神野プロジェクト Road to 2020(13)() 昨年の12月26日、大腿四頭筋を鍛える練習がスタートした。 この日はレイヤートレーニングではない。プライオメトリクストレーニング(※)と瞬発系のトレーニングを組み合わせ、大腿四頭筋…

神野プロジェクト Road to 2020(13)

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 昨年の12月26日、大腿四頭筋を鍛える練習がスタートした。

 この日はレイヤートレーニングではない。プライオメトリクストレーニング(※)と瞬発系のトレーニングを組み合わせ、大腿四頭筋に力が入りやすいようにして刺激を入れていく。
※筋肉の伸張反射のメカニズムを利用し、筋肉の収縮速度を高めるためのトレーニング



大腿四頭筋を鍛えるトレーニングを始めた神野大地

 両手に4kgのダンベルを持って右足を踏み台の上に置き、左足を後ろに伸ばして置く。そこから左足の太腿を前に引き上げる。それを左右100回ずつこなすのだが、途中で安定性がなくなり、グラついてしまう。

「耐えろ、耐えろ!」 

 中野の厳しい声が飛ぶ。

「両手で8kgだけど、本当は重しを持つと安定するんですよ。でも、そこをグっと抑えるだけの筋力がない。重心が変わった時、自分のポジションをどこに持っていくのか。ブレたら重さの位置をちょっと変えれば、重心を取れるはずなのに重りを持つといつもと違う感覚になるので、なかなか修復できない。

 それは”切り替え”ができない選手に多いんです。大腿四頭筋を使っていて、すぐに切り替えないといけない時、瞬時に反応できないのが神野の弱いところ。いろんな動作に対して瞬時に対応できるようにしていかないといけない。いま、取り組むべき練習のひとつです」 

 中野曰く、陸上選手は基本的にトレーニング動作習得が苦手なのだという。実際、陸上選手は他のスポーツが苦手だという例が多い。幼少よりいろんなスポーツに触れてくると新しいトレーニングをしても動作習得が速いのだが、陸上選手は走ることに特化してきているので、それほど器用ではないのだ。

 その後もフォームと大腿四頭筋強化のトレーニングが続いた。

 神野自身は福岡国際マラソン後、新しい取り組みを始めた。それは、高橋尚子のアドバイスが非常に大きかったという。

「高橋さんに、ひとつはレイヤーでいい筋肉を作っているんだから、レイヤーの次の日にクロカンでジョグをすることで、鍛えた筋肉をクロカンで刺激を入れて”走りの筋肉”に変えた方がいいって言われたんです」

 神野は言われた通り、レイヤーを終えた翌日、クロカンを70分ほど走った。走り終わった後の感触は悪くなく、今後も継続していくという。

「もうひとつは、これは中野さんにも言われていたんですが、高橋さんの例えで言うと、僕は最初からポルシェのエンジンを全開にして走っている。それではもったいないから、30kmまでは省エネ走りを覚えて、プリウスで走るようにして、30km以降からポルシェでいこうと。

 それはわかっているんですが、じゃぁ、どうしたらいいのか。それを具体的に教えてもらったんです」 

 それはいったい、どういうものだったのだろうか。

「高橋さんが言うには、集団で練習する時、自分が一番強くなろうと思うんじゃなく、一番ラクに終わろうという意識で走る。そう思うことで自然とエネルギーを使わない走りが染みつくと教えてもらったんです。

 今思えば、ずっとマラソン練習をひとりでやっていたので、抑えていたつもりでもエネルギーを使っていたなって思います。福岡の映像を見ても自分だけ頑張っているなって感じですからね。そうした具体案をいただけてよかったなと思います」

 所属するコニカミノルタの朝の集団走では、中盤ぐらいに位置して、ラクに終われるように意識して走っている。新しい取り組みの効果は、まだ明確に得られてはいないが、神野は手応えを感じているという。

*      *     *

 1月1日、快晴の中、群馬県庁から選手がスタートし、ニューイヤー駅伝が始まった。

 神野はデビュー戦となった昨年、エース区間の4区を走った。緊張感もあり、腹痛で苦しみ、結果的に区間7位に終わった。

 今回は数日前、アンカーに指名された。自分では6区かなと予想しており、磯松大輔監督から7区を言い渡された時は「まさか」と思ったという。だが、チームにケガ人が多数出ていたなか、選択の余地がなかったようだ。

 コニカミノルタはレースの出だしから躓(つまず)いた。1区が24位と出遅れ、早々に優勝戦線から脱落してしまった。

 それでも6区の山本浩之が区間2位の走りで頑張り、神野に9位で襷(たすき)をつないだ。10位の愛三工業とは1秒差だったが、神野はピッチを上げて走り、前を行く6位のMHPS、7位のDeNA、8位の安川電機を追った。

「1分以内なら(8位)入賞圏内と思っていたんですが、山本さんが予想以上に上げてきて、前とは24秒差だった。これはいくしかないでしょと思いましたね。まだ15.5kmもあるし、風が強いんで、そんなに前は上がらないだろうと思い、最初からいきました。

 5.8km過ぎで追いついたんですけど、ここからがしんどかったですね。風が強過ぎて、跳ね返されてペースが上がらなかった。そこからは先行するよりも自分もタメて走り、ラストでの勝負に備えていました」

 集団で走るなか、神野は一度、相手を引き離そうとした。7.3km付近で仕掛けて前に出たのだ。しかし、思ったほどライバルたちは離れなかったのである。

「自分はけっこう踏んでいるんですけど、いき切るきることができなかった。ちょっと後ろを見るとみんないましたからね。そこからは力をタメようと考え、途中からはジョグみたいなスピードで走ってしまった。(自分は)何やってんのかなって思ったけど、そういう中でも入賞だけは外せないと思って走っていました」

 気になったのはMHPSの松村康平だったという。

 集団の中では力のある選手である。神野は、「松村さんがガンガンいってくれれば」と思っていたが、松村も入賞圏内を目指し、自重していたのだ。

 ラスト500mになると、DeNAの木津晶夫や松村らが一気にスパートした。神野も遅れずに必死に食らいついた。歯を食いしばり、スピードを上げていった。

「ラストはありったけの力を出すスパートになると思っていました。その時スカスカだと勝負できないんで、タメまくっていたんですが、最後はマジでキツかった」

 決してスピードがあるほうではないが、神野は渾身のスパートを見せた。しかし、木津を抜くことができず、7位でフィニッシュした。

「チームの目標には届いていないですけど、入賞圏内に入ることが僕の最低限の仕事だと思っていたので、状態が悪いなりにもそれが達成できてよかったです」

 神野はそういってオレンジジュースを飲み干し、小さな笑みを浮かべた。

 入賞を意識し、お互いに牽制し合ったせいかタイムは伸びず、区間順位は12位だった。しかし、神野が襷を受けた時点では入賞が目標となっており、アンカーは順位がすべてだ。タイムまで求めるのは酷といえよう。

 1月7日からは陸連のニュージーランド合宿に参加し、27日に帰国した。

 2月には東京マラソンに出場予定だ。2度目のマラソンまで時間の余裕があるわけではないが、「福岡の前と同様の状態でスタートラインに立てれば、(2時間)10分切りが達成できる」と自信を見せる。

 まずはMGC(マラソングランドチャンピオンシップ)出場を獲得するために、神野にとっては結果が求められるマラソンになる。

(つづく)

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