1年前、チェコ共和国の自宅でナイフで襲われて療養中だったペトラ・クビトバ(チェコ)は、再びテニスができるようになるのかどうかわからなかった。2016年12月に起きた襲撃事件のために昨年は出場できなかった「全豪オープン」に戻って来たクビトバに…

1年前、チェコ共和国の自宅でナイフで襲われて療養中だったペトラ・クビトバ(チェコ)は、再びテニスができるようになるのかどうかわからなかった。

2016年12月に起きた襲撃事件のために昨年は出場できなかった「全豪オープン」に戻って来たクビトバにとって、1回戦でアンドレア・ペトコビッチ(ドイツ)に6-3、4-6、10-8で敗れたことは、大局的に見ればほとんど気にならなかったのも当然だった。

火曜日にショーコート2で行われた試合が終わった時、クビトバは涙していたが、それは悪い涙ではなかった。

「とにかくプレーできたんです」と「ウィンブルドン」を2度制したクビトバは言った。「試合の間中、皆さんのサポートを感じました。コートから去る時、応援してくれている人たちの声を聞いて、泣いてしまいました。最高でした」

それほど最高ではなかったのは、勝利を目前にしながら犯したいくつかのエラーだった。勝ったペトコビッチはクビトバとの対戦成績を5勝5敗のイーブンとした。

今年の「全豪オープン」で27位にシードされたクビトバは、ハーフボレーがネットにかかった2ポイント後に迎えたマッチポイントでダブルフォルトを犯した。その前には第3セット第10ゲームで3本のマッチポイントをしのいでいた。

「残念ながら、負けたのは私でした」とクビトバは言った。「第2セットはすごく頑張ってブレークしました。第3セットはサービング・フォー・ザ・マッチが何本かあったのに、サーブが2度アウトになってしまいました」

クビトバは大会前にオーストラリアのウェブサイト「PlayersVoice」で、利き手である左手の手術から回復する際に経験した苦しみについて述べた。昨年、最初のグランドスラムであるメルボルンでシーズンが始まった時には、余計に辛かったという。

「思っていたよりも深い感情でした。去年はオーストラリアが恋しかったのです。オーストラリアが恋しかった」とクビトバは書いている。

クビトバは「全仏オープン」でようやくツアーに復帰し、ほとんどの選手が「私を抱きしめて泣いてくれたので、私達はみんな家族みたいだとわかったのは、とてもすてきなことでした」と述べている。「全仏オープン」では2回戦で敗退した。

その後、イギリスのバーミンガムの芝コートでタイトルを獲得し、「全米オープン」では準々決勝に進出した。

その間中、ナイフで襲われた記憶が甦り続けた。

「今でも時々フラッシュバックに襲われます」とクビトバは「PlayersVoice」に書いている。「残念ながら、フラッシュバックはおそらく永遠に起き続けるでしょう。私がどこにいようと、ほとんど関係ありません。コートで起きることもあれば、家族と一緒にいる時に起きることも、アパートメントの中などで一人でいる時に起きることもあります」

クビトバはシーズン最初のグランドスラムで戦うためにメルボルンに滞在することを心待ちにしていた。彼女は2012年に「全豪オープン」準決勝に進出し、2011年には準々決勝まで駒を進めた。

「私にとって『全豪オープン』は『ウィンブルドン』に次いで好きなーひょっとしたら『ウィンブルドン』と同じくらい好きな場所かもしれません。私はこの場所と、ここの人々と、ここでプレーすることが大好きです。『ウィンブルドン』とは少し違いますが、両方とも独特の魅力があります」とクビトバは書いている。

火曜日、ファンとテニス・コミュニティは、彼女に愛のある声援を送った。

「とても大きな意味がありました。試合中もずっとサポートを感じていました」と、クビトバは試合後に語った。「チェコ語で話す声も聞こえてきましたし。コートを去る時に本当に強く感じて、グッと来てしまいました」

「最後はとてもハッピーな気持ちになりました。またテニスができるようになって嬉しい。それが大切なことです」(C)AP(テニスデイリー編集部)※写真は「全豪オープン」に帰ってきたクビトバ

(AP Photo/Vincent Thian)