「諦めることと 明らめること」光栄にも取材をしていただく機会があり、記者の方からよく「今まで諦めないで挑戦し続ける事が出来たのは何故か?」というご質問を頂く事がある。しかし、このご質問には上手く答える事ができない。何故ならば僕はたくさんの事…

「諦めることと 明らめること」

光栄にも取材をしていただく機会があり、記者の方からよく「今まで諦めないで挑戦し続ける事が出来たのは何故か?」というご質問を頂く事がある。

しかし、このご質問には上手く答える事ができない。何故ならば僕はたくさんの事を諦めてきたからだ。

僕は野球を諦め、テニスを諦め、サーフィンを諦め、格闘技を諦め、ダブルダッチを諦めた。

どれも遊びではなく、本気で世界一を目指し、出来る限りの事をした。

自分の全てを尽くして努力すればするほど、己の可能性の限界もはっきりとわり、なんとも言えない屈辱を感じ、諦めてきた。

しかし、人生はそれで終わりでないし、
何かが出来ないからといって、人としての価値が下がることもない。

考え方をかえれば、人生は何度失敗してもいいから思いっきり楽しんでこいと、神様から背中を押してもらったご褒美のようなものにも見えてくる。

もし、記者さんの目に、諦めないと映る何かが僕の中にあるとするならば、

その限られた時間のなかで、自分の可能性を探しもがく往生際の悪さなのかもしれない。

和田賢一