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【短期連載・ベンゲルがいた名古屋グランパス (7)】
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コンディション、食事に目を光らせる指揮官
密着マークに定評のあるヴェルディ川崎のDF中村忠が、ピッチの上で困惑する素振りを見せていた。無理もない。彼が密着マークを命じられた相手チームのエースが、ピッチの中にいなかったのだから。
『中日スポーツ』の木本邦彦が笑みをこぼす。
「ピクシーがメンバー外だったんですよ。それで記者仲間と『おい、中村ミニラ(映画『ゴジラ』シリーズに出てくるミニラに似ていたことからついた愛称)、マークする相手がいなくて戸惑っとるぞ』と話したのを覚えています」

ベンゲル政権時代のグランパスイレブン photo by FAR EAST PRESS/AFLO
1995年ニコスシリーズ(第2ステージ)開幕から4連勝を飾って迎えた8月26日のヴェルディ川崎戦。初のステージ優勝を目指す名古屋グランパスにとって最初のヤマであるこの試合で、ドラガン・ストイコビッチはスタメンから外れたばかりか、ベンチにすら入らなかった。
出場停止だったわけではない。右ヒザに痛みを訴えていたが、プレーできないわけでもなかった。だが、ストイコビッチに疲労が溜まっていると判断したアーセン・ベンゲルは、エースに休養を与えたのである。再び木本が振り返る。
「当時は水曜と土曜に試合があって、常に連戦だったでしょう。それでピクシーを休ませたんだけど、よりによって(Jリーグ創設から2年連続で年間王者に輝いていた)ヴェルディ戦で休ませるとは思いませんでした。その決断には驚かされましたね」
ベンゲルはこの大一番を前に「重要な試合だが、決定的な試合ではない」と語った。休養を与えることで、ストイコビッチが次の試合から再び万全のコンディションで臨めるだけでなく、ストイコビッチに依存していたチームを試すという狙いもあったのかもしれない。もし、エース不在でヴェルディに勝てば、チームの自信がさらに増す一方で、ヴェルディのダメージは2倍、3倍にも膨れ上がるはずだった。
このエース温存のエピソードが表すように、ベンゲルのコンディション管理は徹底していた。練習はいつも90分以内に収められ、居残り練習は禁止された。
「まだ若かったから、練習後にオカ(岡山哲也)とリフティングしながら遊んでいたんだけど、それだけでも激怒されたからね」
そう振り返るのは、当時22歳で体力があり余っていた小倉隆史である。ベンゲルの視線は練習後だけでなく、オフにまで及んだ。ベンゲルは選手たちにこう告げた。
「彼女とデートするのは一向に構わないが、一緒に歩くな。お前たちは座っていろ。オフはフリー(自由)じゃない。レスト(休息)だ!」
徹底していたのはコンディション管理だけではない。食事の管理も同様で、遠征先のホテルの食事メニューにも細かく指示を出した。
試合前や試合後には炭水化物や脂質を一切摂らせず、胃に負担のないものがリクエストされた。試合前の食事は3時間前までと定められ、チーズもオリーブオイルもかかっていないシンプルなパスタが用意された。それに加えて、バゲット、皮をはいだ鶏の胸肉、温野菜が並んだ。通訳を務めた村上剛がそれに補足する。
「オレンジジュースも禁止なんです。あるときにその理由を訊ねたら、胃に酸が溜まるからと。キュウリも禁止だったんですけど、瓜系は体が冷えるからと。ベンゲルは理路整然と理由を答えてくれました」
サントリーシリーズ(第1ステージ)を2位で終えたヴェルディは、三浦知良をセリエAのジェノアから復帰させ、戦力をさらにアップさせていた。
8月26日のゲームは、小倉のゴールでグランパスが前半12分に先制したが、ストイコビッチに代わってトップ下に入ったフランク・デュリックスが次第に中村に抑えられ、後半に入ってスコアをひっくり返された。後半40分には森山泰行がジャンピングボレーを炸裂させて同点に追いついたものの、その4分後に、ビスマルクに勝ち越し弾を許して2-3で敗れた。
1点リードした前半24分に小倉が2点目を決めたかと思われたが、キーパーチャージだとしてゴールが取り消されるという微妙な判定が、勝敗を大きく左右した。
大一番を落としたグランパスは、勝ち点12でヴェルディと柏レイソルに並ばれた。だが、それでも得失点差でグランパスは首位を守っていた。
通訳が見たベンゲルのワーカホリックぶり

『中日スポーツ』でグランパスを担当する木本邦彦 photo by Fujita Masato
22年前の快進撃を振り返りながら、木本は「今思えば、あのとき、ベンゲルはよく辞めなかったな、と思う」と言った。
「あのとき」とは、6勝10敗の12位で5月上旬のリーグ中断を迎え、フランスキャンプに出発する前に開かれた、ベンゲルとメディアとの懇親会のことである。
そこで報道陣から「ヨーロッパと比べたら(名古屋)グランパスのレベルは低い。それに合ったやり方があるのでは?」という質問を何度も受け、ベンゲルの表情が変わった。
「ベンゲルがね、『私はこのやり方でずっとやってきた。それが受け入れられないならフランスに帰る』と怒り出したんです。ベンゲルからすれば、プロリーグができて2年のお前たちに何がわかるんだ、っていう気持ちがあったと思う。でも、ベンゲルは辞めませんでした。フランスキャンプではより細かく指示をするようになったというし、毎日のように朝まで試合映像を分析して、どうしたら強くなるか研究していたみたいです」
試合映像を見るのはベンゲルの日課だった。それは、グランパスや対戦相手の試合だけでなく、ヨーロッパのサッカーなど多岐にわたった。
「ベンゲルの自宅のリビングには大きなテレビがあるんですけど、練習後から深夜遅くまで、そこで延々とサッカーを見ているんです」
通訳の村上がそう証言する。村上は当時、ベンゲルやコーチのボロ・プリモラツを私生活でもサポートしていた。朝、彼らを迎えに行くと、プリモラツが眠そうな顔で出てきて愚痴をこぼすことが何度かあったという。
「ボロがあくびをしながら、『昨日はボスに3時まで付き合わされたよ』って嘆いていましたね」

アーセナルでもコーチを務めるボロ・プリモラツ(右) photo by Getty Images
ベンゲルの”ワーカホリック”ぶりは、日々のテレビ観戦にとどまらない。
ピッチが薄く描かれた紙を挟んだバインダーを常に持ち歩き、ことあるごとにそこに何かを書き込み、思案にふけるベンゲルの姿が、村上には強く印象に残っている。
「試合後の新幹線の中では必ずバインダーを開いて、フォーメーションとか、練習メニューとかを書き込んでいましたね。次の試合までの修正点やアイディアなんかを整理していたんだと思います」
現役を引退したあと、アーセナルを訊ねた平野孝はベンゲルと昼食をともにしていたとき、こんなことを訊ねた。
「同じ練習メニューは一度もありませんでしたが、いつ、どうやってメニューを考えていたんですか?」
するとベンゲルは、こともなげに答えた。
「練習メニューに頭を悩ませたことはない。毎日、頭の中からどんどん溢れ出てくるんだ。それを忘れないように、常にメモに書き留めている」
平野が苦笑しながら言う。
「それを聞いて、この人、やっぱりすごいなって思いましたよ」
(つづく)