稀勢の里は6場所連続、白鵬は2場所連続で休場することになった大相撲春場所。看板の2横綱が不在のまま幕が上がる”大荒れの春”で、正念場を迎える師弟がいる。貴乃花親方と弟子の貴ノ岩だ。



3月1日に取材に応じた貴乃花親方(右)と貴ノ岩(左)

 昨年10月、貴ノ岩は巡業先である鳥取市内での酒席で、元横綱・日馬富士から暴行を受けて頭部を負傷し、九州場所、初場所と2場所連続で休場に追い込まれた。通常ならば春場所は幕下に陥落する状況だったが、番付は「西十両12枚目」。休場理由が”横綱による暴行で受けたケガ”だったため、日本相撲協会は給与が支給される関取の座にとどめておく特別な措置を取ったのだ。

 頭部のケガなだけに回復状況が心配されたが、取組編成会議が行なわれた9日の朝、貴乃花親方は宿舎のある京都・宇治市内で貴ノ岩の出場を明言。「本人が出させてくださいということですから、本人の意思を尊重した」と語り、「出場するからには死力を尽くす思いでやるということです」と弟子の思いを代弁した。

 貴ノ岩が本格的に土俵で稽古を開始したのは、2月26日に番付が発表された後だった。それまでは四股、てっぽう、すり足、軽いぶつかり稽古といった感触を確かめる内容だったが、今月の7日から申し合いを開始し、同じ部屋の十両・貴公俊ら相手に6勝2敗。翌日は5番取って4勝1敗、9日は貴景勝らと4番取って負けなしと、番数こそ少ないが日増しに調子を上げてきている。

 3月1日には、師匠とともに事件後初となる取材に応じ、「一生懸命やることだけを考えています」と意欲を語った。2009年の初場所でデビューを飾ってから、2場所連続の全休は今回が初めて。ただでさえ気持ちの準備が難しい状況なうえ、”事件の被害者”としてこれまで以上に注目を浴びることは間違いない。

 3月場所で大きく負け越すことになれば、2012年の夏場所以来となる幕下への陥落は確実だ。重圧のかかる場所になるが、貴ノ岩にはこれまでに培った猛稽古の貯金がある。初日の東十両13枚目の翔猿(とびざる)との一番を乗り切れば、幕内上位の実力を持つだけに一気に波に乗るだろう。

 弟子は正念場の土俵に向かうことになるが、師匠の貴乃花親方はそれ以上の”逆風”と戦うことになる。

 貴ノ岩の一件は、貴乃花親方が鳥取県警に被害届を出し、九州場所中のスポーツ新聞によるスクープ記事で表面化した。それ以来、テレビのワイドショーやニュース番組で毎日のように報じられる”大騒動”となったことは周知の通りだ。

 加害者の日馬富士は引退し、罰金50万円の略式命令で一応の決着を見たが、貴乃花親方と八角理事長(元横綱・北勝海)ら執行部との対立が白日のもとにさらされた。

 貴乃花親方は、巡業部長でありながら事件を協会に報告しなかった責任を問われて理事を解任された。初場所後の理事候補選挙では、自らが立ち上げた貴乃花一門で理事候補に選ばれず、阿武松親方(元関脇・益荒雄)が出馬。そんな中で強行出馬を決断したものの2票しか集められずに落選し、2010年から4期8年務めてきた理事の職を失うことになった。

 騒動中は沈黙を守っていた貴乃花親方だが、選挙から間もなくテレビ特番に出演して協会批判を展開した。そのテレビ出演に際し、必要な届け出が協会に提出されなかったことに親方衆が疑問を投げかけ、年寄総会で処分を求める声が相次いだ。

 阿武松親方ら同志から「協会の改革」を期待され、貴乃花親方が理事に当選したのが2010年。しかし、当選後の目立った動きといえば、大阪場所担当部長のときに15日間連続で正面ロビーに立ってファンサービスに努めたくらいで、それ以外は改革どころか目に見える成果を上げられていない。

 一門の枠を超えて約30人の親方が支持していたのも今は昔。今回の騒動もあって、そのほとんどが貴乃花親方の「組織人としての素養」に疑問を抱いている。今もなお、各メディアでは貴乃花親方を擁護する意見も見られるが、協会内部や往年の相撲ファンにはその行動は理解されず、ほぼ孤立しているというのが実情だ。

 さらに、貴ノ岩の出場が決まった9日には部屋のホームページを更新。暴行事件への協会の調査が「公正中立ではない」としたうえ、自身の理事解任を「正当な理由がない」などとし、内閣府の公益認定等委員会に告発状を提出したことを発表した。その告発状では、協会への立ち入り検査、是正措置などを求めている。

 現在の協会の運営に疑問を持ち、告発するのはもちろん自由だ。しかし、本場所を目前にしたタイミングで協会とさらに敵対し、決別することすら思わせる行動は、世間の目を土俵から離し、力士の集中を削ぐことにつながりかねない。貴乃花親方の孤立化に拍車がかかることも予想され、非常に厳しい道を選択してしまったといえる。

 そんな苦境を打開できるのは、やはり土俵しかない。貴乃花親方は理事に初当選したときに、「まずは弟子の育成を最優先に考えたい」と抱負を述べた。それは、自らに言い聞かせるのと同時に、すべての親方に「ファンの期待に応える弟子を育成してほしい」と願う思いの表れでもあった。

 それからの8年で、貴ノ岩を幕内上位まで昇進させ、貴景勝は部屋で初めての三役に駆け上がった。貴源治は十両を2場所連続で勝ち越し、その双子の兄である貴公俊は春場所に新十両昇進を果たした。

 角界には昔から、「よくも悪くも、すべては土俵の砂が洗い流してくれる」という風潮がある。理事から離れた貴乃花親方に必要なのは、才能あふれる新弟子を発掘するために全国を歩き、弟子の育成に没頭し、現役時代の自身のように”真っ向勝負”を貫く力士を送り出すことだ。その数が多くなるにつれ、ファンはもちろん、協会内の視線にも再び「敬意」が帯びてくるだろう。

 その土台を支えるためにも、まずは土俵に戻ってきた貴ノ岩の活躍がやはりカギとなる。厳しい状況で会心の相撲を取り、貴乃花親方の指導力の高さを証明できるか。それとも……。崖っぷちの師匠に、「弟子の指導が第一」という初心を思い出させるような土俵を期待したい。