小学校3、4年生の頃に通った場所を、マイケル・リトルは日本語で言う。「大泉西小学校。群馬」 強豪のニュージーランド代表として50キャップ(国際真剣勝負への出場数)を獲得したCTBのウォルター・リトルを父に持ち、その父が日本の三洋電機(現パ…

 小学校3、4年生の頃に通った場所を、マイケル・リトルは日本語で言う。

「大泉西小学校。群馬」

 強豪のニュージーランド代表として50キャップ(国際真剣勝負への出場数)を獲得したCTBのウォルター・リトルを父に持ち、その父が日本の三洋電機(現パナソニック)でプレーしていた頃は群馬県太田市に住んでいたのだ。好物について聞かれたら、「寿司、焼き肉」と応じる。

 ここから先は、英語で話す。

「父を偉大だと感じる思いは、自分が年を重ねるたびに強くなっています。小さい頃はオールブラックス(ニュージーランド代表)が何なのかもわからないところがあったのですが、ニュージーランドの子どもは皆がラグビーをしていて、その頂点にオールブラックスがある」

 大人になったリトルは、2017年にプロラグビー選手として来日していた。三菱重工相模原の一員として、国内下部のトップチャレンジリーグで活躍。国際リーグのスーパーラグビーに日本から参戦する、サンウルブズのラブコールを受けた。チーム発足3年目となる2018年シーズンから加わり、国内居住3年を超える2020年以降の日本代表入りも狙う。

「小さい頃にすごく楽しんだので、日本にはいつか戻ってこようと常に思っていました。(2017年の来日は)そこにチャンスがあったから。ちょうどいい時期が来たのです」

 さながら弾丸だ。防御網の懐へ突っ込む。突破する。日本で対戦したチームの選手には、「彼は2人で止めなくてはいけない選手」と言わしめた。

 公式サイズは身長183センチ、体重89キロだが、母国ニュージーランドでは実寸で自分より大きな相手と戦ってきただろう。それでも当の本人は、相手との体格差を気にしない。むしろ自らの資質を、他にはない強みへ昇華させる。

「(グラウンド上の選手は)皆、2本の足と2本の腕を持っている者同士です。あとは、ハードワークするだけ。スーパーラグビーでは、このサイズならではのスピードを活かすなど、三菱重工相模原の時とは違うプレースタイルを目指します」

 スーパーラグビーでのキャリアは浅い。2016年に母国ニュージーランドのブルーズ入りを果たすも、公式戦デビューは叶わず。極東の新興チームというステージでは、いままで発揮できなかった存在感をアピールしたいところだ。

「(日本代表入りの資格を得るまで)2年もありますが、その機会をずっと待っています。その時に自分の実力が伴っていれば、もちろん、日本代表になりたいです。まずはこのサンウルブズでできることをしっかりやって、コーチ陣にいい印象を植え付けたいです。コーチが自分に求めるプレーをします。三菱重工相模原に適応したように、サンウルブズに適応したい」

 まだ24歳。明るい未来を見据える。現在は別メニュー調整の日もあるが、実戦練習に加われば持ち前のランを随所で披露する。出場のチャンスをつかめば小さくないインパクトを残すだろう。
(文:向 風見也)