7年ぶり10回目のセンバツ出場を決めた東海大相模(神奈川)。菅野智之(巨人)、田中広輔(広島)、大田泰示(日本ハム)などプロで活躍する選手が多数輩出し、春2回、夏2回の全国制覇を誇る名門は、縦縞のユニフォームとともに多くの高校野球ファ…

 7年ぶり10回目のセンバツ出場を決めた東海大相模(神奈川)。菅野智之(巨人)、田中広輔(広島)、大田泰示(日本ハム)などプロで活躍する選手が多数輩出し、春2回、夏2回の全国制覇を誇る名門は、縦縞のユニフォームとともに多くの高校野球ファンの心にインプットされているだろう。

 最近でも、小笠原慎之介(中日)、吉田凌(オリックス)という左右のエースを立てて、下馬評通りの強さで全国制覇を成し遂げた2015年の夏が印象深い。



1年夏から名門・東海大相模の4番を打つ森下翔太

 今回はその夏以来、久しぶりの甲子園出場となる。「久しぶりの」という言葉がつくほど長いブランクではないかもしれないが、4月に新3年生となる選手たちにとっては十分すぎる期間だった。

 チームの主砲である森下翔太に自身初となる甲子園について聞くと、こんな答えが返ってきた。

「正直に言うと、入学したときはもっと簡単に(甲子園に)行けるだろうと思っていました。神奈川県から甲子園を目指すなら、(東海大)相模か横浜が最短ルートですから」

 森下が中学生だった2013年から2015年の3年間で、神奈川県から甲子園に出場したのは東海大相模(夏2回)と横浜(春1回、夏1回)だけだ。東海大相模は、森下が中2、中3のときに神奈川の夏を2年連続で制し、中3の夏は小笠原、吉田を擁し全国制覇を達成。中学生の少年が「東海大相模に進学すれば甲子園に行ける」と考えても不思議ではない。

 東海大相模に進学した森下は、1年夏から4番に座った。しかし、神奈川大会の初戦から4試合で打率.222と低迷すると、続く準々決勝の慶応義塾戦ではスタメンを外されてしまう。そしてこの試合で東海大相模は2-11とコールド負けを喫し、森下の1年目の夏が終わった。

「自分が全然打てなくてスタメンを外され、コールド負けで終わったわけです。この負けは僕の責任だと感じました。それまでは『1年生だから……』という甘えが心の中にありました。こんな他人事のような気持ちで本当に甲子園に行けるのかなと。自分が打って、甲子園に行くしかないと強く思いました」

 この夏の悔しさが、森下を成長させた。なにより”東海大相模の4番”の重さと向き合える選手になった。

「それまでも4番として多くの人から注目されているのはわかっていました。そうした視線に打ち勝って成績を残せばいいと思っていましたが、相模の4番は違う。打つことによって試合の流れを引き寄せる。そしてチームを勝たせるのが相模の4番なんです。高校1年の夏、僕がスタメンを外されたのは成績が悪いからではなく、”相模の4番”の意味をわかっていなかったからだと思います」

 森下はチームに流れを引き寄せ、勝利に導く一打を求め続けた。そして2年になり、森下はついにイメージに近い一打を放つ。春季神奈川大会準決勝の桐光学園戦だった。

 4-0と優位に試合を進めていた5回表、無死一、二塁のピンチで桐光学園の打者が左中間に大飛球を打った。「捕れない球じゃない」。そう判断したセンターの森下は俊足を飛ばして打球を追った。回り込みながら捕球して、勢いのままフェンスに激突。森下は衝撃で倒れたが、ボールはすぐにフォローしていたレフトから内野へと渡った。

 すでに大きく飛び出していた桐光学園の走者はふたりとも帰塁できず、トリプルプレーが完成した。ところが……判定が覆(くつがえ)ったのだ。森下は落球したとみなされ、二塁走者はホームイン、一塁走者は二塁進塁。1点を失い、引き続き無死一、二塁という状況から試合は再開した。

 その後も1点を献上し、5回表を終わって4-2。点差は2点に縮まり、試合の流れは桐光学園にあった。

「今でもあのプレーは、僕の中では落球していないです。それくらい自信のあるプレーでした。ただ判定は違いました。トリプルプレーで流れを断ち切ったはずが、1アウトも取れずに失点して、なおもピンチ。この状況にチーム全体が必要以上に気負ってしまった。相手に流れがいってしまったなか、『冷静に』と思っても力が入ってしまいます。この雰囲気をひっくり返すにはどんな打撃をすべきか……そう考えながら次の打席に入りました」

 直後の5回裏、森下はやや高めにきた甘いボールを鋭くスイングした。金属音とともに打球は一瞬にして保土ヶ谷球場のレフト場外へと消えていった。この一打で重い空気をはねのけ、試合の流れを再び東海大相模へとたぐり寄せた。その後も危なげなく試合を進めた東海大相模が7-3で勝利した。

 流れを変える一打を放った森下は言う。

「相模の4番の仕事とはこういうことなんだと、自分のなかで初めて納得できました。ジリジリと押されているときこそ、自分のバットでチームを奮い立たせる。チームをひとつにする一打を打つためには、どのような心構えをすべきかが見えてきました」

 この春季大会は横浜を倒して神奈川県を制するも、関東大会は準優勝。そして甲子園をかけた夏の神奈川大会は決勝で横浜に敗れた。

 新チームとなり迎えた秋季大会。再び神奈川大会を制するも、関東大会準決勝で中央学院(千葉)に2-3と惜敗。それでも秋の戦いぶりが評価され、センバツの切符を手に入れた。森下にとっては4回目のチャレンジでようやく目標が叶った。

 センバツを目前に控えた3月14日現在、森下の通算本塁打数は46本にまで伸びた。この数字は偉大なOBである原辰徳氏を抜き、東海大相模歴代2位の記録である。ちなみに1位は大田泰示(日本ハム)の65本。森下は東海大相模のレジェンドたちが並ぶ世界に突入した。しかし、森下に気負いはまったく感じられない。

「高校時代の大田さんについて聞いたことがあります。木製バットで次々とホームランを打っていたって。凄すぎるなとは思いますが、憧れという感情はないです。これはほかのOBの方でも同じです。憧れるというならば、特定の選手というよりも歴代の選手たちが積み重ねてきた”4番像”そのものです。打ってほしいと思うときにこそ打てる。チームが苦戦しているときに突破口となる一打を打つ。そのように先頭に立ってチームを勝ちに導く選手になりたいと思っています」

 65本塁打という数字についても、特に意識はしていないと森下は言う。

「やるからには一番になりたいというのはあります。でも、本塁打の本数はあとになってから知ったぐらいですし、別に一番じゃなくてもいいかなと……。それよりも勝ちたい。すべての試合で勝ちたいです」

 求めているのは優勝だけ。それしかない。

「主将の小松(勇輝)がチームの支柱で、山田(拓也)が守備の軸、僕が打撃の軸。この3人が芯となって戦うのが今年の相模のスタイルです。甲子園でもみんなが打ってほしいと思う場面で結果を出し、先頭になってチームを引っ張っていきます」

 ようやくたどり着いた甲子園。その大舞台で森下はどんな活躍を見せてくれるのだろうか。センバツが待ちきれない。