昨年の記者会見で、2019年UTMB参戦を表明した鏑木毅トレイルランナー鏑木毅、50歳の挑戦 1過酷さのあまり、幻覚におそわれることも そもそもUTMB(ウルトラトレイル・デュ・モンブラン)とはどんな大会なのか。 UTMBはフランス、ス…
昨年の記者会見で、2019年UTMB参戦を表明した鏑木毅
トレイルランナー鏑木毅、50歳の挑戦 1
過酷さのあまり、幻覚におそわれることも
そもそもUTMB(ウルトラトレイル・デュ・モンブラン)とはどんな大会なのか。
UTMBはフランス、スイス、イタリアにまたがるヨーロッパアルプスの最高峰モンブランを中心に、山岳地帯を走るトレイルランニングの大会である。
2018年の場合、全長171km(約100マイル)。コースの登り(標高差)を足した累積標高が1万300m。トップ選手でも走行時間は20時間を超える。
鏑木毅(かぶらき つよし)選手の言葉を借りれば、「自転車でいえばツールドフランスのような存在の大会で、トレイルランニング界で最高峰といわれる大会」となる。
過去、この大会で日本人最高の3位入賞(2009年)を果たしているのが鏑木選手である。
毎年開催されているこのレースだが、鏑木選手は2012年以降挑戦しておらず、2019年は7年ぶりの挑戦となる。
鏑木選手は、トレイルランニングの魅力はなんといっても、自然の美しさだという。絶対に観光では行けないようなところを自分の足で走る。時に、あまりの景色の素晴らしさに自分がレースをしていることや、心身の疲れも忘れてしまう瞬間があるという。
ただUTMB のように160〜170kmを走破するようなレースでは、その過酷さは私たちの想像を絶する。20時間寝ずに走り続ける異常な状態。極度の疲労を体に抱えながら走るので、脳はそれを生命の危機と判断し、レースをやめさせようと、さまざまな幻覚を見せることさえある。突然、過去の記憶が走馬燈のように蘇り、それが連続的に流れると鏑木さんは語る。
しかし、その幻覚も何度か経験していると、レースの一部として織り込み済みになり、”そんなことで騙(だま)されないぞ”と自分の脳を客観視できるというから驚きだ。
鏑木選手は、レース中は自分の脳との戦いでもあると語ってくれた。
私も競泳をやってきて死ぬほどキツイと感じるトレーニングをしてきた自負はあったが、さすがに幻覚を見るような、いわゆる「生命の危機」まで経験したことはなく、私の想像を超えた凄い世界だなと感じた。
挫折の連続だった鏑木毅の半生
鏑木選手は異色のランナーだ。
鏑木選手は人生の前半は挫折の連続だったと語る。
子供の頃はいじめられっ子。ただ唯一、運動を長く続けることだけは得意だった。その特技を生かして中学で陸上部に入り、高校でも続けていたが、坐骨神経痛になり、レースに出られなくなる。
その悔しさを胸に、大学では夢を叶えたいと、箱根駅伝出場を夢みて二浪してまで早稲田大学に入学。競走部で箱根駅伝出場を目指すが、もう少しで箱根のメンバーに入れそうな時に、再度、坐骨神経痛を発症。遂に箱根駅伝を走る夢は叶わず、失意の中、大学3年で退部。大学卒業後は地元群馬県庁の職員として働き始める。
ただ、就職してからも、陸上で挫折しか味わえなかった自分の学生時代を振り返っては、「俺はなんのために走ってきたんだろう」と考えていたという。
その気持ちの根底には、自分も輝きたいという渇望もあった。
そんな時、28歳で出会ったのがトレイルランニングだ。
タイムや順位を求めて走る陸上競技で成功できず、走ることが苦い思い出になっていた鏑木さんにとって、トレイルランニングは走ることの純粋な楽しさを感じさせてくれた。
それからは県庁職員として働きながらトレーニングを積み、徐々にトレイルランナーとして実績を重ねていく。
そして2009年、遂に40歳で県庁を退職し、プロトレイルランナーになった。
プロになったその年のUTMBで3位に入ったことは、40歳という遅い年齢でプロ転向した鏑木選手にとって、そのキャリアを後押しする十分なインパクトとなった。
鏑木選手は自分のことをランナーとしては三流、四流という。
そんな特別才能のない自分が世界で3位になれた。
それは挫折の連続だった人生前半の思いをリセットする、大きな成功体験となった。しかしその世界3位という地位が、のちの鏑木選手を苦しめることになる。
「世界3位」の呪縛
UTMBで3位になったことで、世界トップのトレイルランナーとして認められた鏑木選手。
でも一度高い位置まで登り詰めてしまうと、その立場を維持したいと思うのが人間だ。
その後、鏑木さんは自分自身に世界トップであり続けることを求め、スポンサーなど周囲もそれを期待した。ただその思いと反比例するように、鏑木選手の体は年齢を重ねていく。
プロとして結果を出し続けなければならないプレッシャー。「世界3位」であり続けなければならないという焦り。やっとの思いで手に入れた輝きを失いたくない。
その理想と現実のギャップが異変として吹き出したのが、45歳のときフランス領レユニオン島でのレース中に起こった心臓トラブルだ。
結果だけを求めて走るプレッシャーとストレスに体は耐えきれなくなっていた。その時、鏑木選手は「このままでは俺は死んでしまう」と感じたという。
自分のトレイルランナーとしてのあり方を考え、トレイルランニングに出会った頃の自分が抱いていた想いに立ち戻る。
「俺はタイムや順位を求めてトレイルランニングを始めたわけじゃない。楽しんでやっていたはずだ。トレイルランニングを始めた頃のワクワクする気持ちを忘れずに走ろう」
再び、そう心に誓った。
(つづく)
(鏑木毅プロフィール)
かぶらき・つよし 1968年生まれ。群馬県出身。群馬県庁に勤めていた28歳の時にトレイルランの大会に初出場し、初優勝。40歳でプロのトレイルランナーに。国内外の競技大会を制覇し、2009年、世界最高峰のウルトラトレイルレース「ウルトラトレイル・デュ・モンブラン(現UTMB)では世界3位に。現在は競技者の傍ら、講演会、講習会、レースディレクターなどを精力的にこなし、国内でのトレイルランニングの普及にも力を注いでいる。
(松田丈志プロフィール)
まつだ・たけし 1984年生まれ。宮崎県出身。競泳選手として、アテネ、北京、ロンドン、リオと4度、五輪に出場。北京での200mバタフライほか、4つのメダルを獲得した。引退後はキャスターとして水泳にとどまらず、幅広くスポーツを取材。『スッキリ』(日本テレビ)、『S-1』(TBS)の番組出演やコラム執筆などで、その魅力を伝えている。