日本×ドイツ〜バサラマインツ物語@前編 伊藤達哉がハンブルガーSVのトップチームに昇格したため、今季のドイツ4部リー…

日本×ドイツ〜バサラマインツ物語@前編

 伊藤達哉がハンブルガーSVのトップチームに昇格したため、今季のドイツ4部リーグ(レギオナルリーガ)でプレーする日本人選手は計18人になった。

 11部まで裾野が広がるドイツのサッカーピラミッド。プロを目指す者、ドイツのサッカー文化を学びたい者、レクリエーションとしてサッカーをする者……。合わせていったい何人の日本人選手がドイツの地でプレーしているだろうか。その正確な人数は誰にもわからない。


ドイツ8部リーグに所属する

「バサラマインツ」

 武藤嘉紀が所属するマインツの町に、「バサラマインツ」というドイツ8部リーグの小さなクラブがある。31人いる選手のうち、日本人選手は11人。滝川第二高校を卒業し、アマチュアクラブからスタートしてマインツのリザーブチームまで行き着いたものの、プロになるという夢は叶わなかった山下喬(たかし)が会長を務めるクラブである。

「滝二」のふたつ下の後輩、岡崎慎司はマインツでブレイクを果たしたが、シュツットガルト時代は首脳陣の理解を得られず非常につらい時期を過ごした。プロの世界も、アマの世界も、ドイツですぐに活躍するのは日本人にとって簡単なことではない――。山下と岡崎は、そのことを肌身にしみて知っていた。

 プロを夢見て、多くの日本人がドイツへ渡る時代になった。そのことの大変さを知るふたりは、「自分たちのノウハウを伝え、スムーズにドイツサッカーに順応できるようなクラブを作ろう」と誓い、2014年にバサラマインツを創設した。

 ドイツサッカーピラミッドの底辺である11部からスタートしたバサラマインツは毎シーズン優勝を重ね、順調に8部リーグまで上がってきた。

 チームの性質上、シーズンごとに日本人選手がクラブを卒業していき、また新たな選手が日本からやってくることを繰り返しながら、シーズン序盤の山下は毎年のように「今季は大丈夫だろうか」という不安を抱える。だが、シーズンが深まるとともに選手たちはドイツのサッカーに適合していき、最後にはチャンピオンとしてシーズンを終えてきた。

 残念ながらまだプロの選手は出ていないが、チームが11部だったころのメンバーだった酒井将史は現在4部のショット・マインツに所属しており、あと一歩でプロを名乗れるところまできている。

 今季はウインターブレークに入ったところで、首位インゲルハイムと勝ち点8差の4位。かなり厳しい状況ではあるが、まだ優勝をあきらめるようなポジションではない。

 左サイドバックの石井涼太(23歳)は北陸大学を卒業し、昨季後半戦からからバサラマインツに加わった選手だ。「ドイツでサッカーをやるのは3年」と決め、日本に戻ったら体育の教師になるという。

「僕がバサラマインツに入ったときは9部でした。『カテゴリーが低いから楽にプレーできるのかな』と思ったんですけれど、(石川)県リーグと比べても上位チームは強かった。得意のドリブルも、あと一歩のところで相手の足が伸びてきたり、ファウルで止めてくるからリズムが掴めなかった」(石井)



バサラマインツ会長の山下喬

 今季いっぱいバサラマインツでプレーを続け、来年夏の移籍市場でステップアップするのが石井の目標だ。だが、はたして8部リーグで、スカウトは見に来てくれるのだろうか?

「上位リーグのクラブに練習参加して、移籍先を決めていくのだと思います。僕は先日、5部リーグのゴンセンハイムというチームの練習に参加しました。1対1でガツンガツン来る感じは8部のチームと変わりませんが、自分がほしいタイミングでパスが来たり、レベルが高くて楽しかったです」(石井)

 ドイツに限らずヨーロッパに来る日本人のアマチュアプレーヤーを見ていて感じるのは、彼らが日本で”やり残した感”を抱えていることだ。高校や大学の部活で一軍になれなかった者は、自分のレベルに応じたクラブに移籍することなく、リザーブチームやBチームと呼ばれる二軍でプレーを続けることになる。

 教員を天職に選んだはずの石井があえてドイツへ渡ったのも、「自分のサッカーのレベルがどれくらいなのか、知りたくてやって来た」という思いがあったからだ。

「僕も、大学のときに”やり残した感”がありました。自分の場合はBチームに落ちて、サッカー部を引退しました。考えてみたら、教師はいつでもなれる。でも、サッカーは本当に今しかできない。ふたつを天秤にかけたとき、僕は年齢も考えてサッカーを選びました」(石井)

 北陸大のコーチにドイツ留学経験のある坂川翔太(現アスルクラロ沼津コーチ)がいた。坂川の口癖は、「サッカーはパッション(情熱)とロジック(論理)」だった。

「日本にいるときは『何を言ってるんだ?』と思ってたんですけれど、ドイツに来てから坂川コーチの言ってたことがちょっとわかってきたと感じてます。チャンピオンズリーグでバイエルンとドルトムントが決勝戦を戦ったり、ワールドカップでドイツが勝ったことで、『ドイツに来れば戦術が勉強できるのかな』と思ってましたが、やっぱり『戦う気持ち』と『1対1』がドイツはすごかった。それができてからの”戦術”だと感じてます。それを指導者として日本に持ち帰りたい」(石井)

