 リーグ戦とトーナメント形式では明らかに大きな違いがあります。高校野球では連勝することが宿命とされます。一度でも負けたら次の対戦カードはなく「お疲れ様でした」となります。

 例えば、ある高校が県大会と甲子園で10連勝しないと全国制覇できないとします。これがプロ野球なら、10連戦があったら6勝4敗、貯金2で普通にOKです。もし7勝3敗、貯金4だったら高く評価され、8勝2敗だったとしたら、えっ、この調子は考えられないよ!すごいよ!というような世界なのです。

 そもそも野球って、リーグ戦が向いているスポーツだと思います。各チームで勝率を争いながら、個人の数字も競い合って評価されるものではないかと。でも一方で、高校野球は一度も負けられないからこそ、多くの感動が生まれ、共感を呼ぶのでしょうね。

──近年、元プロ野球選手が高校の指導者になるケースが多くなりました。これについては、どう思いますか。

中谷 プラス要素はたくさんあると思いますよ。実際に、元プロが携わっている学校は結果を出していますからね。日本のトップで教わったトレーニング方法や、一流選手の中で培ったものを教えることができるのですから。

 最近では京都の公立である乙訓高校。野球部長の染田(賢作)君は同志社大からドラフト自由獲得枠で横浜(現DeNA)に入団した投手でした。彼は引退してから教員となり、指導者としてわずか3年目で甲子園出場を決めました。

 ただ、採用する学校側もプロなら誰でも大歓迎というわけではないはずです。その個人の人間性の評価と教育方針などが合致しないと実現には至らないでしょう。

──現在の和歌山県における勢力図はどんな状況ですか。

中谷 県内では南陵高校が、日本ハムなどで活躍し、オリックスでは二軍監督をされていた岡本哲司さんが監督におられます。強敵になるんだろうなという気配がします。他にも市立和歌山や古豪の箕島も強いですし、「智辯和歌山を全員で倒そう!」という空気も感じますしね。

──近畿地区まで広げるといかがですか。

中谷 やっぱり大阪桐蔭が昔のPL学園みたいな感じですね。近年、なかなか勝てません。
そこになんとか肩を並べられるように切磋琢磨し、一番のライバルと言われるように、履正社、うち、報徳学園、龍谷大平安、奈良の智辯など、その府県でやっぱり強豪と言われる高校が、大阪桐蔭に並んで追い越すぞという気持ちでやっていると思います。

──中谷さんが高校時代から接してきた”高嶋野球”を一言で表現すると?

中谷 10点取られたら、11点取って勝つ。0点に抑えることができたら、なんとか1点を取って勝つ。とにかく相手よりも終わった時に一歩リードするために、毎日相手よりも一歩進んだ練習をすることを考えておられます。

 例えば、相手に150キロの球を投げるピッチャーがいるんだったら160キロの球を打って150キロにビビらない準備をする。相手が10本素振りをするなら、こっちは100本やる精神力ですかね。相手よりも必ず上回った練習と準備をして立ち向かうことだと思います。

──高嶋監督とのコミュニケーションは毎日とられているんですか。

中谷 はい。毎日行なっています。

──今は、高嶋監督から何を期待されていると感じますか。

中谷 決して高嶋先生は口には出しませんけど、ご自身と同じような肌感覚を持って、継承してくれたらと望んでおられると思います。ですので、ノックをする時でも”高嶋先生はこういう風にノックしていたな”というのを思い返しながら行動しています。

──中谷コーチが思う”こんなチームを作ってみたい”という理想はありますか。

中谷 すでに「高嶋野球=智辯和歌山野球」の形が完成されています。あとは、いつまでも時代と向き合って磨き続けられるチームになることが理想ですね。

──最後に、ゆくゆくは、という将来について聞かせてください。

中谷 理事長には「高嶋先生の後を引き継げるような指導者になりなさい」と言われているので、「こいつやったら大丈夫」と信頼される人間になろうとは思っています。でも、今は自分に与えられた立場を全うすることで精一杯です。