候補1年目で89.8%の得票率、通算出塁率4割超&シーズン100四球以上は9回 2018年度の全米野球記者協会の投票で米国野球殿堂に選出されたジム・トーミ氏はイリノイ州出身の内野手、指名打者。候補1年目に89.8%の得票率(75%以上が当選…

候補1年目で89.8%の得票率、通算出塁率4割超&シーズン100四球以上は9回

 2018年度の全米野球記者協会の投票で米国野球殿堂に選出されたジム・トーミ氏はイリノイ州出身の内野手、指名打者。候補1年目に89.8%の得票率(75%以上が当選)で選出された。

 1970年8月生まれ。1989年、イリノイ州の短大からドラフト13巡目(全体333位)でクリーブランド・インディアンスに入団。同期の1巡目には2014年に殿堂入りした強打者フランク・トーマスや、319セーブのクローザー、トッド・ジョーンズなどがおり、彼らに比べれば目立たない選手だった。

 1989年ルーキーリーグのGCLインディアンスでは、なんと213打席で0本塁打。不安なスタートだったが、翌年ルーキーリーグとA+で16本塁打、91年も好成績を上げて同年9月4日にメジャーデビュー。ツインズ戦に「7番・三塁」で先発出場し、4回にトム・エデンから三塁に内野安打を放った。

 右投げ左打ち。しばらくは控え三塁手、代打としての起用が続いたが、94年に20本塁打。殿堂入りしたエディ・マレーや、アルバート・ベル、マニー・ラミレスらと中軸を打つまでに成長した。

 ただ三塁手としては守備率は95%前後。失策も多く不安定だった。1997年に強打の三塁手マット・ウィリアムスが移籍してくると、トーミは一塁手となる。

 トーミは抜群の飛距離を誇るパワーヒッターだったが、同時に20代前半から優れた選球眼の持ち主だった。本塁打を狙うため三振も多かったが、好球を狙って辛抱強くボールを見送り、三振とほぼ同数の四球を選ぶため通算出塁率は4割に達した。シーズン100四球以上は9回を数える。

 20世紀の終わり頃から、MLBではセイバーメトリクスへの理解が進んだ。セイバーでは四球と安打は同じ価値があるとされる。また長打力のある打者が評価される。トーミは足が遅く、守備も得意ではなかったが、出塁率+長打率で求められるセイバーの指標OPSは、常にリーグトップクラスだった。

 2002年オフにFAとなり、フィリーズに移籍。ナショナル・リーグに移籍しても打棒は変わらず移籍1年目には47本で本塁打王になる。2005年に右ひじを負傷し、シーズンの大半を棒に振ると、2006年はトレードでホワイトソックスに移籍。ア・リーグに戻ってからはもっぱらDHとして打撃に専念した。

薬物問題には無縁、確実視されていた有資格初年度での殿堂入り

 193センチ113キロの巨体は、投手に対しての威圧感充分。すさまじいスイングで、ボール球にはなかなか手を出さない。30代後半に差し掛かっても、トーミはリーグ屈指の怖い打者だった。

 大投手ロジャー・クレメンスにはめっぽう強く、62打数22安打8本塁打、打率.355を記録。クレメンスはトーミに最も安打を配給した投手になっている。

 日本人投手との対戦も多い。マック鈴木は15打数9安打3本塁打、打率.600とカモにしたが、左の石井一久は12打数1安打、打率.083。しかし、その1本は本塁打。伊良部秀樹とは14打数3安打1本塁打、打率.214。木田優夫は3打数1安打1本塁打、そして高津臣吾は1打席だけ対戦し、1本塁打となっている。

 2009年8月にホワイトソックスからドジャースに移籍してからはツインズ、インディアンス、フィリーズ、オリオールズとチームを転々とし、2012年に41歳で引退した。

通算成績は 
2543試合8422打数2328安打612本塁打1699打点19盗塁 打率.276
本塁打王1回、シルバースラッガー賞1回、オールスター選出5回。

通算612本塁打は歴代8位。

1、バリー・ボンズ 762本
2、ハンク・アーロン 755本
3、ベーブ・ルース 714本
4、アレックス・ロドリゲス 696本
5、ウィリー・メイズ 660本
6、ケン・グリフィーJr 630本
7、アルバート・プホルス 614本
8、ジム・トーミ 612本

 8人のうち、薬物問題を起こしたボンズ、殿堂入り候補になる年限が来ていないアレックス・ロドリゲス、現役のプホルス以外の選手は殿堂入りしている。薬物には無縁でもあり、殿堂入りが確実視されていた。

 トーミは1990年以降で最高の長距離打者の一人と言ってよいだろう。(広尾晃 / Koh Hiroo)