逆境を乗り越えろ!大橋ボクシングジム会長 大橋秀行#2 プレッシャーを乗り越えて 大橋秀行さんは横浜高校、専大と進んだアマチュア時代から活躍、プロ入りは大きな注目を集めた。それだけにプレッシャーも相当だったに違いない。デビュー5戦…

逆境を乗り越えろ!大橋ボクシングジム会長 大橋秀行#2


プレッシャーを乗り越えて

 大橋秀行さんは横浜高校、専大と進んだアマチュア時代から活躍、プロ入りは大きな注目を集めた。それだけにプレッシャーも相当だったに違いない。デビュー5戦目で韓国選手に初黒星を喫したときは、「ボクシング人生で一番のショックだった」と振り返る。

 そんな大橋さんにキャリア最大の勝負のときがやってきたのは1990年2月。当時の日本ボクシング界は世界チャンピオン不在の冬の時代、しかも日本選手の世界タイトル挑戦は21連続失敗とトンネルを抜け出せないでいた。

 そこに出番が来たのが大橋さん。自身もライトフライ級で世界タイトルマッチに2度敗れ、階級を1つ下げてミニマム級で3度目の挑戦とあとがなかった。「日本ボクシング界の切り札」ともいわれた挑戦は、とてつもないプレッシャーだったに違いない。


 大橋 :今は10人前後の世界チャンピオンがいるから信じられないかもしれませんが、当時の日本は1年3カ月もの間、チャンピオンがいませんでした。そんな状況で3度目の世界挑戦が決まったのですが、自分がどんな気持ちだったか。実は、自分の直前にタイトル挑戦した選手が負けて連続失敗が21に伸びたときは「よっしゃ」と思ったんですよ。

 こんなおいしいことないですからね。手柄も独り占めですよ。試合前からマスコミで「日本の切り札」とか言われていたし、自分にとってもラストチャンスだったのに、ワクワクしていました。

 負けたらどうしよう、なんて考えていなかったですね。たとえ負けても、人の噂なんてせいぜい2カ月、逆に勝てば一生こうして覚えてもらえるんですから。結果は左ボディーで10カウントを聞かせてKO勝ち。後楽園ホールでは「万歳」コールが起きました。翌日はスポーツ紙だけでなく、一般紙でも1面に記事が載りました。それもこれも、悲壮感などない、前向きな心持ちで臨めたことが勝因だったと思います。

※12月7日に販売される雑誌「CoCoKARA next」では表紙に大橋ボクシングジム所属の井上尚弥が登場、巻頭インタビューは7ページ、大橋秀行さんのストーリーインタビュー「逆境を乗り越えろ」は4ページ掲載されています。

■ 編集部からのお知らせ
 12月7日に販売される雑誌「CoCoKARAnext」では《日常のなかで気軽にできる最強の運動【歩く】の5W1H》を特集する他、現WBO世界王者の井上尚弥、高木豊と3人のJリーガー息子の「高木家の人材育成論」等、アスリートと一流仕事人に学ぶ情報が満載。今号はプレゼント企画も実施中です。

※健康、ダイエット、運動等の方法、メソッドに関しては、あくまでも取材対象者の個人的な意見、ノウハウで、必ず効果がある事を保証するものではありません。

〔文/構成:ココカラネクスト編集部 〕

大橋 秀行(おおはし・ひでゆき)

1965年生まれ、神奈川県横浜市出身。現役時代はヨネクラボクシングジム所属。日本ジュニアフライ級(現・ライトフライ級)、WBC世界ミニマム級ならびにWBA世界同級王座を獲得。1993年に現役を引退、大橋ボクシングジムを設立し会長を務め、八重樫東、井上尚弥等の世界チャンピオンを輩出。2007年より東日本ボクシング協会会長、2010年日本プロボクシング協会(JPBA)会長も兼務。2013年から日本ボクシングコミッション(JBC)理事も務める。

[大橋ボクシングジム]

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■TEL 045-314-1994 ■利用時間 月〜土10:00〜22:00、日10:00〜18:00
■大橋ボクシングジム公式HP
http://www.ohashi-gym.com/