今年初のGI全日本選抜(四日市競輪場)が先日、無事に開催終了しました。結果からいうと新田祐大選手(福島90期)が一桁違うスピードを見せての捲りで、見事に優勝を飾りました。この時期、一発目のG1での優勝は世界を見据えている新田選手にとってはさ…

今年初のGI全日本選抜(四日市競輪場)が先日、無事に開催終了しました。
結果からいうと新田祐大選手(福島90期)が一桁違うスピードを見せての捲りで、見事に優勝を飾りました。
この時期、一発目のG1での優勝は世界を見据えている新田選手にとってはさらに練習で追い込む1年にできるし、出場権を得た年末のグランプリ優勝に向けてもますます有利に働くことでしょう。はい、2018年末には抜けた”一強時代”になっている可能性もありますね。

今開催の新田選手の走りを振り返ってみると、ファンにとっては毎走、予想通りで定位置からの仕掛け。ですから、展開はとても読みやすいです。後ろが同県の選手であろうと自分だけは勝ち切る走りで、一部からは策がなさすぎる走りはどうなのか?という声も。しかし、そう走ってくるだろうと、対戦相手が分かっていても勝ち切る力量と技術が新田選手は持っているということです。これはある意味、受けて立つ”横綱相撲”を見せている訳で、私個人としては何も不満はありません。それよりも毎回、同じパターンで新田選手を勝たせてしまっていますよね。対戦相手があまりにも無策な走りをしているように感じざるを得ません。
新田選手は日本の競輪で優勝できても、まだ世界では通用しないことに気付いています。現状に満足することなく、これからも努力を重ねていくことでしょう。怪我には充分に注意して頑張って下さい。


さて、この全日本選抜の売り上げ目標96億円でした。しかし、83億5,000万円程度で終わってしまいました。これは全日本選抜ワースト記録だそうです。特別競輪の売り上げ低迷に、もう少し危機感を感じて、早急な対策が必要になっているのは明白。
競輪界はミッドナイトによる売り上げが伸びているため、利益額は伸びているのかも知れません。ですが、競輪に興味を抱いている人が確実に減っているということは、近い将来、大変な時期がくるのではないでしょうか?
私が毎日、車券を買って楽しんでいる競輪ファンに尋ねると「ギアをかけてレースをするようになったことで、レースの流れが単調になり面白味が減った」という見解が。また、時代と共に施設も古くなっていることで「今の時代の娯楽施設としては不向きになってきてしまった」という声もありました。競馬や競艇では、施設トイレはウォシュレット付きで綺麗なのが当たり前です。こういう部分でも若者に受け入れられやすく、競輪界は遅れを取っているのではないでしょうか。

私が現役選手の頃はやたらスタート牽制や再発走が多くて、それが事故点となったり、中央に呼び出しての指導などで減らそうと努力していました。私は上層部に「やたら規則を厳しくして罰則を与えるよりは、全プロケイリンのように取らなければいけないルールにしてはどうですか?」と、提言したこともあります。その時に帰ってきた返事は「ギャンブルだから特定の人に有利、不利を与える訳にはいきません」というものでした。現場で走っている選手の立場としては、車番は番組編成で勝手に決められて、スタートを取りたい時は断然に内枠の1番が有利なのを知っているのかな?と、いまだに納得いかない説明を受けたものです。
そして、今のルールは打鐘前に先頭誘導員を退避させると、重大走行注意という判定を貰い、事故点が加算されていきます。現代競輪ではギアをかけて赤板(残り二周)から出ても逃げ切る選手がいるのに、今はほとんどが事故点過多で競走内容を制限しながら走っている自力選手ばかり。これって、特定の選手だけに不利を与えているとことにならないのでしょうかね?


他業界の人でありながら、競輪を好きな人がこんな記事を書かれていました。こういう声こそ一番ファンの求めていることだと気付いて『ファンあっての競輪』という言葉に偽りなく、迅速に対応して欲しいものです。

【略歴】


山田 裕仁(やまだ・ゆうじ)

1968年6月18日生 岐阜県大垣市出身
1988年5月に向日町競輪場でプロデビュー
競輪学校の同期で東の横綱・神山雄一郎(栃木61期)、西の横綱・吉岡稔真(福岡65期・引退)らと輪界をリード
“帝王”のニックネームで一時代を築いた
2002、2003年の日本選手権競輪(ダービー)連覇などG1タイトルは6つ
KEIRINグランプリ連覇を含む史上最多タイ3度の優勝など通算優勝110回
通算獲得賞金は19億1,782万5,099円。
2002年に記録した年間最高賞金2億4,434万8,500円はいまだに破られていない
自転車競技でも2001年のワールドカップ第3戦(イタリア)で銀メダルを獲得するなどの実績を残した
2014年5月に引退して、現在は競輪評論家として活躍中
また、競走馬のオーナーとしても知られる