秋季関東大会が終わってから3カ月たった1月26日、明秀日立(茨城)野球部に甲子園出場決定の一報が届いた。グラウンドで報せを待ち受けていた選手や保護者は、いっせいに喜びの声をあげた。 エースの細川拓哉は取材に集まっていた記者たちに囲まれ…

 秋季関東大会が終わってから3カ月たった1月26日、明秀日立(茨城)野球部に甲子園出場決定の一報が届いた。グラウンドで報せを待ち受けていた選手や保護者は、いっせいに喜びの声をあげた。

 エースの細川拓哉は取材に集まっていた記者たちに囲まれながら、これだけ大勢の人が喜ぶということは本当にすごいことをやったんだと、あらためて実感した。



昨年秋の関東大会ではエースとしてチームを準優勝に導いた明秀日立の細川拓哉

 練習を終えて合宿所に戻ると、父からメールが届いていた。細川はまだ小さなころ兄の成也(横浜DeNA)とともに、社会人野球の強豪クラブチーム・横浜金港クラブで4番を打っていた父にキャッチボールやノックをしてもらったことをよく覚えている。メールの内容は、父らしくシンプルだが熱いものだった。

<この冬も練習を重ねて成長した姿を甲子園でみせてください>

 父からの激励に細川は武者震いをした。

 明秀日立の金澤成奉(せいほう)監督が細川を初めて見たのは高校に入ってからのことだ。2歳上で同校のエースを任されている兄に劣らない素質を持つと聞いていたが、実際に細川の内野での動きを見てかなりの素質があると確信した。ただ金澤監督は野手以上に投手としての可能性を細川に感じていた。

「全身の力は成也の方が上でしょう。でも拓哉はパワーこそ兄に劣りますが、柔軟性が優れていた。特に肩甲骨まわりや胸郭(きょうかく)の可動域、好投手はこれらの柔らかさが必須条件です。拓哉にはそれがあった。投手一本で勝負すれば全国トップクラスになれる素質があると思いました」

 金澤監督に投手をするよう勧められたこともあり、1年の夏前から細川は本格的に投手の練習を始めた。1年秋に公式戦デビュー、2年秋には新チームのエースの座についた。「とはいえ……」と金澤監督は苦笑する。

「これだけ体がしなやかなのに、兄の成也と一緒でめちゃくちゃ気持ちが硬い。堅苦しいくらい生真面目だからか不器用なところがあって、なんでも習得するのに時間がかかります。才能があるのだから、もっと気楽に一気によくなってくれないかなと思ったこともありますよ(笑)。でもそれこそ細川兄弟。どんな練習でも手を抜くことを知らない。成長は遅いけれど、歩みは止めずに着実。本当にそっくりです」

 細川は秋の県大会から投げ抜いた。さらに、関東大会でも3日連続を含む5日間で4試合500球近くを投げた。

 初戦の山梨学院戦は5安打、3失点で完投。続く健大高崎(群馬)戦は15安打を打たれて5点を失いながらも連続完投。連戦となった準決勝の慶應義塾(神奈川)戦は8回1/3を投げて10安打、4失点。3日連続となった決勝戦はリリーフでの登板だったが、3回1/3を被安打3、失点1と快投した。

「成也も体が頑丈でしたが、拓哉も負けずにタフです。投手経験1年でここまで投げられるとは。体の強さは坂本勇人(巨人)を凌ぐかもしれません。体も性格も血筋なんだと思います」

 監督も認める体を持つ一方で、手痛い一打を浴びることもあった。しかし細川は打たれても堂々と振る舞い、心が折れることなく持ちこたえた。そこには兄からの助言があった。

「兄からはいつも『最後は気持ちだ。絶対に気持ちで負けてはいけない』と言われています。どんなに打たれても、そこだけは譲ってはいけない。兄の言葉を信じて投げ続けました」

 兄とはずっと一緒に野球をやってきた。細川が野球チームに入ったのは小学校1年の時。3年生だった兄が地元の北茨城リトルに入ると細川も入った。兄が中学生になり、いわきリトルシニアに入ると、5年生ながら一緒に入団した。

 いわきリトルシニアのグラウンドは実家から自動車で40分ほどかかる。そのようなこともあり当初は休日のみ練習に参加していたが、1年ほどして平日練習も参加するようになった。中学卒業後は兄の後を追うかのように明秀日立へ入学し、金澤監督の指導を受けた。

 そして最高学年になった今、兄と同じ背番号1を背負いチームを引っ張る。ずっと兄と一緒だっただけに比べられることも多い。しかし細川は「比較してもらえるのはありがたいことです」とさらりと言いつつ、選手としては兄とは異なるタイプだと自己分析してくれた。

「投手として見た場合、パワー系投手だった兄に対して、僕は球の回転やキレで勝負する投手です。選手としての特長がまったく異なるので、昔からライバルだとか抜いてみせるという気持ちはありませんでした。お互いにどこまでも成長したいと刺激し合ってきた感じです。兄がプロ野球選手になったことは本当に励みになります。兄も僕が甲子園へ出場できて喜んでくれました」

 兄がプロ野球選手になってからはほとんど会う機会がなかったが、年末から年始にかけて細川は久しぶりに兄と再開した。

 兄の体は1年前よりもさらに引き締まっていた。一緒に練習すると、兄の素振りのスイングの音は凄みを増していた。細川がシャドーをすると、兄はじっくり観察して前よりもよくなっていると言ってくれた。

 細川が下半身を重点的に鍛えたいと相談すると、兄はフルスクワットの効果的なトレーニング法についても教えてくれた。年始には競輪選手をしている叔父の家へ行き、兄と一緒にローラーでインターバルトレーニングを敢行した。兄と同じメニューはついていくだけで精一杯だったが、やり遂げた。

 まもなく春のセンバツ高校野球大会が始まる。冬の練習の成果を確認したいと、細川は自分自身に期待している。

「甲子園では評判のいい高校に対しても名前負けせず抑えたいです。僕は秋から成長できているはず。今なら自己最速を更新できると思います。でも、速球とスライダーだけでは厳しい。そこに研究しているシュート系の変化球を生かしたい。球質や技術、すべてが今までとは違う僕を見せることができます」

 細川は高校の間に達成すべきテーマとして、金澤監督と誓っていることがある。

「150キロを超えるストレートを高校生の間に投げること。それもただ速いだけではなく、ストレートとわかっていても空振りを奪えるストレートです」

 目標に到達したとき、細川は再び兄を驚かすことになるだろう。細川の視線はセンバツだけではなく、さらにその先までをしっかりと見据えていた。