【短期連載・ベンゲルがいた名古屋グランパス (8)】(1)(2)(3)(4)(5)(6)(7)から読む>>タイトルに結実したベンゲルサッカー その後も名古屋グランパスは首位争いを続けたが、1995年のニコスシリーズ(第2ステージ)はヴェ…
【短期連載・ベンゲルがいた名古屋グランパス (8)】
(1)(2)(3)(4)(5)(6)(7)から読む>>
タイトルに結実したベンゲルサッカー
その後も名古屋グランパスは首位争いを続けたが、1995年のニコスシリーズ(第2ステージ)はヴェルディ川崎の後塵を拝して2位に終わり、ステージ優勝は果たせなかった。
優勝を逃した要因のひとつに、夏場の失速があった。
夏場はただでさえ体力の消耗が激しいうえに、当時のJリーグは水曜、土曜と週2試合をこなす過密日程だった。加えて、アーセン・ベンゲルのサッカーはチーム全体が攻守にわたってコレクティブに連動するために肉体への負担が大きく、ゲーム終盤になって足が止まり、勝ち点を落とす試合が増えたのだった。
10月18日に行なわれた、第17節の首位・ヴェルディ川崎との天王山に敗れたのも痛かった。
この時点で、グランパスは清水エスパルスに次ぐ3位につけ、逆転優勝を狙える位置にいた。ドラガン・ストイコビッチを温存した8月26日の対戦とは異なり、この大一番にはベストメンバーで臨んだが、前半34分にアルシンドにゴールを許すと、頼みのストイコビッチも中村忠の密着マークによって封じられ、0-1で敗れた。
最少得失点差による決着だったが、内容は「何年経っても追いつけない。彼らと比べることは酷」とベンゲルも認めるほど、試合巧者のヴェルディとは大きな差があった。小倉隆史が悔しさを滲ませながらその試合を振り返る。
「試合後のロッカールームで、ベンゲルから『今のままでは、お前たちはヴェルディに一生勝てない』と言われたのを覚えています。ショックでしたよ」
この節でエスパルスも敗れ、最後までヴェルディの独走を許すことになった。もっとも、グランパスの選手たちに、ステージ優勝を逃した悲しみに暮れる暇はなかった。リーグ終了から間髪入れずに天皇杯の日程が組まれていたからだ。
しかし逆に、インターバルなく天皇杯に臨めたことがグランパスに幸いした。大岩剛(ごう)が分析する。
「リーグ戦の勢いをそのままに天皇杯に突入できたのが大きかったと思います」
1回戦で京都サンガを2-1で下したグランパスは、2回戦で横浜フリューゲルスを4-1で、準々決勝でヴィッセル神戸を2-0で撃破。準決勝では苦手にしていた鹿島アントラーズに5-1と大勝を飾り、初めて決勝へと駒を進める。
天皇杯の決勝でサンフレッチェ広島と対戦したグランパス photo by AFLO
この時点で小倉には、優勝する予感があったという。
「勢いに乗っていて、負ける気がしませんでした。優勝するチームって、こんな感じなんじゃないかなって思いましたよ。俺は、準々決勝でイージーなシュートを外してすぐに交代させられて、ベンゲルにめちゃめちゃ怒られたんだけどね」
1996年の元日、国立競技場は決戦にふさわしい快晴に恵まれた。初タイトルを懸けて戦う相手は、サンフレッチェ広島である。その試合前のミーティングは10分で終わった。
重要なゲームであればあるほど、ベンゲルのミーティング時間は短い――。
難しいことをする必要はない。いつもどおりグランパスのサッカーをするだけだった。
ファイナル独特の緊張感に飲まれることなく、グランパスの選手たちは躍動した。前半18分、左サイドからドリブルで中央に切れ込んだ平野孝が2人を抜いてゴール正面の小倉へ。小倉の放った左足のボレーシュートがゴールネットを揺らし、グランパスが先制する。
後半7分には、左サイドを突破した平野のクロスをストイコビッチが強烈なボレー。これはGKにブロックされたが、こぼれ球を小倉が右足で押し込んだ。
さらにその1分後には、小倉から右サイドに出たボールを、ストイコビッチがマークをかわして左サイドの平野へ。平野が切り返して相手DFを振り切ってシュート。勝負を決定づける3点目を決めた。
天皇杯を制し、クラブ初タイトルを手にしたグランパス photo by AFLO
その後、危なげなく相手のパワープレーをしのいだグランパスの選手たちは、試合終了のホイッスルが鳴った瞬間、歓喜の雄叫びをあげ、ガッツポーズを繰り返した。グランパスらしいワイドの揺さぶりと飛び出し――1年の集大成のような内容だった。
澄み切った国立競技場の空に、グランパスの凱歌が鳴り響く。メインスタンドの壇上にグランパスの選手たちが並び、キャプテンの伊藤裕二が天皇杯を高々と掲げた。
通訳の村上剛には、教え子たちの晴れ姿をピッチから眺めるベンゲルの目に、涙が光ったように見えた。
(つづく)