ノーサイドの後、会場の声に応え、目頭を押さえた。
 1月14日、秩父宮ラグビー場。リコーとのトップリーグ7位決定戦。NECグリーンロケッツでBK最年長の森田茂希(34歳)は、現役最後の試合を終えた。
 
 良い思い出ばかりではない12シーズン。敗戦の方が多かった。怪我に苦しみ、実に10度もの手術を受けた。そんな日々を「感謝しかない」と振り返る。
「日本代表でもスターでもないのに、グラウンドに立って終われる選手がどれだけいるか。お世話になった人や仲間が花道をつくってくれた。本当に幸せな最後や」
 理論派で強気のプレーメーカーの瞳に、感激があふれた。

 後半30分からSOで出場。24点差を追う劣勢。そこでお世辞抜きに、森田は真骨頂である視野の広さでチームを乗せた。
 後半34分。順目に攻める状況で、逆側の密集脇へのランナーを見逃さない。内返しの速いパス。観衆から「さすが!」と感嘆が。FB吉廣広征の快走を生んだ。
 37分過ぎには、数的優位で最初にボールを持つ。パスコースを塞いだ相手の頭越しに、緩いスピンで通した。どよめくような歓声。FL大和田立のビッグゲインを演出した。
 追い上げのトライは奪えなかった。それでも、NECは最終戦で今まで以上に一つになった。森田と、同じく引退するPR猪瀬佑太らの強い気持ちを全員で来季につなげた。

 観客席には、森田に告げず来場したサプライズの応援団。
 顔写真のお面をかぶり、名前の横断幕を掲げた。初めて子どもをラグビー場に連れてきた同期、関西から夜行バスで仕事を顧みずに訪れた友。自分を見失いそうなときに迎え入れてくれたクラブチームの恩人、いつも体のケアをしてくれた接骨院の先生まで。
「ラグビーだけは何があっても真面目に取り組んできた。最後の試合を観たいと来てくれたみんなが、それを証明してくれた」

 京都府長岡京市出身。中学3年でラグビーに出会った。レスリングやサッカーの経験から体力はあったが、足りないスキルを「誰より早く来て一番遅く帰る」と努力で補ってきた自負がある。
 佐々木隆道らタレント揃いの大阪・啓光学園高にあって、欠かせない存在に成長。3年ぶり3度目の日本一に貢献し、花園4連覇を飾る黄金期の礎になった。
 続く立命大では明るくおおらかな仲間に恵まれた。縛られず、ひらめきのあるプレーと正確なキックを磨いた。
 
 2006年にNEC入社。東芝府中との日本選手権同時優勝の翌年。世代交代の流れもあった。そんな中、レギュラーを掴んでは「12年のうち6年分はリハビリ」の繰り返しだった。
 膝や腕など怪我の箇所は多すぎて、手術の詳細が記憶にない。2か月間、片足を地面に着けずに過ごしたことさえある。最長1年半も離脱した。
 ただ、そんな苦境で思考は深まった。多少は落ち込んでも「自分で制御できないことは考えても仕方がない。常にプラスに捉える」。
 今は弱気な後輩に笑いながら伝える。「焦っても一緒。おれを見ろよ。何回復帰したと思ってるんや」

 またシゲさんが戻ってきた―。
 くじけない姿を見せ、なかなか上昇できないチームを鼓舞した。それは自然と、かつて自分が見てきたベテランの背中と重なる。
 チームの顔だった浅野良太は、首脳陣と対立したときに怒りを露わにし、何時間でも話し合って自分をかばってくれた。
 同じ大学出身の井上雅人は、同ポジションのライバル。それなのに試合に出る後輩に代わって率先して雑務をこなし、いつもプレーをたたえてくれた。
 その他のチームを離れたOBにも、受けた恩の数は怪我よりも数え切れない。
「あの人達から学んだんやと思う。チームのために何をすべきか考えるようになった」
 今でも感謝の思いが沸く。

 自ら会社の窓口になって千葉県内の小学校へタグラグビー教室を展開してきた。引退すれば、楽しみの一つだった普及活動からも離れる。
 他チームから移籍と現役続行の熱心な誘いもあった。だが今は一度だけ、競技から離れた社業に入ろうと思う。
「あれ以上の引退試合はないから。それに、まだやれるのにって思わせて退くのがいい。自分の方がまだ上手いって言える」
 いたずらっぽくも誇らしげに言った。
 スキルフルで冷静なプレー、何度でも這い上がった熱き心は誰もが認める。多方面からコーチングへの強い要請がある。さらに視野を広げ、またラグビー界に戻る時が待ち遠しい。