大相撲初場所で、ジョージア出身の西前頭3枚目・栃ノ心(30歳・春日野部屋)が初優勝を飾った。14日目に松鳳山を寄り切り、2012年夏場所の旭天鵬(現友綱親方)以来となる平幕優勝を達成。来場所には7度目の三役復帰が確実と見られている。初…

 大相撲初場所で、ジョージア出身の西前頭3枚目・栃ノ心(30歳・春日野部屋)が初優勝を飾った。14日目に松鳳山を寄り切り、2012年夏場所の旭天鵬(現友綱親方)以来となる平幕優勝を達成。来場所には7度目の三役復帰が確実と見られている。



初場所で平幕優勝を果たした、ジョージア出身の栃ノ心

 千秋楽でも遠藤を破って14勝1敗で初場所を終え、春日野部屋からは1972年初場所の栃東以来となる天皇賜杯を抱いた栃ノ心。優勝インタビューでは、向けられたマイクに口を寄せながら「うれしいです」と答える初々しいやり取りで、2006年春の初土俵から自分を支えてくれた人々への感謝をこう述べた。

「親方からおかみさん、春日野部屋のみなさん、後援会のみなさん、日本人のみなさん、私の国のみなさん、みんな胸がいっぱいで応援ありがとうございました」

 ジョージア出身力士として初の優勝を果たし、「夢にまで見た」という栄光までの道のりは、波乱万丈だった。

 故郷ジョージアの古都・ムツヘタにある実家はワイン農家を営んでおり、家業を手伝ったことで自然と足腰が鍛えられた。子供のころから、柔道と、同国の伝統的な格闘技「チダオバ」に熱中して育ち、17歳のときに相撲の世界ジュニア選手権に出場。まったく経験がなかったにもかかわらず、3位入賞を果たした。

 このときに日本の国技である大相撲の存在を知り、ジョージア出身初の関取である黒海が活躍していることも耳にした栃ノ心は、支援者の紹介で春日野部屋への入門を決意した。

 初土俵は2006年の春で、190cm、110kgを超える体格を生かした四つ相撲で頭角を現し、初土俵からわずか2年の2008年初場所で新十両に昇進。その場所でいきなり優勝した。

 その後、十両は2場所で通過して同年夏に新入幕を決め、2010年の名古屋場所では新三役に昇進するなど、順調に出世街道を歩んできたが……。

 2010年10月に事件が起き、暗転する。

 度重なる門限破りや、「外出時には着物を着用しなければいけない」という相撲協会の服装規定を何度も破ったことから、師匠の春日野親方(元関脇・栃乃和歌)からゴルフのアイアンで殴打されるなど厳しい叱責を受けた。この事実は警察沙汰にもなって協会にも伝わり、「指導自体は致し方ないが、その方法は行き過ぎ」として、師匠は当時の放駒理事長(元大関・魁傑)から厳重注意を受けた。

 春日野親方は、処分を受けた後にすべての弟子を集めて謝罪。当時は八百長メール問題からの再起を図ろうとしている最中で、この暴行事件は世間からも厳しい視線を浴びた。

 しかし栃ノ心は、そんな親方の愛情も理解していた。四股名に入っている「心」は、「日本人の心を持ってほしい」と、春日野親方が願いを込めてつけたもの。また、栃ノ心が入幕を果たして間もないころには、現役時代に締めていた紺の締め込みを贈るなど、遠い異国から来た愛弟子にひときわ気を配っていた。

“日本の父”ともいえる師匠が、自らの過ちに端を発して窮地に立たされたことに、栃ノ心は「オレが悪いことをしたのに、親方にまで迷惑をかけて本当に情けないことをしてしまった」と、うなだれていた。

 師匠はこの騒動以後、弟子に手を上げる指導はしなくなった。栃ノ心も迷惑をかけた罪滅ぼしは「土俵でするしかない」との一心で、稽古に没頭する。しかし、2013年の名古屋場所で右ヒザ前十字じん帯断裂の重傷を負い、4場所連続で休場。番付は一時、西幕下55枚目まで転落した。

 入院したときは「もうダメだ。引退かな」という考えが頭をよぎったという。だが、いざ退院して部屋へ戻ると、そんな栃ノ心の思いを見抜いた師匠から、「お前はあと10年頑張るんだからな」と声をかけられた。

「あの言葉でもう1回頑張ろうと思いました」と振り返る栃ノ心は、痛めたヒザをカバーするために、休場する以前よりも筋力を強化。さらに、取組の際に後ろに下がるとケガを再発するリスクが大きくなるため、とにかく前に出て攻める姿勢を体にしみ込ませた。

 そして迎えた今場所は、得意の右四つ左上手だけでなく突っ張りも冴えた。攻める姿勢を忘れずに進化した栃ノ心の姿がそこにあった。

「親方には感謝しかないです」と栃ノ心が話せば、春日野親方も「自分が親方を務めているときに、優勝力士が出るとは思わなった」と喜びを口にする。師弟二人三脚で辿り着いた幕内最高優勝。千秋楽で部屋に戻った時、力水をつけた師匠と固く抱き合った2人は号泣した。その姿に周囲にはわからない師弟の深い絆が表れていた。

 6年前に平幕優勝を経験した友綱親方は、「無心でやっていたのがよかったし、内容も素晴らしかった」と栃ノ心を絶賛する。

 その友綱親方が優勝した2012年の夏場所は、大島部屋から友綱部屋に移籍して最初の場所だったため、「新しい部屋を盛り上げたい」と思いながら土俵に上がっていたという。そのときと事情は違うが、今場所中に春日野部屋の元力士による暴行問題が発覚したことに対し、友綱親方は「そういう状況だったから、”部屋のためにも頑張る”という気持ちはあったと思う。自分もそうだったけど、力士には”部屋のため”という気持ちが絶対にあるからね」と、栃ノ心の心情を慮(おもんばか)った。

 三役経験者が幕下に落ちてからのカムバック優勝は、1981年秋場所の琴風(現尾車親方)以来。琴風は、その場所後に大関に昇進している。さらに、栃ノ心は2014年の秋場所に十両で全勝優勝を決めているが、昭和以降で”十両全勝V”を果たしたのは、栃光、豊山、北の富士、把瑠都のみで、その全員が大関以上に昇進している。

 そんな例も追い風に、「もっと上を目指して頑張ります」という栃ノ心が、大関、さらにその上を目指して突き進む。