 奥田裕也(25歳)は19歳でドイツに渡ってから、モンテネグロ、オーストリア、そしてドイツへと戻り、25歳にしてバサラマインツが8つ目のクラブである。バサラマインツの設立趣旨を思えば、キャリアの長い奥田の存在は異色だ。

 奥田のキレのあるドリブルはひと目で「違う」と感じさせるほど、8部リーグの試合で抜きん出ていた。彼もまた、”やり残した感”を抱えて日本を飛び出した選手だった。

 もともとはサガン鳥栖のユース出身。トップ昇格はならなかったが、九州内の大学ならサガンのルートで行くことができた。だが、「プロになるなら関東大学リーグでやったほうがいいだろう」と思った奥田は一般受験でも体育会に入れてくれる強豪校を探し、現役で合格した。しかし、大学のサッカー部に入部したものの、試合には出ることができなかった。



サガン鳥栖ユース出身の奥田裕也

「あとになって、『高校やユースクラブとの関係があるから、必ず推薦入学の選手から使わないといけない』と聞いたんです。入部はできたけれどそういう煩(わずら)わしさがあって、大学を休学してドイツに来て、結局1年で退学しました」(奥田)

 ドイツ6部リーグのビーブリッヒを皮切りに、5部リーグのフェアンバルト、モンテネグロ2部リーグのデチッチ、イェゼロ、オーストリア4部リーグのグラットコルン、ドイツ5部リーグのインターナショナル・ライプチヒ、ゴンセンハイムとチームを転々し、今季から奥田はあえて8部リーグにスッテプダウンしてバサラマインツに加入した。

 奥田のステップアップを拒んだものはケガだった。オーストリア4部リーグのグラットコルンには「日本人助っ人」として加入し、住居・食事はクラブ持ち、出場給・勝利給も出て暮らしはよかった。ベテラン監督のロベルト・プフルークは試合前に、「お前がドリブルして、お前がパスして、お前がシュートしろ」とまで言って信頼してくれたという。

「監督のポゼッションサッカーの考えが僕のサッカー感とマッチした。そして、チームのレベルがいい意味で高くなく、僕が『チームの王様』になれたんです」(奥田)

 プフルーク監督はかつてシュトゥルム・グラーツ(オーストラリア1部)の指揮も執ったこともある、72歳のベテラン指導者。知己も広く、奥田をオーストリア2部リーグのチームにつないでくれたが、合宿中にじん帯を痛めて話が流れてしまった。

 その他にも、いざという場面で奥田がケガで泣いたケースはとても多い。

 そしてもうひとつ、奥田にはメンタル面での課題もあった。才能のある選手だけに、これまでにもフランクフルトのセカンドチームやカールスルーエのセカンドチームに練習参加できる話もあった。奥田の立場としては、自分のよさを十分発揮してアピールすべき舞台である。ところが奥田は、「ミスをしてはいけない」と味方に安全につなぐパスを選択し、関係者をガッカリさせてしまったのだ。

 もちろん、奥田はアタッカーとして「数字を残すことは大事」ということを胸に刻んでドイツにやって来た。しかし、サイドバックにコンバートされたり、レベルの高いところに放り込まれたりすると、「まずはミスなく安全にいこう」という弱気の虫が顔をのぞかせてしまうのだという。

「今年、自分は25歳。あと一歩の階段をずっと登ることができなかった。歳も歳なので、辞めることを考えた時期もありました。チャンスがなければ『無理だな』と思ってスパーンと辞められたんでしょうが、チャンスがあったのに上に行けなかったのが納得できなかった。これは自分のメンタルの問題なんですけれど、どうしてもミスなくワンタッチ、ツータッチでやろうとしてしまう。そこでいろいろと人に相談しました」(奥田)

 そのなかのひとり、山田大記(当時カールスルーエ/現ジュビロ磐田)のアドバイスはこうだった。

「自分の思ったプレーができず、メンタルに問題があるのだったら、ちょっとレベルを落として『王様』としてガンガンやって、自分のプレーを思い出すのもアリだと思うよ」

「レベルを落とすというのは勇気がいる。でも、僕のなかで何かを変えないといけないというのがあった。それで(山下)喬さんとも相談して、バサラマインツに来ました」(奥田)

 なるほど、本来なら奥田は8部リーグでプレーしていてはいけないレベルの選手だったのだ。そう思うと、私が彼のプレーを見て感じた「他の選手との圧倒的なレベルの違い」も腑(ふ)に落ちる。

「バサラマインツの試合で見せている積極性。これを上のレベルでもやれたら、まったく印象の違った選手になれる。それを求めて、バサラマインツにやって来たんです」

 石井のように「ドイツサッカーの予備校」として使うのが、バサラマインツの本来の役割。しかし、奥田にとってバサラマインツは「アマチュアプレーヤーの再生工場」。そう感想を告げると、奥田は「僕のようなケースはこれから増えるかもしれませんね」と言った。

(後編につづく)