「ケガのまま終わり、というのは嫌なんです。自分らしい姿を見せたい。それは周りにも、自分に対しても……
「ケガのまま終わり、というのは嫌なんです。自分らしい姿を見せたい。それは周りにも、自分に対しても……。自分だからこそ見える世界を見たい。出し尽くして意地を見せます!」
石川直宏(36歳)はラストマッチを前にそう語っていた。18シーズンに及ぶプロサッカー選手人生の終焉。簡単には言い表せない感慨があったはずだ。

J3最終節セレッソ大阪U-23戦で、最後の雄姿を見せた石川直宏(FC東京)
2017年12月2日、石川はJ1最終節で久しぶりに味の素スタジアムのピッチに立っている。その鋭い動きは集まった観衆を沸かせた。オフサイドになったものの、一瞬で裏を取ったシーンは彼らしかった。さらに翌日にはJ3の試合でも交代で出場し、勝利につながる得点機を作っている。
石川は意地を見せたのだ。
「最後にいろいろと見ることができましたね」
そう語る彼にとって、万感のラストマッチだった。18シーズンの格闘とは、いかなるものだったのか?
石川はタッチラインでボールを受ける瞬間、背中で翼を広げる錯覚を与えるアタッカーだった。スピードに乗って、斬り込むように敵陣に迫る。あるいは、ゴールに向かって放たれる矢のようにも見えた。
FC東京では数々のタイトルを手にしている。2009年には18得点(カップ戦を含む)を挙げてJリーグベストイレブンにも選ばれたが、記録以上に記憶に残る選手だったと言えるだろう。そのプレーは美しかったが、端々に情念が滲み出ていた。
石川の戦いについて、筆者は『アンチ・ドロップアウト』(集英社)で描いている。
苦難にもがく選手に密着するルポ企画だったが、取材した選手がJ1昇格、先発奪取、日本代表入りするなど不思議と飛躍したことで続いた連載だった。2008年から09年にかけて密着取材した石川もそのひとりで、取材をスタートしたときは出番が減っていたが、最後には日本代表に選ばれ、「2010年南アフリカW杯に向け、ジョーカー的存在になるのでは」というところで終わった。
石川は自らの運命を好転させる力を持っていた。
「何も考えないでプレーするために、毎日考え続けてきました」
そう語る石川は、常に自分と向き合ってきた。その姿は、我執(がしゅう)を振り払おうとする修行僧のようでもあった。もっとも、そうならざるを得ない理由もあっただろう。
石川のサッカー人生はケガにつきまとわれた。己と向き合わざるを得なかった。その時間も1日や2日ではない。両膝の前十字靱帯断裂だけでも、2年以上、戦列を離れざるを得なかった。他にもありとあらゆる箇所にケガを負い、そのたびに復活を遂げてきた。並みの選手なら、とうの昔に心がへし折られる辛苦(しんく)だったはずだ。
石川の石川たる所以(ゆえん)は、ケガに対してへこたれず、臆病にもネガティブにもならなかった点にある。むしろ、ケガを自分の一部として取り込んだ。
「ケガの多い選手というイメージは、やっぱり嫌ですよ。ケガを乗り越えて、というのが美化されすぎるのはどうなのかとも思います。ただ、ケガに関しては、起こったことを受け入れよう、とも言い聞かせてきましたね。ケガがないのがいい選手だとは思います。でも、自分にとってはケガもひとつの試練で、それも含めて自分だから。ケガを通じて学んできたこともあるんです」
石川はサッカー選手として逃げなかった。地道で過酷な作業をこつこつと続けることができた。それが復活したあとの活躍につながった。
「自分はケガを乗り越えることで、結果も残してきました。ケガをするたび、回復までの時間で体のメンテナンスにもなった。もともと細い体もそうやって厚みを増してきました。悪いことばかりじゃない。
それに、ケガをすることで人の気持ちがわかるようになりました。『会社で仕事がうまくいかない』という人と、悩みの本質は同じ。だからこそ自分に共感する人がいて、そういう人からのメッセージに僕もエネルギーをもらった。プロ選手として、そういうファンを元気にできるようにまた恩返しをしたい、と」
そう語る石川のプレーが、観る人に感動を与えたのは必然だった。最後のゲームでも、引退を決めた選手とは思えない動きを見せている。その一挙手一投足が、観客を熱くさせた。
「プロってなんだろうって思うんですよ。自分よりも、うまい選手は周りにいました。生きるか死ぬか、というギラついたものかもしれませんね。プロとして、その思いを乗せたプレーができるか」
石川の生き方はプレーに表出していた。
ケガで苦しみ、もがく姿よりも、そこから立ち上がり、這い上がろうとする不屈な姿のほうが記憶に残るのだろう。いや、それすら忘れられるのか。閃光のような突破だけが思い出される日が来るのかもしれない。
18シーズン、プロフェッショナルとして戦い続けた男は翼をたたんだ。